長い顔

奥左

長い顔


私は地方紙の記者として、事件性があるのかどうか曖昧な出来事を取材することが多い。

去年の秋、編集長から渡されたメモには「O小学校 児童失踪事件 再調査」とだけ書かれていた。


O小学校は北陸の山間にある木造校舎である。校舎の周りは古くからある杉の大木が学校の周りを囲んでいる。日中は校舎に木漏れ日が差し、美しい景観だが、夜間はその大木の圧迫感で不気味だった。

現在は少子化で廃校寸前であり、今は一階を集会所として使われ、二階は危険との理由で立入禁止になっている。


「地元じゃ幽霊騒ぎもあるみたいだが……お前はそういうの嫌いじゃないだろ」

「一度でいいから幽霊を見たいよ現実の事件が怖いじゃないですか」

編集長は冗談めかしてそう言ったが、私はむしろ怪談めいた話を現実に引き戻すのが仕事だと思っている。


この学校では確かに、24人の児童が失踪した記録が残っていた。


異常な人数だ。


新しい事件は、平成14年、夏休み前の放課後に忘れ物を取りに行ったきり戻らなかった小学六年生。女の子だ。

大規模な捜索が行われたが、いまも行方は不明のままだ。


現地に着いたのは8月の終わりだった。

周囲の山は葉を落とし、夕方には暗く沈む。校舎の前に立つと、老朽化した板壁と曇った窓ガラスが、まるで長年口を閉ざしてきた証人のように沈黙していた。


最初に話を聞いたのは、当時の同級生だった女性・Nさんだ。今は県外に住んでいるが、取材のために帰省してもらった。


「その日、彼女は図工室に忘れ物をしたって言ってたんです。私たちは先に帰って、後で一緒に帰るつもりでした」


彼女の証言によれば、友人が校舎に戻っていったのを最後に姿を見ていない。

「ただ一人だけ、『大きなおばさんに首に何か巻かれて引きずられてた』って言った子がいた」「ぽーぽーぽーって変な声も聞こえたんだって」と付け加えた。

私は首をかしげた。

「誰ですか?」

「Mくん。でもあの子、すぐに不登校になって今も療養中だと聞いています」

M氏に会うのは難しいだろうと考え、代わりに彼の母親を訪ねた。

狭い平屋の応接間で、母親は戸惑いながらこう話した。


「あの子は『女の人がいた』と繰り返していました。

顔が長いとか、舌が首に巻かれてどう、とか私は正直、夢の話だと思ったんですけど」


幻覚や妄想そう思えば説明はつく。だが、彼がその直後から激しい呼吸困難を訴え、病院に通うようになった事実は消えない。診断は「心因性発作」。

彼の頸には、確かに痣のような跡が残っていたと母親は言った。


私はさらに、当時の教員だったK氏に接触した。退職して町外に住んでいるという。

彼は取材を渋ったが、世間話をするうち、少しづつ話始めた。


「二階の廊下には誰かがいた、そう言うしかない。

鍵を掛けたはずの教室が荒らされていたり、夜に見回ると人影が立っていたりした。

私自身、一度…女を見た」

「俺はすぐに逃げて気付いた時には家だった。」

「だから夢か幻覚だったと自分に言い聞かせた」

私はすかさず尋ねた。

「女、ですか?」

「薄汚れた白い服で、180センチ程の長身、顔が異様に…いや、思い出せない、思い出したくない」


全身震えながら彼は、それ以上話せなくなっていた。ただ、彼もまた頸に痣を作ったことがあったと同僚から聞いた。

調査を進めるうち、不可解な点がいくつも浮かんできた。

失踪した児童以外にも、「夜に侵入した若者が帰らなかった」という噂がある。


医師の診断書には「原因不明の頸部圧痕」が数件記録されている。

