【四】配信に映り込む狸
ライブ配信が日常化した現代において、怪異はもはや山中や廃墟といった“非日常の場”に限られたものではなくなった。
スマートフォンひとつで自室から世界中へ発信できる配信文化は、日常と非日常の境界をいとも簡単に越える。そしてその境界が曖昧な場所にこそ、狸のような“あわい”の存在は出現しやすい。
とりわけ、視聴者とのインタラクションを含むライブ性と同時性は、「狸の化かし」と非常に親和的な仕組みである。
ある日突然“変なものが映った”というだけで、それは共有され、切り抜かれ、編集され、語られ、拡散されていく。
つまり狸は、もはや山で人を迷わせる必要がない。ライブ画面の向こう側で、認識を揺さぶるだけでいいのだ。
■取材記録:うごくポコポ〇日記
【取材日】令和五年三月
【対象】A氏(二十代男性・配信者)、視聴者:数百名
A氏は登録者2万人を超える、いわゆる「中堅クラス」の動画配信者である。主に雑談と軽いゲーム実況を配信している。
話術は達者だが、どちらかといえば気の良い青年といった印象で、いつでも自然体なことを特徴としており、活動において芝居がかったことをしたことはぼぼなかった。
事件が起きたのは、2023年の冬。
彼が実家(関東郊外)に帰省中、夜更けに何気なく始めた雑談配信の中で、それは起きた。
部屋の照明はごく普通の天井灯で、画面の背景には子どもの頃から飾られていたというぬいぐるみの棚が映っていた。
「実家なので、昔のぬいぐるみとかそのままなんですよ。小学生の時に好きだったポコポ〇日記とか、サ〇リオ系のが多いです」
配信は緩やかに進行し、話題は取り留めもない。ところが、配信中盤、コメント欄がざわつき始めた。
「右上のぬいぐるみ、動いてない?」
「ポコポ〇、ちょっとずつ下がってない?」
「……え、今、棚から落ちた?」
実際、画面の端では、棚の上に置かれていた狸のキャラクター「ポコポ〇日記」のぬいぐるみが、じわじわと角度を変えながら、まるで何かに引かれるようにゆっくりと落下していた。
しかも、他のぬいぐるみたちは微動だにしていなかった。
配信者は振り返り、一瞬、沈黙した。
そして目を見開いたまま、素の声で「……え?」と呟いた。
「今の反応、マジで驚いてるじゃん」
「芝居だったら、うますぎて怖い」
コメント欄は騒然となった。
その直後、A氏は配信を終了。そのアーカイブは切り抜かれてSNSで拡散され、「怪現象が映り込んだ配信」として注目を集めた。
---
興味深いのは、事件そのものよりも、そのあとでこの怪現象を「狸だ」と見なした視聴者側の動きである。
ポコポ〇はあくまでキャラクターであり、誰も「化け狸」として飾っていたわけではない。
にもかかわらず、やはり“狸のぬいぐるみ”であったからだろう、やはり変化タヌキを念頭に置いた語りを生成し始める。
この現象は示唆的である。
つまり、“狸がいた”のではなく、“狸として見た”人がいたということだ。
不可解な動きに意味を与え、そこに妖怪性を見出したのは、「見ていた側」である。
語りが映像の意味を再構成し、意味が共有されることで、妖怪は生成される。
この構造そのものが、古典的な“化かし”の原理と通じている。
見る者の中に揺らぎを生じさせる。それこそが狸の本領である。
配信者A氏は後日、自身のSNSで次のように釈明を行った。
「実家で暇だったので、釣り糸でぬいぐるみを引っ張る“いたずら”をやってみました。反応ありがとうございます」
だが、実際の配信にはその準備や演出のような兆候はなく、配信者自身の驚きもあまりに自然だったし、なによりそのようなことをするタイプの配信者ではなかった。
“糸で動かした”という説明は、むしろ事態を軽く済ませようとする後付けのようにも感じられ、視聴者の間では「苦しい言い訳ではないか」との声も根強く残った。
「あの反応、演技でできるレベルじゃない」
「そもそも糸であんな自然に動く? 他のぬいぐるみは全然動いてなかったし」
さらに、この一件をきっかけに、A氏の周辺では“偶然とは思えない”出来事がぽつぽつと起き始めたという。
「母が、“最近、裏庭で変な音がする”って言い出して。猫か狸かもねって笑ってましたけど。確かに狸くらいは出る田舎なので、妙にリアルで……
それで、僕が東京に戻ってからも、たまに“また動いてた”ってコメントが来るんです。今度は棚のフィギュアが、とかです」
配信の場だけでなく、現実の生活空間にも影を落とすこの“拡張された気配”──
それが単なる後追いの思い込みなのか、あるいは配信という儀式によって何かを招いてしまったのかは、今も判断がつかない。
この事例が示すのは、「化かし」はインターネット空間だけでなく、部屋の片隅にあるぬいぐるみ棚の上にも出現しうるということである。
それは物理的な現象かもしれない。錯覚かもしれない。あるいは──狸かもしれない。
けれども重要なのは、人がそれを“狸だ”と見なした瞬間に、狸が生成されるというプロセスだ。
ライブ配信とは、光と音と語りが交錯する小さな祭祀のようなものだ。
その画面の向こうで、笑っている“何か”の影が、今もこちらをじっと見ているかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます