第18話

 深淵竜が翼を震わせるたび俺の体は後ろへ弾かれる。


――バキッ!


 肋骨が悲鳴を上げる。

 深淵竜の一撃は、岩盤そのものが拳になって襲ってくるような重みだった。


「ぐっ……! っああああッ!」


 俺は吹き飛ばされ、黒い根の壁に叩きつけられた。

 肺から空気が漏れ、視界が一瞬白くなる。


 深淵竜は低く、愉悦を含んだ唸り声をあげる。


 もはや言語など必要ない。圧倒的な捕食者の気配が、こちらの恐怖を餌にして増幅していく。


 竜の胸部――黒掌を放つ際に魔力が収束するその一点が、脈打つように光る。


(……そう、それを待ってた)


 深淵竜の黒掌は、俺のものより精度も規模も上。

 だが――力を使えば必ず魔力回復の隙が生まれる。


 さっきまでの連撃は、どう見ても調子に乗っていた。

 余裕で嬲ってくるタイプのボスだ。間違いない。


 俺は口の端についた血を拭いながら、立ち上がった。


「……おいデカブツ、やっと疲れてきたか?」


 竜が目を細める。

 黒紫の霧が減り、魔力の脈動が弱まっている。


 ――そう、今が最大のチャンス。


 次の瞬間、深淵竜は溜めに入った。


 黒掌を何度もくらう間に、俺は気づいた。


 深淵竜の黒掌は、撃つ直前に一定の魔力を一点に圧縮する。

 その箇所は、一瞬だけ“外側の防御が薄くなる”。


 竜の中心部。

 心臓とは限らないが――黒掌の核が生まれる場所。


 そこに一撃入れれば、竜は崩れる。


 俺は深く息を吸い込み、掌を構えた。


「――黒掌・零式」


 圧縮。圧縮。極限まで圧縮。


 弐式のさらに上。

 速度も破壊力も最小に見せかけ、代わりに“貫通力”だけを極限まで高めた黒掌。


 竜が、俺に向けて黒掌を放つ。


 空気がひしゃげる。

 洞窟全体が震える。


 だが俺は、その衝撃波の中心――ほんの一瞬だけ露出する核を見逃さなかった。


「――ここだッ!!」


 零式を放つ。

 黒い線が空気を裂き、竜の胸部の一点に吸い込まれるように突き刺さった。


 ただ――静かに、深淵が裂けた。


 次の瞬間。


 ――ドガァァァンッ!!


 核心が破壊され、竜の内側から闇が爆散する。

 黒い霧が悲鳴をあげるように逃げ、巨体がぐらりと傾いた。


「グ、オ……ォ……」


 完全に自分より下だと思っていた獲物に刺された衝撃。

 その瞳が揺らぎ、光が失われていく。


「……悪いな。お前より俺のほうが、しぶといんだよ」


 深淵竜が崩れ落ちる。


 深淵竜が地鳴りのような音を残して崩れ落ちた瞬間――

 俺は膝から力が抜けるように、その場に崩れかけた。


「……はぁ……っ……ッ、ギリギリ……だった……」


 魔力の残量が完全に底をついていた。


(黒掌・弐式を撃った時点で、ほとんど空っぽだった……)


 弐式は威力こそ抜群だが、魔力の消耗が桁違いだ。


(本当に……一発勝負だったんだな)


 深淵竜の胸部――弐式が貫いた一点が、ぽっかりと穴になっている。

 見ようによっては、ピンポイントで心臓を撃ち抜いたような、そんな精密さ。


 だが俺は笑う余裕もなく、その場に手をついた。


「……ふぅ……。これで……終わった……」


 そう呟いた――その瞬間だった。


 ――ザッ……ザッ……


 足音だ。


 この深淵域で聞くにはあまりにも人間らしい足音。


 顔を上げると、崩れた竜の影の向こう――

 岩陰から、ゆらりと人影が歩いてくる。


「……アルベルトさん……?」


 黒い根で裂けた外套。

 全身血まみれなのに、妙に足取りだけはしっかりしている。


 その目だけが、どこか焦点の合わない虚ろな光を浮かべていた。


 俺の背筋を、戦闘とは別種の寒気が走る。


 だが――


「ッ……レンっ!!」


 明確な生者の声が響いた。


 駆け寄って来たのはユナだった。

 肩で息をしながら、俺の姿を見るなり目を潤ませる。


「よかった……ほんとに……よく生きて……!」


 続いて、ゼノも後ろから現れる。

 片腕を押さえ、血を流しながらも、あの皮肉な口元はいつもどおりだ。


「なんとか間に合ったようだな。……お前、またギリギリを攻めたろ」


「攻めないと死んでたんだよ……」


 思わず俺も苦笑いする。

 緊張の糸がゆっくりほどけていく感覚があった。

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