第14話 食べたい
アヤメは、布団の上で眠ったように目を閉じているお菊を見おろしながら、ため息まじりに口のなかの煙を吐きだした。いつものようには美味しく感じられない煙管を煙草盆にカンッとぞんざいにたたきつけ、まだ燃え残っている煙草を早々にすてて煙管をしまうと、お菊の顔をそっと覗きこんだ。
「かわいそうにね・・・」
美しくととのった眉をひそめながら、アヤメはお菊の白い顔にかかっていた数本の髪をそっと払ってやった。
キットクル子をはりきりすぎてつかれていたところへ、皿屋敷の即時閉鎖とそこからの退去を言い渡されたものだから、お菊はショックのあまり卒倒したものと思われた。倒れたお菊をアヤメが抱きかかえて自分の部屋へ運び、ジーナに布団を敷かせ、そこにそっと寝かせたのだった。
「今はとにかくゆっくり休みな。あたいが看ててやるからさ」
聞こえているかはわからないが、アヤメは微笑みながらお菊にそう語りかけた。
「お菊ちゃん、大丈夫なの~?」
背後でさびしそうに流れた助六の声に、アヤメはふりかえってうなずいた。
「ちょいとつかれちまったのさ。でも大丈夫だよ。今日はこのまま休ませてやろう」
「そうだね~。お菊ちゃん、たくさんの人をこわがらせてたもんね~。すごかったな~」
「あんたはどうだったんだい?」
「ぼくは、『やばくな~い?』とか『まじうける~』とか言われた~。どういう意味かな~」
「・・・ま、かくれずに堂々と客前にでてたんなら、ほめてやるよ」
アヤメは立ちあがると、シスターの衣装からいつもの花魁姿へ着がえをはじめながら、もうひとりの仲間を気にかけた。
「ところで、ジーナはどうしてる?」
「自分の部屋にこもってる~。ノックしてもあけてくれないんだ~。またゲームなんじゃないかな~」
「そうかい・・・」
アヤメはジーナのことも心配だった。
映画のキャラクターのコスプレで客を集めようと提案したのはジーナである。結果として、それが日鷺院那乃の逆鱗にふれ、皿屋敷の閉鎖とアヤメたちの退去を早めてしまったわけだが、そんな事態になったことをジーナが自分のせいだと思いこんでいなければいいのだが・・・。
「ねえねえ、アヤメさん。明日もたくさんの人がきてくれるといいね~」
状況を理解できていない様子の助六からでた無邪気な言葉に、アヤメは思わず帯をむすんでいた手をとめた。「もう、きやしないよ」と答えて簡単に終わるはずの会話だったが、そう言いきってしまえるほどにはアヤメもまだ現実をうけとめきれていないのだ。
「アヤメさん、どうしたの~?」
急に動きをとめて黙りこんだアヤメを不審に思ったのか、助六が不安そうにたずねてきた。
「ああ・・・ごめんよ。ちょいと考えごとしててね」
「明日の朝ご飯のこと~?」
「・・・ま、そんなとこだね。それより──」
帯紐をキュッとむすんで着がえおえたアヤメは肩ごしに助六を顧みた。
「あんたもつかれたろ? もうお休みよ」
「うん。ももちゃんと一緒に寝よ~っと。おやすみ~」
「からん、ころん」という助六の下駄の音の再現が遠ざかっていき、やがてアヤメの部屋は静寂につつまれた。日中、大勢の客がつめかけてきて賑やかだった皿屋敷が、今は嘘のように静まりかえっていて、ひとりぽつんと残されたような寂寥感にアヤメはおそわれた。
「祭りのあとってのも、静かで悪くないね・・・」
そう強がって笑おうとしたアヤメの頬を、不意にあたたかなものが伝いおちた。自分でもおどろき、手のひらでそれを払うが、払っても払ってもそれはとめどなくあふれてくる。
アヤメは払うのをやめて畳の上にしゃがみこんだ。
「あたいら、いったいどうしたらいいんだい・・・無明さま・・・」
お菊が眠っている布団の隣でうずくまるようにして両膝をかかえ、その両膝に顔をうずめると、アヤメはさめざめと肩を震わせた。
ふと気づくと、窓からこぼれる白い光が部屋のなかをうっすらと照らしていた。
アヤメは目をこすりながら自嘲ぎみに頬をゆがめた。
「まいったね・・・寝ちまったのかい、あたい・・・」
看病してやると宣言しておきながら眠りこけた自分の不甲斐なさにあきれつつ、お菊が寝ている布団を見る。だがそこにお菊はおらず、敷布団が綺麗にたたまれており、お菊にかけてやっていた掛布団はアヤメの体にかけられていた。
上体をおこしたアヤメは、皿屋敷の外から箒で地面を掃いている音がかすかにきこえてくることに気がついた。
「あの子、まさか・・・」
毎朝、皿屋敷の周辺を掃き清めるのがお菊の日課であったが、昨日、倒れた体でさっそく日常にもどろうとするお菊がアヤメは心配になり、そそくさと立ちあがると箒の音がしている皿屋敷の外へむかった。
そこでは、菊の花が美しく染めつけられた白い着物姿にもどったお菊が、朝日のなかでこちらに背をむけ、竹箒をせっせと左右に動かしていた。
「あんまり無理すんじゃないよ、お菊」
アヤメは近づきながら優しく声をかけた。
「もう一日、ゆっくり休んだらどうだい? どうせもう皿屋敷には──」
「見てください、アヤメさん。朝日がとってもきれいですよ?」
お菊はふりかえらず、アヤメに背をむけたまま竹箒を動かしつつ、昇りはじめた太陽でほんのりと白んだ東の空を見あげていた。
アヤメも同じ方角を見あげてみたが、すぐに目を瞬かせた。
「あたいには、ちょいとまぶしいねえ」
「朝露に濡れた草木が光に照らされてキラキラと輝いて、こういうのを見てると、今日も一日、がんばろうって思えるんです」
「そうは言うけど、昨日、倒れたばっかりなんだし、つかれだってまだ残ってるだろ? いつもどおり朝から掃除することはないんじゃないのかい?」
「いつもどおりでいたいんです・・・」
今まで明るく弾むようだったお菊の声が、突如、さびしそうに暗く響いた。
「いつもどおりに掃除して、いつもどおりにご飯のしたくをして、いつもどおりにお客さんをむかえる準備を・・・したいんです・・・」
竹箒がとまり、お菊の両肩が小刻みに震えだす。
「お菊・・・」
あえて普段とかわらないように過ごすことで、お菊は重すぎる現実に押しつぶされそうな心を懸命にささえているのだろう。
肩を震わせながら必死に耐えている少女の背中が不憫であり、また健気にも思え、そんなお菊を楽にしてやりたい一心でアヤメは努めて明るい声をだした。
「なあに、ここをおいだされたって、新しい家をさがしゃいいのさ。またみんなで暮らせる、第二の皿屋敷をね」
「それじゃダメなんです!」
竹箒を手放し、くるりとふりかえって黒髪を散らしたお菊がアヤメの胸に飛びこんできた。
「わたし、ここをはなれたくない! よそへなんかいきたくない!」
抱きとめたアヤメの腕のなかで、お菊が涙ながらに訴えてくる。それは、お菊が見せた初めての我がままだった。
「わたし、どこへもいかない! ここで無明さまのお帰りをまつの! だってここが無明さまのお家なんだもん! そうでしょ? アヤメさん!」
あとはただ泣きじゃくるだけのお菊を抱きしめながら、アヤメはぽつりとつぶやいた。
「無明さまの・・・家・・・」
あたりまえすぎて意識すらしていなかったことを、アヤメはお菊からあらためて教えられたような気がした。アヤメたちが皿屋敷を手放すということは、無明が帰ってくる場所もなくなるということなのだ、と。
仮にアヤメたちが新しい家を見つけられたとしても、三十年前に全国行脚へでかけて以来、一度たりとも連絡をよこしてこなかった無明には移転先を伝える術がないのである。つまり、皿屋敷をでていくということは、もう二度と無明に会えなくなることを意味するのだ。
アヤメは、お菊をギュッと強く抱きしめた。お菊をなぐさめるためではない。そうすることでしか、無明に再会できなくなるという絶望で打ち震える自分を支えられそうになかったのだ。
ひっくひっくとしゃくりあげるお菊の背中をさすってやりながら自分の無力さに嫌気がさしていたアヤメは、ふと視線をあげたはるか先にジーナがいることに気がついた。
