九月十八日
先日、新しいアルバイトに行った。ロッカーを製造する工場で補助をするという内容だ。徒歩で三十分かけて歩いていった。初勤務の日に寝過ごさなかっただけ、よくやった。仕事内容は単純でいながら、覚えることが多い。なにせ作っているものが週によって違うというのだ。
部品を取り付け、隣にパス、また部品を付けて隣りへパス。これを繰り返しているうちに工場の表にある大きなシャッターが開いた。出来上がったものを梱包しようというのである。しかし、働いていた時の私、これから何が行われるのか分からない。先輩方に指示を受け、出来上がったものをコンテナに積み、バンドで固定する。嗚呼、このバンドの結び方! 難解で未だによく分からない。ただ製造だけを手伝っていればよいのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。作業の合間にある次の作業への移行の時間、何をすればよいか分からずおろおろするばかりである。その末に指示を聞いてなんとなく作業をする。なんともいえず、困惑と焦燥の時間である。果たしてこんなことでやっていけるのかしら。職場の方々、皆良い人である。単純作業も、何とかなりそうだ。私を悩ませているのは作業の合間にあるおろおろタイムとあのバンドの結び方だ。せめて、あれさえ上手く結べたらねえ。些細な不安が膨れ上がって続けていくことができないのではないかと思える。もっとも、続けているうちに幾らかの慣れもあるだろうから、現状だけで今後を判断するのも早計というものだろう。
新たな生活スタイルに慣れることができるかという点も、不安だ。工場で働く日には正午前に起きなくてはならない。正午前? これまでの私では考えられない程の健康的な時間の起床である。それが週に三日、連続してあるのだ。いつか寝坊して慌てながら家を出る日がくるかもしれない。
これまでの労働に追加して働くことになったわけであるから、完全な休日は週に二日しかない。私が最も懸念しているのはこれによって創作が不自由になってしまうのではないかということだ。私の生活はあくまでも創作を中心に展開されなければならない。それがうまく達成されるかということが心配である。いや、少し本当ではない。何もしなくともよい時間が減ってしまったのがかなり残念だ。もっとも、自分の生活くらい、自分で立てられるようにならなければどうにもしようがないのだから、これで正しかったのかもしれない。労働したくはないけれど、生活はしなくてはならない。なんとかならないものか、これは。私はただ、書きたいものだけ書いて生きてゆきたいだけなのであるが、そうもいかないらしい。
ひとつ、実感を伴って理解したことがある。初勤務とその次の勤務の前夜、私は心穏やかでなかった。言い知れぬ不安ばかりが膨張して、私の思考を占領していたのである。しかし、労働が終わってみると、結局、なんとかなった。即ち、時間は必ず過ぎてゆくのである。時間が過ぎてゆくなら、予期していた不安もまた、過ぎてゆく。たったこれだけのことを了解するまで、三十年近くもかかった。
失礼、話が逸れた。なんとかもう少し、ロッカー工場に勤めることにしようと思う。きっと次の勤務を前にした私は先日と同じように気をもんでいることだろう。しかし、心配するな。時間は必ず過ぎてゆくのだ。それが未来の私にとって苦悩の原因となっていても。
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