第2話 ひろいんなの!

 早朝から、「菖蒲園ゆうえんち」の敷地内に建っている事務所ビルの一階の、大きなホールに各アトラクションや店舗の責任者が集められていた。

 アヤメも番町皿屋敷の責任者としてこの場にやってきたのだが、厳密に言うとアヤメは責任者の肩書をもっていない。

「そういや、うちの責任者ってだれなんだろうねえ」と、アヤメ自身が首をひねるありさまだった。

 番町皿屋敷の主役は一応、お菊ということになってはいる。が、だからといって海千山千の大人たちを相手にした交渉を彼女にまかせるのは心もとない。

「なんだかんだ言っても、根っこは十三歳の小娘だからね」

 ではジーナはどうかというと、穏やかな口調と涼しげな表情から一見しただけではわからないが、あれで案外、血の気が多く、すぐに喧嘩腰となるため、交渉や話しあいではまとまるものもまとまらないだろう。

 唐傘小僧の助六にいたっては、その容姿と子供っぽさから論外である。

「となると、やっぱりあたいしかいないんだよねえ、これが・・・」

 しぶしぶとそう結論づけるアヤメだが、本心はまんざらでもないのだった。

「美貌と知性を兼ねそなえたこのあたいが、あの子らをひっぱって皿屋敷を盛りたてていくしかないね」

 という具合に自画自賛しながらホールに足を踏みいれたアヤメは、たちまち大勢の同僚から声をかけられた。

「おはよ、アヤメちゃん!」

「今日のお着物もステキね、アヤメさん」

「よ! 菖蒲太夫」

 などと囃したてる者もいれば──。

「アヤメさん、今度の週末、着物の着つけ、お願いできる? 友だちの結婚式に着ていきたいのよ」

「あいよ。まかせときな」

「アヤメちゃん、今度はうちのレストランに寄ってくれよ。ご馳走するからさ」

「そうかい? んじゃ、お言葉に甘えようかね」

 などと、たのみごとや誘い文句まで飛びだして、それらに笑顔でひとつひとつ答えるアヤメの周囲は一気に華やぐのだった。

 彼らはみな、ろくろ首のアヤメのことを二十歳くらいの人間の女性としか思っていない。

 それは大変な苦労の末の成果だった。

 どんな苦労があったかというと、お化けのアヤメは歳をとらないのである。だから、なにも策を講じないでいると、たちまち人間たちに怪しまれてしまう。

 そこで思いついたのが「アヤメ襲名大作戦」だった。

 説明しよう。「アヤメ襲名大作戦」とは、化粧を駆使して少しずつ歳をとっているように見せかけ、二十五歳あたりを目途にふたたび二十歳の化粧にもどす、というものである。なぜ二十五歳でもどすのかというと、それ以上は老けて見られたくないからである。

 そして、アヤメという名前は先代のろくろ首役から襲名したということにして、先代とは別人の二十歳のアヤメを演じなおすのだった。化粧を工夫し、着物をかえてしまえば、これが結構、バレないのである。この襲名を五年周期でくりかえしているので、今のアヤメは九代目ということになっていた。

「よ! 九代目!」

「先代もよかったけど、九代目も、またちがった華があっていいねえ」

 そのように言ってくれる同僚たちに笑顔をむけながら、アヤメは「初代からずっとあたいだよ」と内心で舌をだしているのである。

 そんなわけで、アヤメは本物のろくろ首であることを悟られることなく、美人できっぷがいい、たよれる姐御として同僚たちの間で花形となっているのだった。

 アヤメが空いている席をさがそうと視線をさまよわせた矢先、アヤメのことを手招きしている人物が視界に飛びこんできた。中年の女性で、見知った顔だった。

 アヤメは招かれるままに近づき、挨拶した。

「木戸さん、おはよ。腰痛はもうなおったのかい?」

「うん、もうバッチリ」

 コーヒーカップを担当している木戸という名の女性だった。番町皿屋敷とコーヒーカップが隣近所ということもあって、よく顔をあわせる間柄である。

「そんなことより、聞いた? アヤメちゃん」

 アヤメが彼女の隣の席につくなり、木戸はそう切りだしてきた。

「なにをだい?」

「新しいオーナーの噂よ」

「いや、ちっとも聞かないねえ。どんな噂なんだい?」

 噂の中身に興味はなかったが、社交辞令でアヤメはそう促がした。

「なんでも、倒れたオーナーのお孫さんらしいわよ。ほら、日鷺院ひろいんグループの女社長。たまにテレビとか雑誌でとりあげられたりしてるじゃない。まだ若いのに次々と事業を成功させてる敏腕社長とかなんとかいってさ」

「ふ~ん」

 人間たちの経済活動に興味がないアヤメには初耳な話だった。「菖蒲園ゆうえんち」が日鷺院グループという大企業の傘下にあるのは知っていた。が、人はいいが昼行燈みたいだった老オーナーに、切れ者の孫がいたというのは意外な思いがするアヤメであった。