彼女は近所にあるコーヒーカップの柵にもたれかかり、黒いスウェットのポケットに両手を突っこみながら、遠くにある事務所ビルを思いつめたような表情でジッと見あげている。
(ジーナ・・・)
いつからそこにいたのだろうか。そんな疑念を脳裏によぎらせながらアヤメが見ていると、その視線に気づいたジーナがアヤメと目をあわせた瞬間、気まずそうに顔をしかめ、皿屋敷の裏手にある庭のほうへそそくさと歩みさっていった。
(あいつ、まさか・・・)
ジーナが皿屋敷の裏手へと姿を消したあと、アヤメは胸騒ぎをおぼえ、彼女が見あげていた事務所ビルに視線を移した。あのビルを見つめるジーナの目つきが、まるで獲物を射すくめているかのようであった、と・・・。
「菖蒲園ゆうえんち」が閉園してまだ間もない夜──。
ジーナは自室の扉をそっと閉めて廊下にでると、足音を忍ばせながら裏手の庭にむかった。庭にでると、入口にいる新三郎に見つからないよう、皿屋敷を大きく迂回してコーヒーカップをめざした。
そこにたどりつくと、遠くでそびえ建つ事務所ビルを睨みつけるように見あげた。ビルの最上階にはまだ明かりが灯っており、その部屋の主がまだいることを教えてくれていた。
それを確認すると、ジーナは迷いのない足どりでまっすぐ事務所ビルをめざした。
ところが、皿屋敷と事務所ビルの中間付近まできたところで足をとめることとなった。前方の薄闇のなかにだれかが立っているのである。最初は警備員かと思い内心で舌打ちしたジーナであったが、ちがった。
「こんな時分に、どこへいこうってんだい?」
「アヤメ・・・」
花魁姿のろくろ首が、煙管ももたずに胸の前で腕を組み、ジーナの行く手をさえぎるようにして立っている。
ジーナはそっぽをむいて、ぶっきらぼうに答えた。
「ちょっと散歩」
「事務所ビルまでかい? この時間なら、まだあの女がいるかもしれないからねえ」
アヤメの口ぶりは、すべてを見透かしているかのようであった。アヤメが言う「あの女」が日鷺院那乃を指しているのは明白で、ジーナの目的はまさしくその女だった。
ごまかしたところで無益だと悟り、観念して白状することにしたジーナは気負わずに、食事のメニューを告げるような感覚でさらりと言った。
「あの女を食う」
「・・・んなこったろうと思ったよ」
「なら話が早いわ。そこをどいて」
「無明さまとの誓いはどうすんだい?」
アヤメのこの問いかけは、ジーナ自身が自分のなかで何度もくりかえしてきたことだった。だから、自問自答の末に導きだした回答をそのまま教えてやった。
「無明さまのために食うの。あの人の家を守るためにね」
「やっぱり聞こえてたんだね。お菊の言葉が・・・
冗談めかすアヤメにつきあわず、ジーナは真顔で穏やかに告げた。
「あたしがあの女を食って、あの女に
「かわりに、あんたが皿屋敷からいなくなっちまう。だろ?」
問いつめるようなアヤメの眼差しをうけて、ジーナは自嘲ぎみに口もとをゆがめながら肩をすくめた。
「お菊たちにはさ、あたしはこの遊園地に嫌気がさしてでていったって言っといてよ」
「おことわりだね」
考えるそぶりも見せず即答するアヤメの声に容赦はなかった。
「人を害してまでして皿屋敷を守ったところで、無明さまはよろこんじゃくれないよ」
「あたしはケジメをつけたいの」
「なんのだい?」
「決まってるでしょ。こうなってしまったことのよ・・・」
有名な映画のキャラクターにあやかれば人はやってくると計算して実行した作戦は、だが、日鷺院那乃につけこむ隙をあたえただけだった。人間の法に無知だった自分の落度もゆるせなかった。ジーナ自身がよかれと思ってやったことは、結局、最悪の結果をもたらしてしまったのである。そのことにジーナ自身が耐えられなかった。
その自責に加えて、アヤメの腕のなかで悲痛に訴えていたお菊の声が今もジーナの耳からはなれないのである。自分は無明さまの帰る家を台無しにしてしまったのだ、と。
「ふん。自惚れんじゃないよ」
