鬼教官として名高い騎士団の「ハズレ師匠」に転生した。落ちこぼれの新人を史上最強に育て上げたら、なぜか聖女や王女まで弟子入り志願してくるんだが?
長尾隆生
第一章 鬼教官と落ちここぼれ
第1話 転生と絶望と、最初の決意と
蛍光灯の明滅が疲弊しきった網膜を焼く。
連日のデスマーチ。積み上がるタスク。
部下と共に毎日深夜までパソコンの画面と格闘する日々。
その無理難題な業務もあと一息で終わる。
俺は部下たちに後は俺がやると伝え帰宅させると、最後の仕上げに取りかかった。
キーボードを叩く音だけが響く深夜のオフィス。
「終わったぁ……」
今日の朝までに用意しろと言われた膨大な資料のチェックを終えた俺は、安物のオフィスチェアの背もたれに身体を預けると大きく伸びをした。
その瞬間だった。
ゆらり。
見上げたオフィスの天井が波打つように揺らいだかと思うと、身体がゆっくり傾いていく。
(やば……い……)
椅子が倒れる音と共に、俺の体が冷たい床にたたきつけられる。
もう若くはない俺の体と精神は、既に限界を迎えていたのだ。
大学を卒業後、就職難の中でやっと内定をくれた企業に就職し、今まで必死に働いてきた。
安月給で過酷な労働環境。
それが巷に言う『ブラック企業』だと気がついてはいた。
だが就職氷河期で何十社とお祈りをもらい続けたトラウマが、転職という道を選ばせなかった。
三十歳を過ぎ、役職を与えられた後も給料は特に大きく増えることもなく、むしろ逆に新入社員教育担当という雑務を増やされてしまっても、俺には会社を辞めるという決断が出来ずにいた。
それに自分を慕ってくれる育てた部下たちを置いて、自分だけ逃げるなんて出来るはずもない。
結局俺は中途半端な中間管理職として四十近くになるまで働き続け、そうして誰もいないこんな場所で最期を迎えることになってしまった。
(……仕事が終わった後で……良かった……部下たちに……俺がやると言った……からな)
俺の意識はゆっくりと闇に溶けていく。
(ああ……もう……ダメだ……)
苦しさや怖さは不思議と無かった。
(でも、もう一度だけ……あのゲームが遊びたかったな)
命を削るような日々の中、俺の唯一と言っていい癒しは、寝る間を惜しんでプレイした王道アクションロールプレイングゲームの傑作『
会社でどれだけ嫌なことがあっても、心が折れそうになっても、あのゲームをプレイすれば全てを忘れることが出来た。
あの剣と魔法の世界にもう一度行きたかった……。
それが俺の最後の記憶だった。
◇ ◇ ◇
気がついた時、俺は見知らぬ石造りの天井を眺めていた。
……いや、見覚えがある気がする。どこで見たのだろう。
ひんやりとした空気が肌を撫でる。どこからか聞こえる金属が擦れ合う無機質な音がやけに耳につく。
(俺は確か会社で……)
霞のかかった思考を巡らせていると、硬質な声が俺の耳朶を打つ。
その音の方に目を向けると、立派な鎧を身に纏った二十歳ぐらいの青年が立っていた。
「ようやくお目覚めですか、カイエン教官」
(カイエン……? 一体誰のことだ?)
俺はゆっくりと身を起こしながら青年を見る。
彼の瞳は他でもない、俺に向けられていた。
「何度も部屋の外から声を掛けさせていただいたのですが、返事がなかったので」
カイエン……って、もしかして俺のことか?
その呼び名が俺の脳天をぶん殴った。
血の気が引く。心臓が大きく跳ねる。全身の毛が逆立つような感覚。
嘘だろ。そんなはずはない。だって、それは――。
カイエン・マーシャル。
それは俺がここ数年、人生そのものを捧げたと言っても過言ではない『
一体どういうことだ。
俺は混乱する頭で必死に記憶を手繰り寄せる。
カイエン・マーシャル。
王立騎士団の教官。
ゲーム序盤にある主人公のステータスアップイベントで、ランダムに宛がわれることになる指導教官の一人だ。
エリート主義に凝り固まり、常に上から目線。
入団した新人を徹底的に扱き、精神的に追い詰めて退団させてしまう男として、騎士団内でも鼻つまみ者扱いをされている。
そして最悪なことに騎士団の特訓イベントで上がるステータスの値も、他の教官たちに比べて遙かに低く、そのあまりの酷さからプレイヤーたちの間では別名「
ゲームの攻略サイトの掲示板にも「こいつにだけは当たりたくない」「カイエンが担当になったらリセット推奨」なんて書き込みが溢れていた。
実際俺も何も知らなかった初プレイの時にカイエンに当たって、二度とこいつと特訓なんてしないと二回目以降のプレイではずっと避け続けていた。
(でも、まさか……そんな……)
俺は恐る恐る自分の手を見る。
そこには見覚えのない、少し日に焼けた節くれだった男の手があった。
(顔……顔を確認しないと)
よろめきながら立ち上がり、鏡を探すが見つからない。
(あれなら映るかも)
俺は部屋の隅に置かれていた銀色の水差しに駆け寄った。
震える手でそれを持ち上げ、磨かれた銀の表面を覗き込む。
そこに映っていたのは、俺が知る冴えないサラリーマンの顔ではなかった。
通った鼻筋。鋭く他者を寄せ付けない銀色の瞳。そしてその瞳と同じ色をした癖のある銀髪。
それはゲームで何度も見た神経質そうで目つきの悪い男の――カイエン・マーシャルの顔そのものだった。
「うわっ」
俺の手から離れ落ちた水差しが床に派手な音を立てて転がる。
「教官、どうされましたか」
青年騎士が訝しげに声をかけてくるが、俺の耳には届かない。
(マジかよ……まさか俺は転生したってのか? しかも、よりにもよってこの男に?)
