第4話 足りません・・・
お菊はジーナに連れられて、ひさしぶりに陽の光のもとにでた。
早朝に皿屋敷の周辺を掃除することはあっても、日差しが強くなる真っ昼間に外出することはなかったお菊である。
「お日さまが痛い・・・」
歩きながら片手を額にかざして日差しをさえぎるお菊に、ジーナが苦笑をむけてきた。
「たまには昼間にも外出したほうがいいよ? 助六とちがって、お菊はパッと見、十三、四の女の子にしか見えないんだし、怪しまれることはないんだからさ」
「そ、そうでしょうか・・・」
ジーナの意見にお菊が同意できなかったのは、なんとなく周囲の人間たちからチラチラと視線をそそがれているような気がするからだった。
この日も「菖蒲園ゆうえんち」は盛況だった。
土曜日ということもあってか、休校、もしくは午前で授業をおえた若者たちや、ちらほらと咲きはじめた菖蒲の花を愛でようとやってきた近隣のお年寄りたち、あるいは小さな子供を連れた家族で園内は混雑とまではいかない、ほどよい活況を呈している。
そんな人間たちとすれちがうたびに、お菊は自分がチラチラと見られているような気がして、恥ずかしさのあまり、うつむき加減になってしまっていた。
薄暗い皿屋敷のなかでひとりやふたりの客から見られることにはなれているお菊も、白昼に大勢の人から視線をそそがれることにはなれておらず、自意識過剰かな、と思うと余計に恥ずかしくなった。
「そりゃ、ジロジロ見られるのはしょうがないよ」
ジーナが、周囲からそそがれる視線の種あかしをしてくれた。
「祭りや祝いごとみたいなイベントがあるわけでもないのに、今どきの日本で、しかも遊園地で、着物姿の女の子って普通は見かけないからね」
ジーナの指摘のとおり、お菊は白い着物をまとっていた。着物には黄色や桃色の菊の花がうっすらと染めつけられていて、帯だけが鮮やかな紅色だった。おまけに足袋と草履まで身につけた本格的な和装である。
「たぶん、なにかのコスプレだと思われてる」
「こす・・・ぷれ?」
「自分とは異なる別人になりきる、人間たちの遊びのこと」
「そんな遊びが・・・」
不思議な遊びがあるものだとお菊が感心していると、ジーナが口もとに自虐的な笑みを浮かべた。
「ま、かく言うあたしも、ある意味、レイヤーなのかもね」
「れいやー?」
「コスプレしてる人のこと」
これを聞いて、お菊はなんとなくジーナの言わんとしていることがわかった。
(そういえば──)
ふと、お菊の脳裏に疑問がよぎる。
(わたし、ジーナさんの本当の姿って見たことない・・・)
そんなことを考えながらジーナの横顔を見つめていると、その視線に気づいたジーナが真顔で弁明してきた。
「言っとくけど、無明さまと出会ってからは、まだ誰も食ってないからね」
人を傷つけてはならない。そんな無明との約束を破っているのではないかとお菊が疑っている。ジーナはそう勘ちがいしたようだ。
ジーナを疑ってなどいないお菊は、それでも冗談めかしつつ念をおした。
「わかってますよ。でも『まだ』食べてない、じゃなくて『これからも』食べちゃダメ、ですからね?」
「やれやれ・・・無明さまがいなくても、お目付け役がこうもきびしいんじゃ、食べたくても食れないじゃん」
本気とも冗談ともつかないジーナの嘆きにお菊が肩をゆらして笑っていると、不意に彼女が前方を指し示した。
「ほら、見えてきた。あの店よ。あたしがかけもちしてるバイトのひとつで、お菊に紹介するつもりの店は」
そこには、日本の城をかわいらしくデフォルメした外観の建物があった。丸みを帯びたシルエットとポップな色彩のせいで本来の城がもつ威厳や武骨さはまったくなく、かわりに親しみやすさと愛らしさが強調されている。
「わあ! かわいいお店ですね。なんのお店です?」
「グッズショップ。この遊園地のマスコットキャラクターはお菊も知ってるでしょ? それ専門のグッズショップ」
「ああ! 菖蒲侍のことですね!」
お菊は、大好きなキャラクターが話題にのぼったことで声を弾ませた。
菖蒲侍とは、擬人化された菖蒲の花が日本の甲冑をまとって「いざ、じんじょうに、しょうぶ、しょうぶ~」と啖呵をきりながら悪人を成敗するという設定の、「菖蒲園ゆうえんち」のメインマスコットである。他にもカキツバタ姫や悪代官タンゴなどのキャラクターがいて、彼らとのドタバタ劇を描いたショートアニメが園内で放映されていたりもする。
