第09話 白村江の敗戦と遷都(おまけ、継承の謎)

[newpage]#01 白村江の敗戦と健児兵こうでいへい

 白村江の敗戦は、平和ボケした徴兵の戦闘力が、低下していたことにあった。

 徴兵される者は、普段は農民として、田畑を耕す者であり、有事の際にだけ、徴兵される兵である。大規模土木治水工事で、耕地面積が拡大していた時代は、徴兵した兵に、拡大した耕地を与えることで、生産力の拡大を見込むことができた。


 しかしながら、耕地面積の拡大が、徐々に難しくなり、白村江に敗戦したことで、日本国土の拡大も頭打ちとなった。結果として、大量に動員される徴兵に対して、武器や防具を用意する予算も無く、徴兵された兵を訓練する時間も無い。石礫や棒を武器とするような、戦闘未経験な新兵が大半で、鉄器や鎧の支給は、動員兵の半数に届かなかったとされる。つまりは、日本征覇を進めていた、戦を重ねて、強くなり、装備を充実させていった、日本軍は夢幻と消えていた。


 天智2年663年白村江の敗戦によって、邪馬台ヤマトの防衛体制再編が、必要になった。


 九州の防衛体制を、遠国兵ではなく、地元兵を中心に編成することで、防衛の基本とした。自分で自分を守り、侵略者を、引き込んで叩き潰す。


 難波宮や飛鳥ではなく、淡海乃湖を中心とし、比叡山をはじめとする山に囲まれた、大津に都に天智6年667年遷都した。天智帝は、大津宮を本陣とした、防衛体制の確立を図った。


[newpage]#02 弘文帝大友皇子天武帝大海皇子

 天智帝の崩御で、弘文帝大友皇子が即位?、天智帝の弟である大海皇子天武帝が、反乱を起こして、美濃の多 品治おおの ほんじが、大海皇子の味方となり、不破関を封じて、朝廷と東国との連絡を断った。結果的に、大津宮による西国への徴兵および出撃命令は、国防の観点から実行されず、東国への動員命令は、不破の関を越えられず、伝達できなかったことになる。

 先に軍編成を実行し、動員を成功させた、大海皇子天武帝が、内乱に勝利して弘文帝大友皇子は崩御し、天武帝大海皇子が即位した。


 弘文帝大友皇子天武帝大海皇子の武力抗争は、「壬申の乱」と呼ばれて、日本史における、帝位継承戦争である。


 明治以降の日本史では、弘文帝大友皇子が即位しているが、戦争の経緯からすれば、即位はしていないと判断すべきである。即位していた場合、天武帝は、帝位簒奪者ということになるが、そのように記述されていない。つまり、継承戦争で、勝者となった大海皇子が、天武帝に即位したと考えるべきである。


[newpage]#03 帝位継承は、明治政府に上書きされている。

 明治政府が、捏造したのは、摂政と女帝を歴任したハズな、神功帝を削除し、仲哀帝となっていることにある。仲哀帝は皇族であり、神功帝の伴侶であり、両陛下であるが、仲哀帝の即位については疑問が多い。


 壬申の乱についても同じで、弘文帝大友皇子は、天智帝の東宮皇太子であったが、即位する前に戦乱が始まっている。大津からの命令が、地方で即応されなかったのは、即位前の大友皇子弘文帝による命令であり、元々東宮皇太子であった、大海皇子天武帝と同格とも判断されていた。


 壬申の乱は、どう考えても、帝位継承戦争であり、二人の皇子が、帝位を巡って戦った戦争である。戦った以上は、勝者が帝位に就くのは、自明であるが、敗者側が帝位に就くを、勝者側が認めるとは思えない。弘文帝の地位は、明治期に贈られた称号で、当時即位していたとは考えられない。


 神功帝の扱いや弘文帝の扱いは、すべて、明治政府による上書きした歴史であり、当時の事実とは異なっていると判断している。明治政府による上書きは、男系男子継承のために、上書きした結果であり、女系継承の排除を目的とした、明治時代の捏造である。


[newpage]#05 何故、女系が排除されたのか?

 女系の排除が行われた理由は、歴史上の一点、孝謙帝の配偶者問題に尽きる。孝謙帝は、聖武帝と光明皇后の娘であり、正当な継承者であった。しかしながら、光明帝が、皇族ではなく藤原朝臣の娘であったことで、孝謙帝そのものが帝位に就くことに問題ないが、配偶者を皇族にできるか問題を解決できなかったのである。


 道鏡問題によって、女性天皇の配偶者を、外戚問題から皇族にできないと、明治政府が判断してしまったことで、女系天皇を排除せざるを得なかったのである。


 女性皇族の配偶者問題は、SNS等を含めた報道が、面白ければ構わないバッシング報道であることもあって、今後は配偶者を皇族としないというのは、方針として間違っていない。しかしながら、皇族の子供を皇族としないというのは、いささか早計であると考えている。帝位継承問題については、廃された宮の復帰、という考え方をするのではなく、子供を陛下の養子として、新たな宮を立てるのは、認めても良いと考えている。


 これは、男系皇族についても同じであり、配偶者へのバッシングが非常に多かったために、陛下が苦労なされてた史実を考えれば、今後発生する可能性が、極めて高い。




 




 




 


 壬申の乱と呼ばれる、古代史最大の内乱は、






を味方につけたことで、兵の動員を

 


 


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