第3話
外国語、というものがある。
language は、英語の「言語」という単語。 英語は English で、日本語は Japanese である。 外国語を習ったのは、中学生からで英語オンリー。 高校でもそれ以外の外国語は全く未知の領域で、大学に進んでから、ドイツ語を習いました。
単語は、いろいろなんとなく知っていたりするが、ぜんぜんしゃべれない。…こういう人が多いのが英語教育の歪み?と、いう意見が多くて、で、小学校でも教えて、会話に力を入れるとか、そういう風になって来たのかと思う。
有名な「バベルの塔の神話」というのがあり、ブリューゲルの絵画でも有名ですが、ニンゲンが思い上がって、バベルの塔というものをどんどん高層建築にしていって、で、神の怒りに触れて、塔を破壊されて、言語を四分五裂させられた…これはふつうは悪いこととして語られますが、わりと最近に読んだ中井久夫氏の評論には、「言語の複雑さは文化的な侵略の砦として有効に機能しうる」というような知見? 私見?があって、なるほどと思いました。 「甘えの構造」という本でも、日本語が日本人の心性の如実な投影になっている、というところから説き起こしていて、実際にはハナシは単純でないんだとは思う。
ノアム・チョムスキー博士の、生成文法理論、というのは、詳しくないですが、要するに人間の脳みその中に、言語の骨格となるような雛型?が、生まれつきに備わっている、という発想らしい。
言語学とか全く蒙昧ですが、言語にもタイプがあって、粘着型? とか論理的な構造のタイプ? とかあるそうです。 また調べますが、日本語のなんだか感情のどろどろをぐじゃぐじゃなままに表現するような印象?は、英語とかと異質で、やはりいろいろ視点の切りとり方があるなあと思う。
古文なんかはさらにぐじゃぐじゃで? 草書のああいう字体そのままで、明治維新以前はなんだかそういう情緒纏綿たる社会やったんかな? とか思う。
中国はやはりグローバルな大国で、それで漢文などはかなり明快で論理的なんかとも思う。 辺境にあって、独特の美学が育った祖国のそういう典雅で繊細な、水墨画みたいな雰囲気?は、オレは嫌いでなくて、ユニークで素敵?ワンダフル~ジャポネスク~で、 いわく言い難い、例えば「陰翳礼賛」にある唯一至上の境地?みたく思います。
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