親密な締切

 締切が近づいている。

 今書いているのは、ある雑誌のコラム記事だ。コツコツ進めていて、佳境に入ってはいるけれど、気は抜けない。まだ書ききれていないのだから。

 締切まで、あと三日。資料を見て、取材メモを見て、書いて、また資料を見て……その繰り返し。生活はおざなりになり、部屋は散らかる。反対にキッキンは綺麗なままになる。わたしはシャワーを浴びなくなる。

 そういった状況になると、彼はやってくる。

 頭を抱えてノートパソコンに向き合っていると、チャイムが鳴った。わたしは舌打ちをして、玄関へ向かう。

「やあ。毎度のごとく大変そうだね」

 ドアを開くと、彼がにこやかに笑って立っていた。わたしが顔をしかめているのを気に留めず、ずかずかと入ってくる。

「さてと。まず君は、シャワーを浴びてきてくれよ。髪が酷いし、結構におうよ」

「酷い言い様ね」

「事実だからさ」

 早く早くと彼に洗面所に押し込められる。しょうがなくわたしは服を洗濯機に投げ入れて、風呂場に入っていく。

 シャワーから出てくる水がタイルを叩く音の奥に、掃除機の音が聞こえた。わたしは乱暴に頭を洗い、身体と顔に石鹸を擦りつけた。

 髪を拭きながら部屋に戻ると、すっかり片づいていた。キッチンからはいいにおいと、何かを焼くような音がした。

「もう出たの。早いね」

 彼がひょっこりとキッチンから顔を覗かせる。まあね、と返してわたしは再びノートパソコンの前に座った。

 不思議と筆がノッている。彼が来ると、何故かいつもそうなのだ。キーボードを叩きながら、わたしは唇を噛んだ。

「髪、乾かしてないでしょ」

 テーブルのパソコンから離れた位置に料理を置いて、彼はわたしの向かい側に座った。

「すぐ乾くわ」

「確かに君の長さじゃ、そうかもだけどさ」

 頬杖をついてむくれる彼を無視しながら、わたしはタイピングを続ける。しばらくは大人しくこちらを見ているだけだった彼が、そろそろ一旦おしまいにして、と言った。わたしは大人しく手を止める。ここで従わないと、何をしだすかわからないから。

 皿に盛られているのは焼き肉だった。こうやってわたしの世話を焼きたがるくせに、彼の料理のレパートリーは少ない。二回前の締切のときも焼き肉だった。ちなみに直前の締切のときはチャーハン。基本的にこの二種類をローテーションで作る。

 黙々とわたしたちは食べ進める。わたしの空になった茶碗を見て、おかわりは、と訊いてきたのが、唯一の会話だった。

 食事を終えて、わたしは再び記事を書き進める。彼は適当な雑誌を開いて読んでいる。


「できたわ」

 最後の一文字を入力して、わたしは呟いた。

「おー。おめでと」

 彼は雑誌を伏せて、わたしに言った。

「提出は、推敲とかしてからになるけどね」

「でも焦る必要はなくなったわけだ」

「そうね……毎度ありがとうね」

 とんでもない、と彼はニコニコしている。「じゃあ、僕はそろそろ帰ろうかな」

「もう少しいれば」

「いる理由ないし」

「ほんと、酷いやつね。締切前の、ちょっとした時間にしか来てくれないんだから」

「それくらいがちょうどいいんだよ。毎日僕に世話を焼かれてみろ。君はきっと僕をうざいと感じるよ」

 現に、僕が来たとき面倒くさいと思ったろ、と頬をつつかれる。わたしは黙ったまま、曖昧に笑った。

 確かに彼に細々と世話されるのは面倒くさい。しかし、心地よさもある。それに不本意だが、仕事も捗る。

 彼は立ち上がり、荷物を持つと、じゃあ、と片手を上げて玄関に向かっていく。わたしも立ち上がり、彼を追う。

 玄関のドアノブに手をかけた彼に待って、と声をかける。振り返る彼の唇に、唇を押しつける。

「もっと頻繁に仕事を入れてやるわ。締切もショートにしてね」

「勘弁してくれ」

 今度は彼から唇を寄せてきた。

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土器片たち 田崎采彦 @tanabetadayuki

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