碧(あお)の離宮の物語作家
ミストーン
第1話 望まぬ縁談
『
正式な名前はあるのかも知れないけれど、冬でも温暖な地域の強い陽射しに、キラキラ輝く青いタイルを敷き詰められた屋根や窓枠の美しさから、誰もが『碧の離宮』が正しい名称だと信じている。
何でも、先々代の王様が病気がちな愛妾の保養の為に、豪勢にもこの離宮を築かせたのだそうな。
クリアベル侯爵なんていう爵位まで与えたらしいから、相当気に入っていたんだろうなぁと思う。
病気がちな体質は遺伝なのか、巡り合わせなのか。
幼い頃に流行病で両親を亡くした孫娘が、今はクリアベル侯爵として宮殿に暮らしているそうな。
祖母譲りの美貌の美少女侯爵様らしいけど、通り過ぎる馬車の窓に降ろされたレースのカーテン越しにしか見たことはないから、信憑性はどうなのだろう。
お目通りなんて、叶うはずもないからね。
私は富裕層とはいえ、異国との貿易で利を得る商会の三女だもん。
一通り学校での学びを修め、卒業を間近に控えていた私。姉たちのように即、縁談を持ち込まれて嫁に行かされるに決まってる。
商会の跡取りには兄が二人もいるから、私が婿を取る理由もないし……。
上の姉は王都の貧乏子爵の所へ、商売の販路を確実なものにする為に嫁いで行った。
下の姉は王都への河川輸送の中継地点である小さな町で、中間拠点を確保すべく異動した商会の番頭役に嫁いで切り盛りしている。
二人の姉が商売の道具のように嫁いでいるのを見れば、自分の結婚に夢など見られるはずも無い。
私、マール・ソラージュは溜め息を吐きながら、美しい離宮を窓から眺めていた。
(はあ……あんな綺麗な宮殿に住んでいるお姫様は、幸せな結婚を夢見ているのだろうなぁ)
待てよ? 貴族のお姫様は戦略結婚ばかりだって、父が言ってたような?
でも、あの宮殿のお姫様は両親を亡くしているし、王都の社交にも参加している様子も無い。
頭の中で、カチカチと積み木が積み上がってゆく。
私は机に向き直ると、羽根ペンにインクをつけて奔らせた。
名前だけしか知らない、シャルロット姫の恋物語を勝手に想像して書き綴る。
「読めない文字など意味が無い。本の活字くらいに読みやすく、美しい文字を書きなさい」
父に厳しく言われてきたから、頭の中で組み上がってゆく物語に筆記が追いつかないのがもどかしい。いっその事、書きたい文字をそのまま印刷してくれる機械があれば良いのに!
二人の姉に馬鹿にされつつも、良い暇潰しにされていた私の密かな趣味。
もう読んでくれる人もいなくなっちゃったけど、別に誰かに読んでもらうために書いているんじゃない。書かずにはいられないから、書いてるだけ。
なかなかの大作になりそう……ゆっくりと私の頬が緩んだ。
☆★☆
「商業ギルド長の末息子を、どう思う?」
「えぇっと……発情期のロバ?」
素直な感想を言ったら、父は渋い顔をして私を睨めつけた。
朝食後の話題が、それなの?
暗に言いたいことは解る。でも、無邪気に見せながら「浮気性の男は嫌だ」と言っている、娘の本音も理解して欲しい。
異国から渡って来て商売を始め、ここまで大きな商会に育て上げた父の努力は尊敬するし、ソラージュ商会が大事だというのも解る。でも、娘の将来も少しは案じて欲しいものだ。
「悪い話では無いと思うぞ?」
うん。商会にとっては、ね。
八つも年上な上、女好きの浮気性。ロバのように間延びした顔に目を瞑っても、私にとっては悪い話でしか無い。
どちらの気持ちも解る母や二人の兄は、お手上げとばかりに、私と父の話し合いに下駄を預けているようだ。
「他に、将来を誓い合った男でもいるのか?」
「……残念ながら、いないの」
「それなら、別に構わんだろう?」
「せめて選択肢をちょうだい。自分の結婚相手がアレしかいないなんて、あんまりだわ」
ヨヨヨと泣く振りをして、食堂を飛び出した。
胡散臭そうな、「そんな娘に産んだ覚えはないわよ?」という母の視線は、無視しておく。
自室に駆け込み、使用人たちも入れないように、鍵をかけて立て籠もろう!
ズリズリとチェストを押して、ドアの前に。これで合鍵を使われても、ドアは開かない。
ああ、一汗かいたわ。
水差しのハーブ水をカップに注いで、一気に飲み干す。
人心地着くと、溜め息しか出ない。
こんな子供っぽい抵抗をしたところで、結局は、強引に父の意思が通って、話を纏められてしまうに違いない……。
二人の姉もそうだったから、まず間違いなくそうなる。
夢も希望も無い話だよ。
物語のような大恋愛をしたいとまでは望まないけど、せめてほのかに胸を焦がすくらいの恋がしたかった。
あの発情期のロバとの生活なんて、想像も出来ないし、したことも無い。
窓の外に見える離宮は、今日も美しい。
あそこに暮らすお姫様は、私と似たような年頃だったはずだけど……結婚話とか出ているのかな?
早くにご両親も亡くしているし、きっと私よりも不自由な立場の筈。
せめて、想像の中では素敵な恋をさせてあげるよ。
私は嫌な現実から逃げ出すべく、愛用の羽根ペンを手に取った。
………………。
お腹が空いて、現実に引き戻される。
どうやら、母も父方について私を兵糧攻めにするつもりらしい。
ランチの時間はとっくに過ぎているのに、ドアをノックする音さえ聞こえなかった。
……気づかなかった説は、無いものとする。
父や兄は、もう仕事に出ているだろうから、問題ない。
キッチンに忍び込んで、苦笑する使用人に内緒で昼食をお願いしちゃう。
切ったパンに、青菜とチーズと焼いたベーコンを乗せてくれた。
お行儀が悪いけど、齧り付く。美味しい。
母に見つかって、根性なしと笑われた。……人間、空腹には勝てない。
「縁談なんて、誰が相手でも納得できないものよ。マールは特に甘えん坊だから、経済的な苦労をしない相手を選んでいるのよ、あの人も」
「でも、発情期のロバだし……」
「そこは女の腕次第。結婚したら急に遊びをしなくなる人もいるし、その逆もいるわ」
「むぅ……」
結婚生活のベテランが言うと、重みが違う。
まだ恋愛すらしたことの無い娘が拗ねても、ふわりと包み込まれてしまう。
はぁ……やっぱり、そうなる人生か。
諦めかけた時、年嵩の使用人がドタバタと食堂に走り込んできた。
「奥様……お嬢様もいらっしゃるのは、良いタイミング。大変ですっ」
「バーサ。何年ハウスキーパーをしてるの? 行儀が悪い」
「このお手紙をお読み下さい。『碧の離宮』から使いの方が参りまして、これをお嬢様にと……」
上品で、高価そうな淡い青色の封筒。
青い封蝋に押された紋章は、ポルトレの街の人間なら誰もが知るものだ。
偽造したら、縛り首になるやつ。
二つの鐘を斜めに重ねた、クリアベル侯爵家の紋章が押されている。
母のペーパーナイフを持つ手が震えている。封蝋の紋章を傷つけぬようにして、なんとか手紙を取り出せた。
丸々と見開かれた緑色の瞳が、手紙と私を交互に見比べる。
「マール……宮殿が、あなたを書記官として召し上げたいって……」
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