複数の証言に「首を絞められた」「引きずられた」という共通点がある。

しかし、どれも決定的証拠にはならない。怪談と現実の境界を漂う証言ばかりだった。

私は思った。

自分で確かめるしかない。


十一月の夜、私は懐中電灯と録音機を持って旧校舎に入った。

一階の集会所は整然と片付いており、人の気配もない。

二階へ続く階段にはロープが張られていたが、簡単に跨ぐことができた。


廊下は想像以上に寒く、埃とカビの匂いがした。

懐中電灯の光が板張りの床を細く照らし出す。

数十匹のゴキブリが一斉に逃げた。


突き当たりに例の図工室がある。

ドアの前に立った時、窓ガラスに自分の姿が映っていた。


妙な錯覚に陥った。

光の具合だろうか、顔が少し長く映っているように見えたのだ。

私は思わず背筋を正した。

その瞬間、背後で微かな足音がした。


振り返ったが誰もいない。

床板が鳴っただけかもしれない。私は自分にそう言い聞かせ、図工室のドアを押した。

鍵はかかっていなかった。

部屋の中は机がいくつも並び、壁際に木製の棚がある。

埃を被った画材が散らばり、天井から雨漏りの染みが広がっていた。

録音機を回しながら、私は部屋を一周した。

と、そのとき。


首筋に冷たい感触が触れた。


私は反射的に飛び退いた。

だがそこには何もなかった。

ただ、首の皮膚がひりつくように痛んだ。


翌朝、宿に戻って鏡を見たとき、私は息を呑んだ。

首に赤黒い痣が二本、まるで誰かの指が押し込まれたように並んでいたのだ。


昨夜、誰かが背後にいたのか?

それとも私は暗示にかかって、自分で掻きむしったのか?


私は混乱した。

だが一つだけ確かなのは、この学校には確かに「何か」があるということだった。


首に残った痣は、三日ほどで薄くなった。

それでも私は、あれが自分の思い込みや擦り傷で済むものではない気がしてならなかった。


編集部に戻り報告すると、編集長は渋い顔をした。

「オカルト記事じゃ読者は離れるぞ。現実的な線を探せ。例えば事件に巻き込まれたとか」

「八尺様なんて読者は飽きてるからね」

それはもっともな意見だった。私は都市伝説、怪談ではなく、実際に起きた可能性のある事実を掘り起こすべきなのだ。


もう一度、失踪した女子児童の家族を訪ねることにした。

母親は取材を拒んだが、父親は応じてくれた。十数年を経て、憔悴した顔に諦めと怒りが同居していた。


「警察は山狩りまでしてくれたが、何の手がかりも出なかった。

私はね、あの校舎に入った誰か大人が関わっているんじゃないかと今も思ってる」


「大人が?」と私が聞き返すと、彼はうなずいた。


「あの頃、夜に二階をうろついている人影を見たって話が、近所で何度も出ていた。

子どもを狙う不審者がいたんだよ。学校に忍び込んで、娘を」


父親の声は震えていた。

私は胸が重くなるのを感じた。もしそうなら、都市伝説の仮面をかぶった現実の犯罪だ。


調査を進めると、奇妙な一致が見えてきた。

かつて二階の図工室は鍵が壊れており、夜でも侵入が容易だった。

また、廃校後も度々、若者の肝試しで開錠されたままになっていたという。

何より一番興味深いのが、管理人の部屋が学校に併設されている所だ。


「顔の長い女」という噂は、子どもたちの恐怖や罪悪感が形を変えたものではないか。

実際には、人間による首を絞める行為――それが「舌」や「影」として語られてきたのではないか。


だが、誰が? なぜ?