「ま、切れ者だろうが、木偶の坊だろうが、へんにひっかきまわしてくれなきゃ、それでいいけどね、あたいは」

 おそらくこの発言はアヤメのみならず全従業員に共通した思いであったろう。今のところ「菖蒲園ゆうえんち」はうまくまわっているのだから余計なことはしないでほしい、と。

 だが、彼らの願いは早々に裏切られることとなる。

 突然、黒服姿の男たち数名に囲まれて、真っ赤なスーツに身をつつんだ若い女性がヒールをカツカツと響かせながらホールに足を踏みいれてきた。

 その瞬間、従業員たちの呑気な世間話でざわめいていたホールがシンと静まりかえる。

 あの物々しい黒服の男たちと赤いスーツの女は何者で、これからなにがはじまるのか、全従業員が固唾をのんで見守っていた。

 女は栗色の長い髪を結わえずに背中まで垂らし、ととのった目鼻立ちの顔をひかえ目な化粧で飾っていた。年齢は二十代半ばといったところか。 目もとに他者を睨みつけるような険があり、それが近寄りがたい印象をあたえているが、同性の審美には厳しいアヤメの目にも「悪くないじゃないか」と映る美貌であった。もっとも、この評価には「あたいとくらべたらまだまだ、だけどね」という余裕が多分にふくまれている。

 壇上にあがったその女は、黒服のひとりからマイクを手渡されると、顎をややもちあげながら声を凛と響かせた。

「おはようございます。このたびは、急なお呼びたてにもかかわらず、朝早くからお集まりいただき、ありがとうございます」

 感謝の言葉を述べるわりには会釈すらしない女を見て、アヤメは彼女をきらいになることに決めた。

 そんなアヤメの人物評などおかまいなしに、女の声はつづく。

「まずは自己紹介をさせていただきます。わたくしは、日鷺院グループのCOOならびに国内事業部ゼネラルマネージャー兼ディレクター、さらには、あなたがたにご説明してもピンとこないであろう多くの肩書を有している、日鷺院那乃なのと申します」

 ホール内がざわめいた。たしかにピンとこなかったのである。

「ようするに──」

 日鷺院那乃があきれたような口調で言いなおした。

「療養している祖父になりかわり、日鷺院グループを統括する立場にある、ということです。そして、それはすなわち、わたくしがこの遊園地のオーナーに就任したということを意味します」

『おお~』

 今度はホール内にどよめきがひろがった。やっとみんな理解したのである。

「本日、みなさまにお集まりいただいたのは、オーナーとしてのご挨拶のほかに、もう一点、当遊園地における経営方針の重大な変更を申しあげるためです」

 ふたたびホール内がざわめく。今度は不安からだった。

 それが静まるのをまってから、日鷺院那乃は口をひらいた。

「率直に申しあげて、当遊園地の売上は極端に低いと言わざるを得ません。みなさんのなかには、いつも大勢のお客さまで賑わっているのだからそんなはずはない、と、お思いの方もいらっしゃるでしょう。ですが、安い入場料と低すぎる経営目標のせいで、ひかえ目に申しあげても、広大な土地を利用した事業のわりには成功していると呼べるほどの利益をあげられておりません」

「なんだか小難しい話になってきたねえ。あたいにはチンプンカンプンだよ」

「アヤメちゃん、しッ。聞こえちゃうって」

 うんざりしたアヤメの声が大きかったせいか、隣の木戸に小声でたしなめられた。

 が、アヤメは聞こえるように言ったので気にしない。

「もっと、わかりやすく話してくれないもんかねえ」

 アヤメの無遠慮な注文に日鷺院那乃はムッと眉間にシワを寄せたが、ひとつため息をついたあと、表情をすまし顔にもどしてうなずいた。

「・・・よろしいですわ。では、あなたのような方にもご理解いただけるよう、レベルをさげてお話いたしましょう」

「カンにさわる言い草だね」

 口を尖らせたアヤメを無視して、日鷺院那乃が演説をつづける。

「今までは祖父の気まぐれ・・・コホン・・・失礼。祖父のゆとりある経営方針のおかげで、お客さまのニーズに応えられていないアトラクションや店舗が野放しにされてきました。しかし、このわたくしが経営にあたる以上、そのような不良コンテンツはすべて破棄し、改善してまいります」

「その破棄、改善ってのは、具体的にはどういうことなんだい?」

 腕を組んでふんぞりかえりながらアヤメが問うと、まってましたと言わんばかりの表情で日鷺院那乃が答えた。

「言葉どおりですわ。消しさって、別の新たなものにつくりかえるのです」

「なら、不良コンテンツとやらは、なにを基準に判断するんだい?」

「数字ですわ。これ以上のたしかなものはございませんからね。そして、わたくしどもの事前調査によれば──」

 日鷺院那乃がアヤメのことを睨みつけるように見つめたまま左手を横に差しだすと、黒服のひとりが彼女の手に薄いタブレット型のコンピューターを渡した。

 それを覗きながら日鷺院那乃がつづける。

「インド料理店『辛いゾウ』、茶屋『まっちゃっちゃ』、釣り堀『おいてけぼり』・・・店名についても色々と申しあげたいことはございますが、それよりも、この三店舗は他店とくらべて年間売上が極端に低いですわね」

