第2話 離宮へ行こう
「どうして、お前なのだ?」
「欠員が出来て、新たな書記官を探す術として、学校で字の綺麗な生徒を探したんだって」
頭を抱える父に、むふんと胸を張ってやる。
発情期のロバとの妻と、あの綺麗な離宮の書記官。どちらを選ぶかなんて、聞くまでも無い。
「マール……お前のような甘えん坊に、書記官なんて務まるのか?」
失礼な!
両親どころか、二人の兄まで同じ事を言う。
もし、この場にいたら、きっと嫁いで行った二人の姉も同じ事を言うに違いない。そのくらいの自覚は、私にもある。
だけども、書記官が務まらずにクビになったら、改めて結婚相手を探しても良いのでは無いか? 結婚しちゃったら、もう書記官の道は選べない。
説得力のある理由だと思ったけど、家族全員、頭を抱えて呆れた。
字が綺麗なだけで選ばれるのなら、きっと文書を綺麗な文字で清書するお仕事だと思うの。それくらいなら、きっと私にも務まるんじゃないかと思ってる。父に躾けられた通りに、台帳の記録同様、綺麗な文字で誰にも読みやすくは離宮でも同じじゃないかな?
とはいえ、商業ギルド長よりも、離宮の姫様の方が遙かに格が上だもの。断ることは不敬になる。
二週間という準備の猶予をいただき、私は発情期のロバの妻ではなく、離宮の書記官になることに決定した。
☆★☆
今年の秋は暖かく、まだ朝晩も上着はいらない。
嵩張るお帽子も含めて、衣装のほとんどは、家に置いて来なければならないのが不安だ。
これからは、お仕着せの制服で過ごすことがほとんどになるそうな。トランク四つまでと制限された荷物では、衣装は下着中心になってしまう。インクと羽根ペン、書きかけのお話と紙は絶対置いていけないし、夜にランプは使えるのだろうか?
空いた時間があれば、お話の続きを書きたいのだけれど……。
お姫様……ううん、シャルロット・クリアベル侯爵様にも、お目にかかれるかも知れない。お美しい方だと噂は聞いているけど、書いているお話のイメージと違ったらどうしよう? 合わせ込むべきか……。
そんな浮ついたことを考えている間に、馬車は『碧の離宮』の通用門に着いてしまった。
近くで見ても、離宮のタイルの屋根はキラキラと美しい。華やかな表門ではなく、質素な通用門から入るのも、ここの住人の一人に成れたみたいで、ワクワクが止まらない。
母とは、ここで別れねばならない。
そっと見ない振りをしてくれる衛兵さんの前で「体に気をつけるんだよ」とか、お馴染みの愁嘆場を演じてしまうのは、ちょっと恥ずかしいかも。名残惜しげに去る母の馬車を笑顔で見送ると、大きな四つのトランクと一緒に取り残されてしまう。
まだ、案内係さんが来ないから門の外で。
衛兵さんの横で、一緒に気をつけしているのも変だ。仕方なく白くてフリフリの日傘を差したまま、トランクに腰掛けて待つ。
緊張感に欠ける私を横に、真面目な顔での警備はやりづらそうだ。
程なく、メイド服を着た五人の使用人が速歩で来てくれた。四人がトランクを担ぎ上げて先に宮殿に運んでゆく。……力持ち。
残った小柄な一人が、畏まって礼をした。
「初めまして。ソラージュ様の側仕えを仰せつかったリラと申します」
癖のある髪を、ベリーショートにしたメイドさん。くるっと丸い大きな瞳が印象的だね。髪も瞳も黒。ついでに、肌も少し浅黒い。
南の国の娘なのかな? 南の国の船乗りさんたちより肌の色が薄いから、混血なのかも知れない。
ついうっかり見つめてしまっていたらしく、リラは顔を曇らせて唇を噛む。
「あの……私の肌の色が気になるようでしたら……役目を替える事も出来ます」
「あ、ごめんなさい。私は船を持ってる商会の娘だから、異国の人でも気にならないから大丈夫よ。それに……私の名前も、マール・ソラージュ。異国の名前だもの。異邦人なのは、お互い様よ」
少し表情の解れたリラの案内で、石畳のアプローチを離宮の玄関へ歩いて行く。
きちんと手入れされた青々とした芝生。彫刻や噴水、花々の咲き誇る花壇。お庭も美しい。
石造りの宮殿の建物に入ると、ぐんと涼しくなる。空気の冷ややかさに、急に現実味が増して、不安が押し寄せてくる。
学校とは全然違う、静かなで荘厳な雰囲気に押し潰されてしまいそう。
……私、ここで暮らしてゆくの?