頭がくらくらする。
過労死した挙句、異世界転生。そこまではまあ昨今の流行りと言えなくもない。
だがなぜ主人公や人気キャラクターではなく、よりにもよってこの全プレイヤーから蛇蝎の如く嫌われているダメ教官なんだ。
(何の罰ゲームだよ)
はぁ……まあ仕方ない。いや、ちっとも仕方なくないが。
俺はのろのろと身体を起こす。
目の前には銀色の鎧に身を包んだ騎士が、侮蔑を隠そうともしない視線をこちらへ向けていた。
これが「
「それで、俺に何か用でも?」
これ以上考えても埒があかない。俺は一旦混乱する思考を腋に追いやって、何やらもの言いたげにしている青年騎士に言葉を促す。
「団長がお呼びです。今年の新人の割り当てについて話がある、と」
青年騎士が吐き捨てるように言った。
(ここは一旦カイエンを演じるしかないか)
俺はゲームのカイエンを真似るように、尊大に顎をしゃくって応える。
「わかった。すぐに顔を出すと団長に伝えておけ」
今は下手に動くべきじゃない。まずは情報収集だ。
◇ ◇ ◇
重厚な扉の先、団長室で待っていたのは白髭をたくわえた厳つい顔つきの男だった。
彼の名はデックス。
王国騎士団をまとめる騎士団長様だ。
「来たか、カイエン」
団長は机の上の書類を指で弾きながら、不服そうな表情を浮かべ視線を上げる。
「決まりなので仕方ないが、今年も貴様には新人を一人預けることになった」
苦虫をかみつぶしたような表情で彼は続ける。
「ただでさえ危険な騎士になろうという志願者は少ないのだ。本当なら貴様なんぞに任せたくはないのだが……今度こそ潰すんじゃないぞ」
まったくもってひどい言われようである。
とはいえ『新人潰しの嫌われ者』に対しては順当な対応だろう。
俺が無言で頷くと、団長の合図で一人の少女が部屋に入ってきた。
その姿を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
亜麻色の髪。
不安げに揺れる瞳。
おどおどと俯く様。
間違いない、彼女はリナ・アシュフィールド。
ゲームの設定ではたしか、魔力も身体能力も平均以下で特別な才能もなく、そして――このカイエン・マーシャルの指導に心を折られ、騎士になる夢を諦めて退団していく運命にある少女だった。
ゲームではプレイヤーと彼女の絡みは特にない。
ただ騎士団に最初に訪れた時に門の前ですれ違い、その後に騎士団内の会話でカイエンがいかに酷い教官であるかを印象づけるためだけに存在するモブキャラでしかなかった。
設定資料集に、彼女は騎士団を去った後に騎士になる夢を諦めて故郷の村でひっそりと暮らすことになるという後日談が軽く語られていたことを覚えている。
彼女の夢見た騎士になるという物語はここで終わる。この俺のせいで。
「リナ・アシュフィールドです……。本日よりカイエン教官のご指導を……」
か細く震える声。
その表情は、弱々しい声と違い決意に満ちていた。
周回プレイの度に、ゲームの画面越しに何度も見た顔。
彼女がどうして騎士を目指したのかはわからない。
だが今、彼女はその自分の夢を叶えるためにここにやって来たのだ。
そんな夢と希望を持つ若者が潰されるなんてあっていいのだろうか?
ふつふつと腹の底から熱い何かがこみ上げてくる。
彼女の姿が、就職が決まって初めて出社したときの俺の姿とダブって見えた。
過労死して最悪のキャラに転生しただけでも理不尽だというのに、あの頃の俺のように夢を壊され、諦めに満ちた人生をこの娘に送らせていいわけがない。
(冗談じゃない!)
俺がそれをただ受け入れるとでも思っているのか?
神か悪魔か――俺をこの世界に転生させた者が何者かは知らない。
その目的もわからない以上、今はこのカイエンというキャラを演じるしか無いのかもしれない。
だが戦いとは無縁の生活を送ってきたただの社畜だった俺に、騎士を育てるなんて出来るのだろうか。
(出来るかじゃない。やるしかないんだ)
前世でも多くの部下を立派に育てた経験がある。
それに俺はゲーマーだ。どんな理不尽な仕様も知識と根性で乗り越えてきたじゃないか。
幸い俺はこの世界の元――アークス・サーガの攻略法を知っている。
ならばこの
よし、決めた。
カイエン・マーシャルを演じろというなら演じてやる。
だが、俺が演じる以上は絶対に『ハズレ師匠』などとは呼ばせない。
(俺がやるべきことは俺の知るゲームの攻略法をリナにたたき込むことだ)
そうと決まれば――
俺は原作のカイエンが浮かべるような、冷徹な笑みを意識して作る。
「はっきり言うが、貴様には才能がない」
びくりとリナの肩が震え、その瞳が揺れる。
どうやら彼女にも自覚はあったらしい。
だが俺は言葉を続けた。
「だが俺の指導に死ぬ気でついてくるなら、貴様を立派な騎士にしてやろう」
俺は立ち上がり彼女の前に立つと、リナの怯えたような瞳をまっすぐに見つめ、こう告げた。
「今日から俺を『
その言葉を聞いて、リナは俺の言葉の意味を測りかねるように瞳を泳がせる。
だがそれは僅かの間のことだった。
「は、はい……マスター……」
やがて彼女は俺の目をしっかりと見返し、小さいが確かな声でそう応えたのだった。
こうして最悪の評価を持つ鬼教官と、落ちこぼれの少女の誰も知らない物語が幕を開けたのだった。
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