だが、ジーナはお菊ほどには盛りあがっていなかった。
「菖蒲侍が『しょうぶ、しょうぶ』って・・・くっだらないダジャレなんだけど、どういうわけか、あいつらのグッズって人気なのよね。グッズの種類もやたらと多いし」
これを聞いてお菊は胸をときめかせた。
「わたし、菖蒲侍の紙皿とかあったら買っちゃうかもです!」
「んなものはない」
「ないんですか・・・」
ジーナにぴしゃりと断言され、ときめきをあっさりと吹き消されたお菊はしょぼくれた。
「じゃ、いくよ、お菊」
ジーナにうながされ、お菊はあわてて気もちをきりかえた。三回、深呼吸をくりかえしてから力強くうなずく。
「はい!」
「そんな気張らなくても大丈夫だって」
苦笑を浮かべるジーナの背中をおって、お菊はポップな外観のお城のなかに足を踏みいれた。
初めて訪れた店内の様子に、お菊はふたたび胸をときめかせた。
Tシャツやキャップ、着ぐるみといったアパレルから、ぬいぐるみ、おもちゃ、文具、絵本やマンガ、バッグやアクセサリー、クッションなどなど、菖蒲侍と彼の仲間たちのイラストやアイコンがプリントされたグッズが所せましとならべられていて、好奇心を強く刺激されたお菊の視線は四方八方へとふりまわされた。
「すごいです、ジーナさん! これ、悪代官タンゴの抱き枕ですよ!」
「だれが抱いて寝たがるの? そんなヒゲもじゃのオッサンがプリントされた枕を・・・」
「見てください! こっちにはカキツバタ姫が愛用してる2丁拳銃のおもちゃがありますよ!」
「世界観、どうなってる・・・」
「わあ! このエプロン、アニメの第1話で甲冑を盗まれた菖蒲侍が裸で着てたエプロンとそっくり!」
「1話目からぶっとんでるそのアニメ・・・遊園地で放送して大丈夫なの?」
興奮ぎみのお菊とは対照的にアニメを見たことがない様子のジーナは終始、ドン引きしていた。
「お菊。普通の皿ならあるよ、ほら」
食器コーナーにさしかかった時、ジーナがそう教えてくれた。
が、お菊はジーナの指先にある陶磁器の皿をチラッと一瞥しただけですぐに他の商品へ視線を移し、そっけなく応じた。
「割れるお皿はきらいです」
「え?」
「お皿はやっぱり紙に限りますから」
人間たちが発明したもののなかで紙皿ほどすばらしいものはない、と、お菊は心から思っている。自動車や飛行機、あるいはコンピューターを見ても今ひとつそのすごさにピンとこなかったお菊も、絶対に割れない紙皿と出会った時などは「その手があったか!」という、おどろきと感心で全身に電流が走ったかのような感覚を味わったものである。
皿を割ってしまったことが原因で井戸に身投げしたお菊としては、「あのころにも紙皿があったら・・・」と考えざるを得ず、紙皿との出会いはそれほどまでに感慨深く、感動的だったのだ。以来、お菊は私生活でも仕事でも紙皿を愛用するようになった。
そんなお菊にとって、たとえ割れにくさを売りにしているプラスチック製や木製であろうとも、割れたり欠けたりするかもしれない可能性が1パーセントでもある以上、使うどころか関心すら寄せるには値しないのである。
「あ、そ・・・」
お菊の歪なこだわりにあきれたような返事をしたあと、ジーナは店の奥にいた店員らしい男性に声をかけた。
「店長。電話で話しといたあたしの友だち、つれてきたんだけど」
「あ、ジーナさん、ちょうどよかった。お客さん増えてきたから、その子と一緒にすぐレジにはいってくれる?」
「面接とかいいの?」
「いい、いい。きみの紹介なら信用するよ。あ、店長の樫本です。よろしくね」
最後のセリフはお菊にむけられたものだった。
黒縁メガネの、二十代後半と思われる店長から挨拶されたお菊は、緊張しながらも丁寧に頭を垂れた。
「は、はじめまして、菊と申します。ふつつか者ですが、なにとぞよしなに、おひきまわしのほどを」
「この子のこと、あたしらはお菊って呼んでるから、店長もそう呼んであげて」
ジーナのすすめに、樫本と名乗った店長は笑顔でうなずいた。
「じゃあ、お菊さんはジーナさんと一緒にレジにはいって、色々と教えてもらって。ぼくはバックヤードで発注と検品してるから、なにかあったら声かけてね」
