◇取材記録:書店に現れた“ぽてぽてした子ども”

■取材記録:書店に現れた“ぽてぽてした子ども”


【取材日】令和元年十一月

【対象】K氏(32歳・都内大型書店スタッフ)


夕方の店内は、照明が少しだけ暖色を帯びて見える時間帯だ。オフィス帰りのサラリーマンや学生、夕飯前の主婦層で賑わい始めるころ、K氏が勤める都内の大型書店の3階、児童書売り場に、ある日、ひとりの“子ども”が現れた。


「ぽてぽて、って音がしそうな歩き方だったんですよ。背は小学校の低学年くらいで、ランドセルじゃなくて、古い布のショルダーバッグを斜めにかけてました。髪も服もくしゃくしゃで、正直他のこと比べるとちょっと浮いて見えましたけど、子どもがひとりで本を買いに来ること自体は、まあ珍しくないですから」


K氏が最初に目撃したその“子”は、まっすぐ図鑑コーナーへ向かったという。しばらくのあいだ棚の前を行ったり来たりして、やがて分厚く高価な図鑑――3,000円以上する生物図鑑――を抱えてレジにやってきた。


「その図鑑、うちでもけっこうな価格帯なんです。子どもが買うには高いなって思って、“誰かと一緒?”って聞いたんですよ。でも、その子は首をふって、“自分のお金”って言って、ポケットからぐしゃぐしゃの五千円札を出してきたんです」


くしゃくしゃになった紙幣は、折り畳まれ、湿気を帯び、何か土の匂いすら感じられたという。K氏は一瞬躊躇したが、レジに通すと問題なく読み込まれ、会計は完了。子どもは図鑑を紙袋に入れてもらうと、小さく頭を下げて帰っていった。


「“ありがと”って、ふにゃっとした笑い方をしてました。妙に愛嬌があるというか、どこか昔っぽいというか……。で、その日はそれで終わりだったんです」


問題が発覚したのは、翌日の開店準備中だった。


レジの売上は合っていた。しかし、K氏が図鑑コーナーを整理していると、前日売れたはずの同じ図鑑が、きちんと元の位置に戻されていた。


「レジに通した本にだけ貼る目印のシールありますよね。バーコードに貼るやつです。あれが私が貼った通りに貼ってありました。間違いなく私が昨日、売った本でした」


さらにおかしなことがあった。レジの中にあるはずの五千円札が、1枚だけ“葉っぱ”になっていたというのだ。


「どう見ても“葉”なんです。たぶんクヌギかコナラ。でも、裁断されて札の大きさになってて……」


レジの売上は合っていたので、そこまで大ごとではない。K氏は売り場の先輩社員に報告したが、「疲れてんじゃねーの?」と笑い飛ばされただけだった。


ところが、しばらくして、同僚たちとの雑談中にふと思い出してその話をしたところ、複数人から「それ、あった…!」「俺も似たこと経験した」という証言が返ってきた。


「1階の雑誌売り場でも、4階のマンガ売り場でも、“ぽてぽてした歩き方の子どもが本を買って、翌日その子が出したお札が葉っぱのお金に変わってた”って、ほぼ同じ話を他のスタッフもしてて。誰かが仕組んだドッキリにしては、手が込んでるし、狙いが意味不明すぎる」


その後、件の“子ども”が現れることはなかった。


あの子は何だったのか、とK氏が呟くと、年配の同僚がふいに言ったという。


「……それ、狸じゃねえの?」


もちろん冗談のつもりだったのだろうが、それ以降、店内ではまことしやかに「ぽてぽての子は狸だった説」がささやかれるようになった。

 もはや都市伝説の一種として、新人バイトにも笑い話として引き継がれているそうだ。



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本事例は、「葉を貨幣に化けさせる」という古典的狸譚の現代的変奏である。注目すべきは、狸の姿が“子ども”であった点だ。これまでの狸は、老爺や奇怪な男の姿で描かれることが多かったが、この“ぽてぽての子”は、明らかに幼さと無邪気さを前面に出している。


また、行為そのものに悪意がなく、どこか遊び心があるのも印象的である。商品を持ち帰らずに返し、お金もただ葉に変えていただけ――詐欺や窃盗とは違う。あくまで、「人間の社会ルールをちょっとだけ揺らす」という、トリックスターとしての本質に忠実な振る舞いと言える。


支払いが成立し、伝票も残り、レジはエラーを出さずに葉を金と見做した――この事実は、現代社会における「信用」の構造が、いかに“形式”の上に乗っているかを象徴しているようにも思える。


狸が現代に生きているとすれば、もはや山奥ではなく、大型商業施設の一角で、機械に紛れて遊んでいるのかもしれない。

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