アヤメの凛とした声がジーナを嘲るように響く。
「ひとりで皿屋敷をしょってるつもりかい? だれがあんたに責任をとれなんて言ったよ」
「・・・・・・」
ジーナが黙りこんでいると、アヤメが表情と声音の両方をゆるめて、いたわるように見つめてきた。
「それどころか、お菊も助六も新三郎も、みんな活き活きとしてたじゃないか。そんなこと、今までの皿屋敷であったかい? みんなあんたに感謝こそすれ、恨んでなんかいやしないよ」
「・・・・・・」
おそらくはアヤメの言うとおりなのだろう。みんな能天気なほどにいいやつばかりだから、皿屋敷にジーナを責める者などひとりもいないのはわかっている。
だが、だからこそつらいのだ。自分が不幸にしてしまった仲間たちに甘えてのうのうとしているなど、ジーナには我慢ならないことだった。
ジーナは、これ以上、話しあったところで互いに納得できる結論にはいたらないだろうと判断し、邪魔するなら容赦しないという決意をこめてアヤメを睨みつつ、ゆっくりと歩みを再開した。
「あたしひとりがいなくなるだけ。あたしひとりが無明さまとの誓いを破るだけ。皿屋敷を守れるのなら、あたしはそれでかまわないッ」
「やれやれ──」
ジーナの闘志を察知してか、アヤメも首を軽くまわして伸ばす準備をはじめた。
「聞きわけの悪い女だってのは知ってたつもりだけど、よもや、ここまでわからず屋だったとはねえ・・・」
「それはこっちのセリフ」
ジーナも両手の指から爪を生やしはじめる。その一本一本が湾曲した鉤爪で、この鉤爪一本のひとふりで人間のはらわたまで容易に切り裂けた。口のなかの牙はすでに準備ができていて、上顎の犬歯が肥大化して唇をおしやり、外にまではみだしてきている。
アヤメが頭をゆっくりと左右にふりながら首を伸ばしはじめた。頭をゆらすことでジーナの狙いをさだめにくくした上で、隙あらば一気に頭を飛びこませるつもりのようだ。
だが、ジーナが狙っているのはアヤメの頭ではなく、胴体だった。アヤメが口でかみついてくるにせよ、長い首で蛇のように絞め殺しにくるにせよ、彼女はその頭をジーナにむかって飛びこませなくてはならない。その時、彼女の胴体はガラ空きとなる。アヤメの頭をかいくぐり、彼女の懐に飛びこむことさえできれば、隙だらけの彼女の心臓に一撃をたたきこんで勝敗を決することができるのだ。
(殺すの? アヤメを・・・)
自分がアヤメを殺す算段までしていることにジーナはおどろき、じりじりと間合いをつめていた足をとめてしまった。
その迷いを、アヤメは好機とみたようだ。素早く首を伸ばし、ジーナの喉もとにむかって頭を飛ばしてきた。
不意をつかれたジーナはとっさに右手をくりだして、アヤメの頭をつかみにかかる。
が、アヤメの頭はそれをひょいとかいくぐり、まっすぐ伸びきったジーナの右腕を軸にぐるぐると頭をまわして首を巻きつかせ、たちまち絞めあげた。そうやって腕の自由を奪ったあと、なおも首を伸ばしてジーナの喉にかみつこうとする。
伸びかけたその首をジーナは左手でわしづかみ、首の肉に五本の鉤爪を突き立てた。
「そこまでよ。それ以上、首を伸ばしたら、あたしの爪があなたの首を断ち切って、それでおわり」
「やってごらん。その前にあんたの喉笛をかみちぎってやるからさ」
両者とも互いに致命打をあたえられる体勢のまま動けなくなった。
ジーナが左手の鉤爪をわずかでも動かした瞬間、アヤメはジーナの喉に食らいついてくることだろう。
同じくジーナも、アヤメが少しでも首を伸ばそうものなら、即座に鉤爪で彼女の首と頭を切断する心構えができている。
それでもジーナは動けなかった。やられる前にやる自信がないのではない。アヤメが動いてくれないから、ジーナも動けないのだ。アヤメが動いてくれれば、理性でなく本能で動けるのに。
おそらくアヤメも同じなのだろう。それでも両者が動かないのは、互いの理性がこの戦いを結末までもっていきたくないからだった。
ジーナは問わずにはいられなくなった。
「あの女が憎くないの?」