店長の指示に従って、お菊はジーナと一緒にレジに立った。店内にみっつあるレジのうち、ふたつは別のバイトが担当してテキパキと客をさばいていた。
お菊たちのレジの前には「休止中」の札が立っているため客はこない。札をさげてレジを開放する前に、ジーナが接客のイロハを教えてくれた。
「商品についてる、このバーコードっていう縞模様をレジのスキャナで読みとるだけ。あとは画面に表示された金額をお客に伝えておわり。ね、簡単でしょ?」
「は、はい」
たしかにこれなら自分にもできそうだと、お菊はわずかながらも自信をもちはじめた。
その後も、ジーナから接客の挨拶と、お札の数え方や釣銭のわたし方、そして商品の大きさや形状にあわせた袋づめの方法を教わった。
「教えるべきことはこんなもんかな。じゃ、さっそく実践してみようか」
「も、もうですか?」
「習うよりなれろって、よく言うでしょ? じゃ、いくよ?」
ジーナはそう言って「休止中」の札をさげ、レジを開放した。
すると、さっそく商品を手にした男性客がお菊の立つレジへと歩み寄ってきた。
「・・・い、いらっしゃいませ・・・」
ささやくような声で挨拶をするお菊にジーナからダメだしがはいる。
「声がちいさい」
「い・・・いらっしゃいませ!」
顔を赤らめながらも大きな声で挨拶を言いなおしたお菊を、目の前の男性客は微笑ましそうに見守ってくれていた。お菊の胸のバッチに「研修中」の文字があるからだろう。
男性客がレジ前のカウンターに置いた商品は、箱に収められたカキツバタ姫のフィギュアだった。
フィギュアの大きさは二十センチほどで、姫の左右の手にはコルト・パイソンと呼ばれる回転式拳銃が一丁ずつあり、ふりむきざまに銃撃するポーズをとっている。身にまとっている着物の衽が大胆にひるがえって太ももがあらわになっており、それがこのフィギュアに躍動感をあたえていた。カキツバタ姫のことを知らない人でも、彼女が勇ましくて活発なキャラクターであることを容易に感じとれる、実に秀逸な造形であった。
(これはッ、第三話で姫が菖蒲侍と悪代官のちょんまげを同時に撃ち落とした時のポーズ!)
お菊のテンションがあがった。作中の印象深いポーズをみごとに再現したこの商品に感動し、また、数ある商品のなかからこの逸品を選んだ男性客の審美眼に深い敬意をいだく。
(粗相のないように、この方をおもてなししなくちゃ!)
お菊は感謝と敬意をこめて慎重にバーコードをスキャンした。そして教えられたとおりの接客をそつなくこなし、あとはだされた代金に対して釣銭を渡すだけとなる。
「四十円のおかえしですね」
お菊はレジからとりだした十円玉を四枚、客にも見えるようにして数えはじめた。
「ご一緒にご確認ください。十円玉が、いちま~い、に~ま~い、さんま~い──」
「こわいこわいこわい」
とっさにジーナがさえぎった。
「なんで声を震わせて恨めしそうに数えるのよ。お客さん、おびえちゃってるじゃん」
「へ?」
見ると、カキツバタ姫のフィギュアを買ってくれた男性客は表情を強張らせ、気味の悪いものでも見るような目つきでお菊のことを見ていた。
「す、すみませんでしたッ」
申しわけない気もちが心の底からあふれてきて、お菊は自分でも意識せずに勢いよく頭をさげていた。
「笑顔ね、笑顔。さ、もう一回」
ジーナにうながされ、お菊は笑顔を強く意識しながらもう一度、数えなおした。
「十円玉が、いちま~い、ンフ、に~ま~い、ンフフフ、さんま~い──」
「お、お釣りはいりませんッ・・・」
お菊が数えている途中で男性客はおびえたようにそう言うと、買ったばかりのフィギュアを胸にかかえてそそくさとレジからはなれていった。
「あ、あの・・・」
呼びとめるお菊の声もむなしく、男性客はふりかえりもせずに店をでていってしまった。
お菊は小首をかしげ、隣のジーナにたずねた。
「あの方、どうしてお釣りをもらってくれなかったのでしょうか・・・」
「それを考える前に、まず、あんたの顔にかかってる髪を全部なおそうか。髪の間から片目だけしか見えてないよ、今のお菊」
先ほど頭をさげた時に長い頭髪がバサリとおちてきて、それがお菊の顔面をおおってしまっていたようだ。笑顔で数えることに夢中だったお菊はそのことに気づいていなかった。
