【二】匿名掲示板に現れる狸

 2000年代初頭、日本のインターネット文化は大きな転換期を迎えていた。個人ホームページや掲示板文化が急速に広がり、まだSNSが一般化する以前、人々は匿名で語り合う仮想空間に集い、時に日常の愚痴を、時に奇妙な体験談を語り合っていた。


 そのなかで、突如として立てられるスレッドがあった。

 一見、ただの冗談めいた雑談かと思わせておいて、どこか釈然としない違和感を残す投稿群──いわゆる“洒落怖系”の怪談スレッドである。

 中でも、狸に化かされた体験談を主題としたスレッドは、一定の頻度で出現していた。


【掲示板投稿・抜粋】

「地元の山道を歩いてたら、気づいたら駅前のネカフェのPCの前にいた。スレ立ててるのも自分じゃない気がする。誰か、狸に化かされたことある?」


 これは、2004年ごろに某匿名掲示板に実際に投稿されたという記録の一部である(現在ではログのみ残る)。

 文面は単純だが、その短い中に多くの“異常”が含まれている。時間と空間の断絶、自我の揺らぎ、記憶の不在──いずれも妖怪譚においては“化かし”の特徴とされる要素であり、それが現代風にアップデートされたかたちで語られているのだ。


 ここで特筆すべきは、「気づいたらPCの前にいた」という表現である。物理的な移動の異常に加え、「スレ立ててるのも自分じゃない気がする」という感覚の異常が重なっている。

 これは単なる記憶障害や夢遊病のような医学的解釈だけでは語りきれない“語りの演出”が含まれており、民俗学的にはむしろ「意識の境界領域での化かし」として読むべき性質を持っている。


 古典的な狸譚では、「気づいたら見知らぬ場所にいた」「同じ場所を何度もぐるぐる回っていた」「山から降りたはずが、また山に戻っていた」といった“道迷い”のモチーフが頻出する。

 こうした物理的迷路の構造が、現代においては「ネットサーフィンの迷宮性」として再演されている。


 たとえば、ある投稿者が深夜にネット掲示板を覗いていたつもりが、気づくと数時間経っており、見知らぬスレッドに自分の名前(ハンドルネーム)で書き込みがされていた、という話がある。

 あるいは、あるキーワードで検索していたら、関連するサイトにたどり着いたと思った瞬間、ブラウザが落ちてデスクトップに謎のフォルダが生成されていた、という都市伝説風の話も存在する。


 いずれも物理的な“道”ではなく、情報の道(リンクやページ遷移)を通じて迷わされる点が特徴であり、まさに狸の古典的能力がネット空間にトレースされていると言える。


 さらに注目すべきは、投稿者が語る“自分がスレを立てた覚えがない”という感覚である。

 この「語らされた」「書かされた」といったモチーフは、民間伝承でも霊媒や神懸かりのような構造と重なるものがある。つまり、語り手自身が媒介者(メディア)となり、何かに語らされているという構図である。


 ネット掲示板においても、あるスレッドが異常な勢いで伸びたり、執拗に画像や書き込みが繰り返される現象は、「スレが生きている」「スレが呼んでいる」といった擬人的な言い回しで表現されることがあった。

 ここに、語りが語り手を超えて自己増殖するという、近代的な自己認識の枠組みを超えた妖怪的性質が表れている。

 そうした“語りの自己展開性”と、狸の“自律的化かし”は、奇妙に符合しているように思われる。


 こうしたスレッド群は、やがて「まとめサイト」によって編集・整理され、より読みやすい怪談へと加工されて拡散された。


 このプロセス自体が、かつて村の寄り合いや井戸端で語られた昔話が、語り継がれ、誇張され、脚色されていく伝承のプロセスに酷似している。


 つまり、ネット掲示板→まとめサイト→YouTubeやTikTokの語り直しという流れは、かつての「口承→書き物→講談・読み物」への変遷に相当する。


 しかも興味深いのは、狸の話に関しては、この再話の中でしばしば“笑い”や“滑稽さ”が導入されることである。

 たとえば、「狸に化かされて知らないうちにLINEで元カノにメッセージを送っちゃってた」「狸に財布の中身全部葉っぱとドングリにされてた(比喩)」といった、現代的な日常の失敗談に狸を重ねるかたちの“都市伝承系ジョーク”が数多く生まれている。


 こうした語りには、伝承の本来持つ“教訓性”や“娯楽性”に加えて、ネット特有のミーム的拡散性が加味されており、狸譚は新たな形で変種を繰り返しているといえるだろう。


 このように、掲示板文化は狸という存在にとってきわめて親和性の高い場であった。

 語りの匿名性、意図とズレる自我感覚、編集と再話のプロセス、そしてネット空間という「境界的」性質──これらが交わることで、狸はデジタル上で新たな繁殖地を得たと言える。


 では、その後のSNS文化において、狸はどのように姿を変え、どのように振る舞っているのだろうか?

 拡散性、エモさ、共感性──そうしたSNS的価値観の中で、狸の「化かし」はいかにして成立し得るのか?次節において考察することとしたい。

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