 アヤメがちらりと見ると、落ちこぼれとして名指しされた店舗の責任者たちはみな一様に肩をすくめ、うなだれていて、いたたまれない様子であった。

(なにも大勢の前でつるしあげることはないだろうにッ・・・)

 そんな怒りが、アヤメのなかでふつふつと溶岩のように煮えたぎってきた。

「そして、きわめつけが──」

 日鷺院那乃はさらにだれかをつるしあげる気のようだ。

 さすがに堪忍袋の緒が切れたアヤメは、抗議して彼女の口を封じてやろうと勢いよく立ちあがった、その直後──。

「『番町皿屋敷』」

「へ?」

「どうやらお化け屋敷のようですが、月間で来場者数が一桁というのは、もはや存在する価値がないように思われます」

「・・・・・・」

「責任者はどなたかしら?」

 知っていながらの問いかけであるのは明白だった。怒りにまかせて勢いよく立ちあがったはいいものの、なにも言えなくなってしまったアヤメに対して、勝ち誇ったような薄い笑みを口もとに浮かべている日鷺院那乃の顔がその証拠である。

「先に述べた三店舗に関しては、まだ改善の余地が見うけられます。そこで、わたくしが直々に指導して再建をお手伝いいたします。ですが、このお化け屋敷に関しては、もはや改善を講じるには機を逸していると言わざるを得ません。よって、廃止といたします」

 さらりと言ってのけたあと、日鷺院那乃が小首をかしげながらアヤメを見つめてきた。

「ところで、そこのあなた。なにかおっしゃりたいことがあって立ちあがったのでしょ? さあ、どうぞ。おっしゃってくださいな」

 ホールにいる全員の視線がアヤメにそそがれる。

 そのプレッシャーをいやというほど感じながら、アヤメはどうにか声をしぼりだした。

「あ、ああ~、えっと~、その・・・価値がないっつうのは、ちょいと言いすぎのような気がしなくもなくはなくはない・・・いや、どっちやねん! なんちゃって、あっはははは・・・はは、は・・・」

 ひとりでボケてひとりでつっこみ、ひとりで笑うほど動揺しているアヤメは自分でもなにを言っているのかわかっていなかった。

 日鷺院那乃がくすりともせずに真顔でたずねてくる。

「あんなお化け屋敷にも価値があると、そうおっしゃりたいのですか?」

「そそそそそ」

 我が意を得たり、と言わんばかりにアヤメは何度もうなずいた。

「この世に存在してる以上、どんなものにだってなにかしらの価値があるってもんだろ? ちがうかい?」

 だがアヤメの精一杯の言いわけも、日鷺院那乃の鉄仮面のような無表情を崩すことはできなかった。

「価値とは、証明して初めて認知されるものです。証明なくして価値の主張はあり得ません。あなた方にそれができますか?」

「・・・どゆこと?」

「一ヶ月だけ猶予をさしあげます。その間に、あのお化け屋敷が当遊園地にとって残す価値があることを、数字によって証明してください」

「・・・できなければ?」

 おずおずとたずねたアヤメにむかって、日鷺院那乃はすました顔で平然と言い放った。

「従業員もろとも、この遊園地からでていっていただきます」

「なッ・・・」

 アヤメは血相をかえて絶句した。

「遊園地からでていけ」というのは、アヤメたちにとって単なる解雇とはわけがちがうのだ。皿屋敷をつぶされ、遊園地から放りだされれば、現代人の行動規範や社会通念に疎いアヤメたちは必ず世間でトラブルを生み、その結果、お化けであることがバレてしまうだろう。そうなれば人間たちから迫害され、生存をおびやかされるのも時間の問題となる。江戸時代から現代にかけてお化けの数が激減したのが、その証左だった。

 それゆえに、日鷺院那乃の通告はアヤメたちにとって「死ね」と言っているのと同じなのである。彼女がそこまでの殺意をこめて放った言葉ではなくとも、うけとった側は深刻にならざるを得ない。

 アヤメは、首を伸ばして蛇のように絡みつき、今すぐ日鷺院那乃を絞め殺してやりたい衝動に駆られた。が、その激情をグッとこらえ、かわりに眉根を寄せながら重々しく口をひらいた。

「おまえさん、本気で言ってんのかい?」

 かつて、これほどドスを利かせたアヤメの声を耳にした者はこの場にいなかった。それほどまでにアヤメの表情と声には凄みがこもっていた。

 今まで堂々としていた日鷺院那乃ですら、アヤメの気迫におされてたじろぎ、半歩、後ずさりしている。だが、彼女は背後にひかえていた黒服に支えられるようにして体勢をととのえると、ふたたび顎を軽くもちあげて応戦してきた。

「あいにくと、わたくし、冗談はきらいですの」

 この言葉の応酬によってふたりの女の間に大きな溝がひろがり、それが埋められぬまま、この日の会議は終幕となった。

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