九月十三日

  新しいアルバイトの初勤務の日が近づいてくる。気楽にやれと自分に言い聞かせるだけ、不安になってくる。予定の時間に起きられず遅刻をするのではないか、職場の人間関係がうまくゆかないのではないか、仕事の内容に耐えられないのではないか。良い未来と悪い未来はそれぞれ五十パーセントずつだと私は未だに心から納得できていないようである。初勤務の日が永久に来なければいいと考えても、時間は無情に経過してゆくのがもどかしい。時々思う。こうまでして働いて生きてゆかねばならないのかと。どうして大学卒業後に手にした就職を手放すようなへまをしたのかと。過去に戻れるならやり直したいと思いながらも、現状には穏やかな居場所もあり、結局何方が私にとって適した世界なのか、分からない。

 しかし、新しいアルバイト先を見つけてから、良かったこともある。然程死を意識することが無くなったという点である。以前の私であれば勤務の日も休日も、イカに自信が社会に適応できない人間であるかを考えて死ぬことばかり考えていた。その希死念慮は最近の私にとって新たな環境への不安に置き換わったのだ。どうせならもっと別なハッピーなことに置き換わってほしかったが、どうもそうはいかないらしい。

 自分で生計を立てることができれば、私の病気はきっとよくなると信じている。結局のところ私の病気は世間で言われているように脳の機能や伝達物質などによるものではないのであろう。環境だ。自分ひとり養えずに自立できていないことが問題なのだ。その罪悪感が膨張して私に死の影を落としていたのである。

 もし、新しい職場に馴染むことができたなら、私はその内毎晩薬を飲まなくともよくなるかもしれない。そうなれば、いい。経済的に自立できて、思うように創作ができれば、私はもう、何も要らない。

 最近ではとある短篇の作品の執筆を行っている。完成した暁には何らかの賞に応募してみようと思っている。もっとも私は賞だとか競争だとか、そういった者には縁遠い人間であるから、おそらく、いや、ほぼ確実に受賞しないだろうと思っている。それでもやはり、自分の書いた物語が誰かに届いてほしいと願わずにはいられないのだ。きっと、世の中にある文学賞に応募して受賞できるのはとてつもなく低い確率であろうと思われる。それでも、そんな確率にかけてみたいのだ。

 いつか作家として生計を立てられたら? 

 馬鹿な妄想が顔を覗かせた辺りで今日は書くのを止す。

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