十二月に入り、私は再度現地を訪れた。

地元警察OBを名乗る人物から連絡があったのだ。

「取材していると聞いた。会って話したいことがある」


指定された喫茶店で現れたのは、白髪混じりの元刑事だった。

彼は小声でこう語った。


「あのとき、内部では“犯人は教員ではないか”という説も出ていたんだ。

特にK先生。彼は事件後に急に辞めただろう?」

「それに生徒の体を不必要に触る噂もあった」「生徒の評判も悪かった」

私は驚いた。K氏は私にも取材に応じていた人物だ。

元刑事の話では、K氏は失踪当日、最後に女子児童を見た人物として取り調べを受けていたという。


「だが証拠は何もなかった。だからうやむやになった。

それが今になって幽霊話にすり替わっている。私はそう見ている」


私は迷った末に、再びK氏に会いに行った。

問い詰める形になってしまったが、記者として避けられない。


「失踪の件、あなたが疑われていたと聞きました」

K氏は長い沈黙の後、疲れ切ったように口を開いた。


「確かに私は彼女を最後に見た。二階廊下で会ったんだ。

宿題を取りに来たと言うから、早く帰れと声を掛けた。

だが……その後の記憶が曖昧なんだ。私は倒れて、気が付いたら朝になっていた」


「倒れて?」

「頸を圧迫されたような感覚があってね。誰かに襲われたのかもしれない。だがほとんど思い出せない」


彼の言葉が真実かどうかは分からない。

だが、もし彼自身も被害に遭ったとすれば、犯人は別にいる。



私は三度目の夜間調査に踏み切った。

録音機とカメラを持ち、二階廊下を進む。

突き当たりの図工室前で足を止めた。

耳を澄ますと、かすかな物音。

人の呼吸のようにも聞こえる。


「誰かいるんですか?」

声をかけた瞬間、背後から風のような気配が走った。直感で奴だと分かった。


反射的に振り向くと、暗闇に人影が立っていた。

背の高い、やせ細った人物。顔はよく見えない。

私は咄嗟にライトを向けた。

だがその影は廊下を走り抜け、窓を破って外へ消えた。

ガラス片が床に散らばり、冷気が吹き込んだ。


翌朝、警察に通報した。

だが周囲を捜索しても、足跡や血痕など痕跡は何も見つからなかった。


「肝試しの不審者じゃないですか」

警察は取り合わなかったが、私は確かにあの夜、人間の影を見た。

幽霊ではなく、生身の誰かが校舎を利用していたのだ。


年が明けた頃、記事の締め切りが迫った。

私はまとめとしてこう書いた。


旧O小学校の「顔の長い女」の噂は、単なる怪談ではない。

背後には、廃校の隙を突いて侵入していた不審者の存在がある可能性が高い。

失踪した女子児童がその人物に遭遇した結果、行方不明になったと考えられる。

噂に繰り返し現れる「首を絞められる」という証言は、現実の暴力行為の反映に他ならない。


記事は大きな反響を呼んだ。

だが同時に、「余計なことをするな」という匿名の封筒が届いた。

嫌がらせか、汚く長い髪も大量に入っていた。差出人は分からない。


それからしばらくして、私は夢を見るようになった。

暗い廊下で、自分の背後に長い影が立っている夢だ。

振り返ると、顔の判別できない人影が、静かにこちらを見つめている。


私は飛び起きる。首には何もない。

それでも朝になると、鏡の中の自分の顔が妙に長く見える気がするのだ。


それが錯覚なのか、疲労のせいなのか、私は確かめる勇気を持てずにいる。


旧O小学校をめぐる噂の正体は、幽霊ではなく「人の仕業」として説明できる部分が多い。

しかし、その「人間」が誰で、なぜ十数年ものあいだ影のように潜み続けてきたのかいまも解明されていない。


窓ガラスに映る自分の顔が長く見えるとき、

それは光の加減か、あるいは背後に立つ“誰か”の存在を脳が錯覚しているのかもしれない。



それから半年程経った時、1通の匿名の手紙が来た。

「管理人の部屋」とだけ書かれていた。

管理人の部屋は現在入れなくなっている。

怪しい場所とは、思っていたが過去に捜査済みだと勘違いしていた。


記事掲載から二週間後、私は思わぬ情報を得た。

旧O小学校の「管理人室」を調べた者が過去にいない。当時の警察の怠慢だろう。

廃校になってからは施錠されたまま放置され、内部は完全に未確認だという。


私は町役場に掛け合い、鍵を借りて調査を行った。

薄暗い一階奥の管理人室。湿気のこもった空気の中、埃をかぶった机や古いロッカーが残されていた。