磨き抜かれた廊下。敷かれた緋毛氈。壁に掛けられた絵画。どこを見ても塵一つ無いほど磨き抜かれて、生活感がまるで感じられない。人の存在を……私を拒絶しているみたいで、本当にここにいて良いのか、不安になってしまう。
通された小さな応接室で、借りてきた子猫のように震えて待つ。
もうお帽子のつばにも、日傘の中にも隠れることは出来ない。リラが入れてくれたお茶に口をつけることさえ忘れて、体中を強張らせて座っていた。
(発情期のロバの妻の方が、分相応だったのかな……)
そんな有り得ないことまで考えてしまい、もう帰りたくなっていた。
それなのに、小さなノックと共に現れた相手の意外さに、喉まで出かかっていた「帰らせて下さい」の言葉を飲み込んでしまう。
何というか……少年?
照れた感じの爽やかな笑顔は、同世代じゃないかと思えるほど幼い。短めの銀の髪と、水色の瞳は、そうでなくても童顔な彼を、より幼く見せているかのようだ。
「初めまして、ソラージュ嬢。僕は、あなたの上司となる筆頭書記官のアラン・ラフロイグと申します」
「……マール・ソラージュです」
「若いので驚いたでしょう。どうせすぐ解ることですので、先に言いますと……父がシャルロット様の筆頭文官で、母が筆頭側仕えを務めているのです。まあ、親の七光りですね」
何の屈託もなく、笑う。
恥じるわけでもなく、拗ねるのでもなく、それが当たり前のように受け入れいてる。
鈍感なのか、大物なのか、それとも、そんな風評を覆すくらいの才があるのか。
見定めようと眼を細めたマールの前に、書類が一枚、差し出された。
「守秘義務についての誓約書です。書記官となる方には、すべて宣誓を願いしているんです。業務で扱う書類に関して、口外されてしまうと困ってしまうものが多いので」
「誓いを破ると、首に縄をかけて吊るされるやつ……?」
「いえ、お好みに応じて、火炙りでも、銃殺でも、ギロチンでも選べると聞いています」
つい溢れた台詞を拾われた上に、そんな酷い多様性を示されても困る。
しかも、服毒という尊厳死は、さりげなく除外されていませんか?
「業務内容上、仕方ない誓約と受け入れていただけると助かります。業務で扱う書類は、シャルロット様のお手紙の代筆から、記録文書の保存のための書写、行政文書の作成や各種登録の記載、調査など多岐に渡りますし、国家機密にも関わりますから」
ニッコリと笑いながら言わないで欲しい。
どうもこの人は、重大なことを、さらりとした口調で言う癖があるみたいだ。
離宮まで来てしまったし、荷物ももう運ばれてしまったのだから、宣誓するしかない。
羽根ペンとインクを借りて、自分の名前を署名する。……これでもう、家には帰れない。
「結構……。それから、もう一つ肝に銘じて欲しいことがあります。……この離宮に置いて、書記官の権限は望まぬほどに大きなものとなっています。公式文書に記載、登録されなければ正式に認められた事にはならないのですから。情報を得ようとする者、登録を早めてもらおうとする者など、様々な誘惑があると思いますので……
「拒まなくても……良いんですか?」
「役得は、有るに越したことはありません。それに、文書が動く時には、いろいろな思惑がありますから。それを知るのも、書記官として大事なことですよ」
筆頭書記官の童顔が、悪い笑みを浮かべた。
どうやら、ただ綺麗な文字で清書するだけの部署ではないみたい。
どうしよう……。
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