エピローグ
エピローグ
あれから、一年が過ぎた。
メタモルフォーゼ・プログラムの崩壊は、社会に大きな衝撃を与えた。
リナが放った記事は、ウェブメディアを駆け巡り、テレビや新聞も後を追った。
佐藤ケンジは、詐欺と傷害の容疑で逮捕されたが、取り調べに対しては、ただ「カチッ、カチッ」と音を立てるだけで、一切の意味のある証言は得られなかったという。
彼は、魂を失った、ただの抜け殻として、医療施設に収容された。
千人の参加者たちは、社会に戻った。
だが、彼らの魂に刻まれた傷は、簡単には癒えなかった。
多くの者が、自分が何を失ったのかさえ思い出せないまま、漠然とした喪失感を抱えて生きている。
俺は、会社を辞めた。
あの古い公園の近くに、小さなオフィスを借りた。
看板には、こう書かれている。
『ドリーム・リカバリー』
俺の仕事は、壊れた機械を修理するのに似ている。
訪れるのは、プログラムの元参加者たちだ。俺は、彼らの話を、ただ、ひたすらに聞く。
リナの弟が遺した、あの古いノートのレプリカを使い、依頼者の言葉を書き留めていく。
それは、弟の執念と、リナの祈りが染み込んだ、魂の設計図。
俺は、その遺志を継ぐように、新しい魂の地図を描き続けている。
高橋も、時々、ここに顔を出すようになった。
彼はまだ、婚約者の顔を思い出せないでいる。
だが、最近、彼は、小さな花屋でアルバイトを始めた。
「最近、土の匂いを、久しぶりに『いい匂い』だと感じたんだ」
彼は、少し照れくさそうに笑った。
失われた夢の代わりに、新しい、小さな種が、彼の魂に芽生え始めていた。
その日の午後、相談所のドアが開いた。リナだった。
彼女は、ジャーナリストとして、この事件の追跡調査を続けている。
その目は、以前のような鋭さだけでなく、深い優しさを湛えるようになっていた。
「はい、これ。差し入れ」
彼女が差し出したのは、あの喫茶店の、紙コップに入ったコーヒーだった。
「どう? 最近、依頼者は」
「ぼちこちですよ」
俺は、コーヒーを受け取った。鼻腔をくすぐる、香ばしい匂い。
俺が世界と再び接続するための、きっかけとなった香りだ。
俺たちは、窓の外を眺めながら、とりとめのない話をした。
失われたものは、あまりにも大きい。俺の胸の穴も、高橋の記憶も、リナの弟も、もう戻ってはこない。
だが、それでも、俺たちは生きている。
リナが帰り、オフィスに一人になる。
夕日が、窓から差し込み、部屋をオレンジ色に染めていた。
ふと、その窓ガラスに、自分の姿が映っているのに気づいた。
そこにいたのは、かつてモニターに映っていた、あの生気のない男ではなかった。
成功に満ちた、冷たい男でもなかった。
疲れているが、その瞳には、確かな意志の光が宿っていた。
誰かの作った成功物語を追いかけるのではなく、ただ、壊れたものを修理し、失われたものに寄り添う、名もなき男の顔。
俺自身の、顔だった。
その時、一本の電話が鳴った。
俺は、受話-器を取る。
電話の向こうから、か細い、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『……俺は、本当に、塾を……やりたかったんだろうか……』
俺は、全てを受け入れるように、静かに、そして確かな声で答えた。
その声は、もう震えていなかった。
「はい、ドリーム・リカバリーです」
ドリーム・イーター『夢を預けてはいけない』 伝福 翠人 @akitodenfuku
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