その後も、お菊が釣銭を数える段になると客が気味悪がってしまい、しかたなくジーナがかわりに数えるということがつづいた。
「あたしも笑顔は得意じゃないけど、お菊を見てるとマシなほうだったんだって気づけたよ」
皮肉ではなく、しみじみと感じいっている様子のジーナだった。
お菊は迷惑をかけっぱなしの自己嫌悪で肩をおとした。
「すみません・・・お皿を数える時のクセがどうしてもぬけなくて・・・」
「職業病みたいなもんか・・・ま、いいや。仕事はレジだけじゃないし。じゃあ、お客もだいぶ減ってきたから、お菊には店内の清掃でもしてもらおうかな」
モップとハタキを渡されたお菊は、水を得た魚のように、ようやく活き活きと立ちまわることができた。生前には旦那さまのお屋敷の、死後は皿屋敷の家事全般を仕切っていたお菊にとって、掃除は得意中の得意であり、なにより楽しい仕事だった。モップで床をせっせと磨き、商品にうっすらとつもっていた埃をハタキで払いおとしていく。
「面目躍如ね。さすがはもと召使い」
清掃しおえてすっかりきれいになった店内を見まわしながらジーナがほめてくれた。
「おつかれさん。じゃ、今日の最後の仕事にとりかかろうか」
気づけば、仕事をはじめてから三時間ほどが経過していた。この店での今日の仕事はもうおわりらしい。
「最後は、なにをするんですか?」
「レジのひきつぎ。次のバイトの子にレジをひきついでもらう前に、レジのなかのお金に過不足がないかどうかをチェックするの」
「また、数えるんですね・・・」
「お客を相手に数えるわけじゃないから平気よ。好きなだけ恨めしそうに数えちゃって」
茶化してくるジーナに、お菊はなにも言いかえせずに苦笑いをするしかなかった。
こうして、ジーナが小銭を、お菊がお札を数えることになったのだが、ここにきて大問題が発生した。
「ジ、ジーナさん、どうしましょう・・・お金が、足りません・・・」
「いくら?」
「一万六千円です・・・」
「は? うそでしょ?」
お菊にかわってジーナがなれた手つきでお札を素早く数えなおし、やがて表情を強張らせる。
「マジじゃん・・・」
一万円、五千円、千円それぞれのお札が一枚ずつ足りなかった。
お菊は声を震わせた。
「わ、わたし、どうなっちゃうんですか? 市中ひきまわしの上、打ち首獄門ですか?」
「時代劇の見すぎ。今の日本にそんな刑罰ないって・・・」
お菊の時代錯誤な錯乱に的確なツッコミをいれつつ、ジーナは困惑した表情でおさまりの悪い亜麻色のショートヘアをかきまわした。
「過不足はたまにでるけど、せいぜい数十円の範囲なんだよね・・・まいったな・・・」
「わ、わたし、盗ってません!」
「わかってるって。お菊がそんなことする子じゃないのはよく知ってるし、あたしも隣で見てたし。かといって、あたしがミスったおぼえもないんだよね・・・そもそも最近じゃ大抵の客が電子決済だから、レジからお金が頻繁に出入りすることもめっきり減ったし・・・なのにどうして・・・」
原因をさぐってあれこれと頭をめぐらせている様子のジーナであったが、だした結論は単純かつ堅実なものだった。
「とにかく、もっかい数えなおそう。今度はあたしがお札を数えるから、お菊は小銭のほうをお願い」
「は、はい」
お菊は言われたとおり小銭を数えはじめた。そして、愕然とする結果にふたたび声を震わせる。
「ジ、ジーナさん、助けてください・・・また足りないです・・・」
「そんな・・・そっちはさっきあたしが数えて問題なかったよ?」
「でも、足りないんです・・・」
今にも泣きだしたいのを必死にこらえつつお菊は事実を報告した。
「一円玉から五百円玉まで、それぞれ一枚ずつ足りません・・・」
「また一枚ずつ? どうなってんのよ・・・」
ジーナがジッとお菊を見つめたあと、突如、なにかに思いあたったかのような顔つきになり、訝しげな眼差しをむけてきた。
「お菊・・・あなた、ひょっとして──」
「盗ってません! 盗ってません!」
身の潔白を信じてほしくて、お菊はブンブンと思いっきり頭を左右にふって長い黒髪を散らした。
バッサバッサと暴れるお菊の黒髪をわずらわしそうに払いながらジーナが言った。
