第7話 ホテル
浴室からシャワーの音が響く。
悠馬はベッドの端に腰を下ろし、さっきチラ見してしまった専務の姿を思い返していた。
――真紅の下着。彫刻みたいに整った肢体。
思わず顔をそむけたけど、脳裏にはしっかり焼き付いている。
(やばい、今夜のおかず確定コース……って、同室だから無理だろ! 明日までお預けかよ!)
そんな不毛な妄想をしていると、浴室から声が飛んできた。
「ねぇ、優ちゃん。背中流して」
「はぁっ!?」
「早く〜。業務命令だから」
いや、そんな業務命令聞いたことないですけど!?
でも専務の機嫌を損ねるわけにもいかない。査定次第でボーナスが決まるのだ。
背に腹は代えられず、悠馬は観念して浴室のドアを開けた。
「はい、これ使って」
振り返りもせず、専務はスポンジを差し出してくる。
白くなめらかな背中。水滴が流れ落ちる様子に理性が危険信号を鳴らす。
できるだけ視線を泳がせつつ、そっと洗い始めると――。
「ふんふ〜ん♪」
ご機嫌な鼻歌。どうやら満足いただけたらしい。
「ありがと、優ちゃん」
「そ、それでは失礼しま――」
慌てて退出しようとしたそのとき、シャワー音に混じって専務の声が追いかけてきた。
「次は、私が優ちゃんの背中を洗ってあげるわね」
……え? それって冗談じゃないんですか?
◇ ◇ ◇
案の定、交代で浴室に入った悠馬はすぐに現実を知る。
泡を立てて体を洗っていると、ドアが開いて専務がひょいっと入ってきたのだ。
「紫の下着なんて、優ちゃん意外とセクシーね〜」
更衣室に置いてあった自分の下着を、しっかりチェックされていた。
心臓が跳ねる。全力で股間を太ももでガードしつつ、専務に背中を預ける。
「ほんと、優ちゃんって筋肉質。男の人みたい」
「よく言われます。ちょっとコンプレックスで……」
必死に誤魔化すが、次の瞬間。
ぬるっとした、スポンジではない感触が背中に広がった。
「やっぱり、手洗いのほうが気持ちいいわね」
「ま、前はやめてくださいッ!」
その手が胸や下半身に回ったら即アウト。
か弱い女の子キャラを演じて必死に許しを請うた。
「ふふっ、かわいい。続きはベッドで楽しむとして……ちゃんとキレイに洗っておきなさいよ」
そう言って専務はさっさと出て行った。
(……セーフ! いや全然セーフじゃない! これ完全に死亡フラグ立ってるだろ!)
湯気に包まれながら、悠馬は決意した。
――こうなったら、専務を酔い潰すしかない。
◇ ◇ ◇
浴室から戻ると、専務はすでにバスローブ姿でソファにくつろいでいた。
テーブルには、冷えたシャンパンとチーズ&クラッカー。
ルームサービス頼んでいたようだ。
「お仕事お疲れ、かんぱ~い♪」
専務はシャンパングラスを掲げ、上機嫌に笑う。
グラスを合わせれば、当然視界にはバスローブの胸元が……。
やめて、目のやり場に困るから!
「男ってさ~、ほんっとダメよねぇ。下心まるだしだし、こっちをナメてかかるし」
「いや、専務。まだ一口しか飲んでないですよね」
「の~んでなくても、思い出すだけで腹立つのよっ」
すでに赤らんだ頬で、愚痴モード突入。
専務はぐいぐいとグラスを空けていく。
「……専務の男嫌いって、理由があるんですか?」
つい気になって聞いてしまった。
その瞬間、専務の手が止まる。グラスを傾けかけたまま、じっとこちらを見た。
「それ、聞いちゃう? いいわよ、優ちゃんだから特別に話してあげる」
そして椅子を引き寄せてきて、肩が触れる距離に。
近い近い近い!
「私が入社した頃はねぇ、男女平等なんて名ばかりで……上司からお尻触られても『スキンシップ』で済まされる時代だったの!」
(うわ、重い話きたな……)
いや、あなたはコンプラ厳しい今でも、毎日スキンシップと称して体を触りまくってるでしょとツッコまず、専務の声に耳を傾けていた。
「それで、女性には大事な仕事は任せられないってプロジェクト外されてさ。私、くやしくて自分で企画立ち上げて結果出したの! ……そしたら今度は男どもがね、嫉妬でギャーギャー足引っ張るのよ!」
専務はクイッとグラスを一気に飲み干し、頬は真っ赤。
呂律も怪しくなってきている。
「お水飲みましょう、専務」
「ありがとぉ……やっぱり優ちゃんって、ちがうのよね。他の子と」
「そ、そうですか?」
「うん。なんていうかねぇ……女っぽくない。そこが、いいの……」
(それ、バレる一歩手前なんですけど!?)
次の瞬間、専務がふわりと身を寄せてきた。
「……好きよ、優ちゃん」
そして、そのまま唇が――。
「ちょ、ちょっと待って!専務、酔ってますから!」
押し返そうとしたときには、すでに専務は目を閉じていた。
「すぅ……すぅ……」
……はい、寝てました。
この流れで寝落ち!?
ベッドにそっと寝かせながら、悠馬は深いため息をついた。
――よかった。なんとかバレずに済んだ。
それだけで全身の力が抜けそうになる。
けれど、目の前で安らかに眠る専務の寝顔は、仕事中の鋭さとはまるで別人で。頬を赤く染め、唇を少し開けたその表情に、思わず心臓が跳ねた。
まだ温もりが残る唇をそっとなでて、悠馬もベッドへと潜り込んだ。
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