「憎いさ。けどね、ここであんたに無明さまとの誓いを破られたんじゃ、あたいは自分のほうを憎むようになっちまうだろうよ」
「なんで・・・あたしのためにそこまで──」
「あんたのためじゃないさ」
アヤメがジーナの言葉をさえぎり、まっすぐ見つめてくる。
「あたいはね、あたい自身に誓ってるんだよ。無明さまが帰ってこられるまで、皿屋敷の面々をだれひとり欠けさせやしないってね。だってそうだろ? あたいらはもう家族も同然なんだから。家族のなかに、いなくなってもいい者なんて、ひとりだっていやしないのさ・・・」
「アヤメ・・・」
ジーナは目を見はった。ジーナの右腕に長い首を巻きつけて目と鼻の先にあるアヤメの顔が、ジーナを見つめながら滔々と涙を流しはじめたのだ。
それを見た瞬間、ジーナの全身から力がぬけていった。牙と爪が意識せずとも体のなかへおさまっていく。闘争本能が減衰した証拠だった。
それを感じとったアヤメのほうも、ジーナの右腕を解放して首を縮めた。そして頭の位置をもとにもどすと、鼻をすすりながら乱れた日本髪を手櫛でなおし、着物の袖で涙をさっと拭きとったあと、なにごともなかったかのような明るい声でうながしてくる。
「さ、帰るよ。あんまりおそいとお菊が心配すっからね」
「・・・・・・」
かけがえのない家族だというアヤメの言葉はうれしかった。だが、それでも皿屋敷をうしなうという現実はかわらず、そのことが心にひっかかってジーナは素直によろこべなかった。
アヤメが、そんなジーナの苦悩を察したように微笑みかけてくる。
「お菊にも言ったけど、家はさがしゃいいのさ。新しい家が見つかったら、毎日みんなでこの遊園地にこようじゃないか。無明さまが帰ってこられたか、それをたしかめにね」
「それで・・・本当にいいの?」
アヤメが心から納得した上での発言なのか。本心では皿屋敷をうしなう原因をつくったジーナを恨んでいるのではないか。
そんな後ろめたさをこめたジーナの問いかけに、アヤメは迷わず即答した。
「肝心なのはみんなが一緒にいることさ。今までだってそうしてきたろ? これからもそうであってほしいと、あたいは願ってるよ」
「・・・・・・」
おそらく、皿屋敷をでていかなくてはならない現実をアヤメ自身がまだ消化しきれていないはずである。それなのに、彼女はそんな不安や悲しみはおくびにもださず、それどころかジーナを懸命に励まそうとしていた。
(かなわないな・・・この女には・・・)
ジーナは心から負けを認めた。ひとりで自棄をおこして暴走しかけていた自分がひどく矮小に感じられる。だが、不思議とアヤメの前ではそう感じられることが不快ではないのだった。
「あなたを食ったら、さぞや美味しいんだろうね」
これは、貉が用いる最上級のほめ言葉である。貉は本来、これと見初めた相手しか食べないのだ。この人のようになりたい。そう願った時にだけ食指が動くのである。
ところが、言われた当人は言葉どおりにうけとってしまっていた。
「な、なんだいッ。あたいを食うだって? まだやろうってのかい!」
あわてた様子で身構えるアヤメを見て、ジーナは思わずプッと吹きだしてしまった。
それすらもアヤメは勘ちがいした。
「その笑い・・・さては、なにかたくらんでるね?」
そう決めつけて警戒しているアヤメを尻目にジーナはゆっくり踵をかえすと、スウェットのポケットに両手を突っこみながら皿屋敷への帰路についた。
「背中を見せて油断させ、あたいを誘ってんだろ? そうはいかないよ! 絶対、あたいからはしかけないからね! そっちからかかってきやがれってんだ! コラッ、聞いてんのかい! ジーナ!」
背後で意味不明なことをわめき散らしているアヤメの声を耳にしながら歩みを進めるジーナの口もとには、本当に守るべきものはなにかを知ったよろこびで穏やかな笑みがひろがっていた。
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