引き出しを開けると、厚いファイルが現れた。

そこには40年前、この学校に長身の女性管理人が20年間勤めていたという記録があった。


彼女の名は伏せるが、村の出身で、幼少期に「顔が長い」といじめを受けていたと書かれている。

さらに10年前、突然解雇された直後に学校の屋上から飛び降り自殺した――そう記されていた。


そのときの検死記録が添付されていた。

《遺体は顔部が著しく変形、縦に伸びたように見え、口腔より腸管の一部脱出》

という凄惨な一文。私は背筋が凍った。


まさに、子どもたちが語る「顔が長く舌を垂らす女」の姿と重なるのだ。

数十匹の鳩が死体をついばみ全身穴だらけだったとも書いてある。

「ぽーぽーぽー」

「鳩か」



その夜、私の携帯が鳴った。

発信者は、かつて取材に応じてくれた元刑事のOBだった。

「あの女のことを調べているんだろう。色々わかったぞ」


彼の声は掠れていた。


「自殺した女には双子の姉妹がいた。二人で子どもを狙い、校舎を利用していた可能性がある。前科があったんだよ。

だが、当時の警察の間違いで冤罪になっている人もいる。だから記録は封じられ、村でも口に出す者はいない。……あんたは命を懸ける覚悟があるか?」


私は返答できなかった。ただ、真実を知りたい一心で耳を傾けた。


再調査の翌日、管理人室の奥で異様な仕掛けを発見した。

床板の一部が不自然に浮いている。外すと、そこには地下へ続く狭い階段が口を開けていた。


懐中電灯を手に降りると、鼻をつく腐乱臭。

湿った土壁の地下室には、無数の白骨が積み上げられていた。

小さな靴、錆びた鍵束、朽ちたランドセル。


私は眩暈に襲われ、その場に膝をついた。

だが次の瞬間、背後から強烈な衝撃。

意識が遠のく中、かすかに誰かの腕に抱えられる感覚があった。



目を覚ますと、錆びた鎖で両手を縛られ、地下室の片隅に横たわっていた。

暗闇の中、長い顔をした影がこちらを覗き込んでいる。年齢は定かではないが50代くらいで、猫背であり、実際の身長は200センチ以上あるようだ。


細い指が私の頬をなぞり、低い声が囁いた。


「子どもは美味かったぁお前はどうだろうなぁ」


足元の鉄鍋には肉片が残されていた。

女は確かに、生きた人間を捕らえて調理し、食べていた。


私は必死に鎖を引きちぎろうとしたが、力は入らない。

そのとき、地上から人の気配がした。


階段を降りてきたのは、あの警察OBだった。

拳銃を構え、私を助け出そうと女に叫んだ。


「もう終わりだ!罪を償え!」


女は奇声を上げ、長い腕で彼に飛びかかった。

銃声が響く。しかし次の瞬間、彼は床に崩れ落ちていた。

女にも命中したかに見えた。


彼は胸を深々と裂かれ、血が土を染める。

私は叫んだが、声は届かない。


その混乱の中、私は壁際に投げ出された木箱を手に取った。

中には古い写真と書類が入っていた。


そこに写っていたのは、K氏と双子の女。

飲食を共にし、笑っている姿。

書類には、複数の子どもの名前と日付が記されていた。

「供物」と書き添えられて。


私は悟った。

K氏は女たちと通じ、自らの欲望を満たすために誘拐に加担していたのだ。

必死に鎖を外し、私は地下室から這い出した。

背後では、女が倒れたOBの亡骸に覆いかぶさり、喉を食い破っていた。


必死で逃げるしかなかった。

冷たい夜気の中、校舎を飛び出した私は、その足でK氏の自宅へ向かった。


しかし、家はもぬけの殻だった。

窓は開け放たれ、室内には荷物もほとんど残っていない。

逃げたのだ。すべての罪を背負ったまま。


現在、旧O小学校は完全封鎖され、立ち入りは禁止となった。

だが、地下で見たもの、そして失われた命の数々は帳消しにはならない。


K氏の自宅には麻酔薬などがあったがK氏の行方はいまだ掴めず、双子の女の真実も完全には解明されていない。

何故人を食べるようになったのか。

あの夜、自分を捕らえた女が本当に自殺した本人なのか、それとも双子のもう片方だったのか。

その後、地下室の捜査で子供78名大人20名の遺骨が発見された。

ここまで大きな事件とは思いもしなかった。


鏡を見るたび、私は思い出す。

長く伸びた顔が、自分の背後に重なっている気配を。


取材の結末は記事にはできなかった。

だが真実――怪談の「顔の長い女」は、確かに存在した。



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