肺胞103号室(1000字程度)

@akaimachi

肺胞103号室

私は今朝から、蝿を飼っている。

 

この『蝿を飼う』という言葉に、首を傾げた君は、きっと賢いに違いない。そして、虫かごに飼っているとか、部屋の中に蝿がわいたとか、そこまで想像を膨らませることができていたら、なお秀才だろう。

 しかしだ、そう言う訳ではないのだ。


今朝はとても気持ちのいい朝だった。なぜか寝起きが良く、仕事の憂鬱さを覚えないような体の軽さだった。

ぐーっと両手を上げながら、寝ている間に縮こまった筋肉を引き伸ばす。

この背伸びは、自分の心と身体に『さぁ新しい日だと』焦点を当てるための日課だ。

 あぁいや、背伸びを日課と呼ぶのは、少々正確な言い方とは言い切れないだろう。

 背伸びとは基本的に無意識下での行動であるため、今回の日課という言葉選びは、日本語使用法という法律において、執行猶予または、罰金を課せられる違反に該当すると推測される。いやいや、それとも、私には前科があり、すでに保護観察中かもしれない、と自分の言葉選びと向き合いながら、あるはずもない日本語使用法という分厚い本を思い浮かべ、大きく欠伸をした。

 

その時だった。

口の中、いや、喉を通り抜ける何かの感触を味わってしまう。

私の気管支がストローで、一粒のタピオカを吸い込むように、肺に『何か』が入り込んだのだ。

そう私は、このタイミングで蝿を吸い込んだらしい。

 

気管に異物が入れば、人間の防衛本能として咳き込むはずだ。肺を守るため、体から排出することに持てる力の全てを尽くしていいほどの事態に違いない。

しかし、私の体は何もかも全部を受け入れて、拒絶を始めなかった。

 それは、蝿も同じらしい。

 私の肺が心地いいのか、何の便りもなく、いるのかさえ分からないくらいの静けさで、生活を始めてしまった。

 そして「ちょっとだけ息を浅くしてもらえます?」なんて申し出てくるくらいに、図々しい。

 深く大きく息をすると、肺の中で天地がひっくり返るほどの壊滅的な状況が起こりうるのかもしれない。肺に住んだことがないため、それは知らない事実だ。

 

 彼は私の肺に馴染み、羽を伸ばしている。目には見えないが、蝿の寝転がる様がありありと想像できた。

 蝿との出会いからまだ、数時間も経っていないが、昔から知った間柄のように会話に気兼ねはない。

「今夜の夕食にスモーキーな息をお願いできます?今日は渋く行きたいんです」と話していた。


 仕方ないなぁ、と彼の要望を叶えるため、私は禁煙してたはずの煙草をふかした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

肺胞103号室(1000字程度) @akaimachi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る