「いや、そうじゃなくて、あなた、もしかして──」
そこまで言いかけてジーナは口をとざした。かわりに、お菊の肩ごしのむこう側に鋭い視線を放って「まいったな」とつぶやく。
ジーナの視線をおってお菊がふりかえると、店のバックヤードからでてきた店長がこちらへ歩み寄ってくるのが確認できた。
「さすがに一万六千六百六十六円のマイナスは、ミスじゃすまされないだろうな・・・かくなるうえは、是非もなし、ね」
そう独り言ちたあと、ジーナは覚悟を固めたような決死の表情で自分の財布をとりだすと、そこから不足しているぶんのお札と小銭をレジに素早くいれた。
店長がお菊たちのもとにやってきたのはその直後である。
「やあ、ふたりとも、ご苦労さん。もう時間だね。どうだった? ここでの初仕事は?」
店長に問われたお菊は思わず口ごもってしまった。
「あ、あの、えっと・・・その、実は──」
「緊張したけど楽しかったって」
ジーナがしれっと助け舟をだし、店長はそれを信じて笑顔になった。
「そうか。それはよかった。で、レジのひきつぎはどうだった?」
「今、入力してるとこ・・・これで、よし。お釣りはいらないって言ったお客のプラス四十円以外、問題なし」
ジーナがレジの画面を見るようにうながすと、画面を覗きこんだ店長は納得したようにうなずいた。
「おお、実質、過不足ゼロか。優秀、優秀。じゃ、おつかれさん。また次もたのむよ」
「おっけー。じゃ、いくよ、お菊」
オロオロしているだけだったお菊は、店長に挨拶する暇もあたえられずジーナに手をひかれて店をでた。店をでてすぐ、ジーナの背中に声をかける。
「ジーナさん、自分のお金を?」
「うん、まあね・・・色んなゲームで夏イベ限定ガチャが近づいているこの時期に手痛い出費ではあったけど、あそこであたしやお菊が疑われてクビになって、貴重な収入源のひとつをうしなうほうが長期的にみてよっぽど痛いからね。やむなしよ」
「なんか、すみません・・・」
「謝ることないよ。それより、ほんとに自覚ないの?」
ジーナが立ちどまり、お菊をふりかえってまじまじと見つめてくる。
こわいほど真剣なジーナの眼差しに直面して、お菊はいやな予感におそわれ、おずおずとたずねた。
「・・・ひょっとして、わたし、無自覚に盗ってましたか?」
レジからお金を盗んだ記憶や意識は微塵もないが、もしかしたら極度の緊張のせいで、あるいは、皿屋敷を守るためには一円でも多く必要なのだという使命感から、無意識のうちに粗相をしでかしてしまったのではないか。そんな恐ろしい妄想にとりつかれてしまったのである。
だが、お菊はあわてて着物の左右の袖をヒラヒラとゆさぶって、みずからの発言を否定した。
「でもでも、わたしの袂には紙皿しか入ってません! お金なんて入ってません! 手をいれて確認してください!」
「疑ってるのはお金のことじゃないよ」
ジーナが真剣な眼差しのまま頭を横にふった。
「あたしが言ってるのは、お菊の特殊な力のほう」
「・・・わたしの、力?」
なんのことかさっぱりわからないお菊は、その心情をそのまま顔にだしてジーナを見つめかえした。
すると、ジーナが最初はあきれぎみに目を丸め、次いで納得したようにうなずいた。
「ほんとに自覚ないんだ・・・ま、あったらこんなにテンパってないか」
「な、なんのことです? わたしの力って・・・」
「皿屋敷に帰ってから話す。アヤメにも報告しておいたほうがよさそうだし」
「そ、そんなにおおごとなんですか?」
「あたしの読みが正しければ、けっこうなおおごとかな」
「・・・・・・」
こわいことを穏やかな口調でさらりと言ったあと、ジーナはくるりと踵をかえして皿屋敷への帰路についた。
ひとりおいてけぼりをくったお菊は、遠ざかっていくジーナの後姿を呆然と眺めながらぽつりとこぼした。
「帰るのが・・・こわいよぉ・・・」
ジーナが言及する、お菊の特殊な力とはいったいなんなのか。
知りたくもあるようで、知りたくもないような。
そんな異なる感情の狭間でゆれ動く乙女心を無視して「菖蒲園ゆうえんち」の空はゆっくりと朱色に暮れていった。
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