第3話 中くらいの午後
二年目の春は、部屋の真ん中に少し余白ができていた。家具を増やさずに、暮らしの動線だけが磨かれたからだと思う。青い皿は相変わらず中央に鎮座して、金の細い稲妻は、朝の光を受けるたびに一本の線というより道のように見えた。わたしたちは、その道を毎日通る。指先で、視線で、音で。
ある日、あなたが紙とペンを持ってきて「音の地図を作ろう」と言った。間取りを簡単に描いて、時間ごとの音を書き込んでいく。朝七時、ケトルの細い糸の音。八時、玄関の鈴の一回鳴り。正午、通りの自転車のブレーキがこすれる気配。夕方、遠くの保育園から流れてくる歌。夜、冷蔵庫の低い唸りが途切れる瞬間。地図の隅に、風鈴の絵も描いた。風が強い日は二重丸。弱い日は点線。音の地図は壁に貼られて、わたしたちはそれを見上げては、今日と昨日の違いを確かめた。音の違いが、季節の違いを先に教えてくれることもあった。
自転車を二台迎えた。中古で、少しだけ塗装が剥げている。あなたのは深い緑、わたしのは薄い灰色。名前をつけようと言って、緑を「はやく」、灰色を「ゆっくり」にした。休日の午前、二台並べて川沿いを走る。歩幅の練習は、漕ぐ幅の練習に変わっていった。橋の下の日陰で、小さなピクニックをすることにして、青い皿をタオルに包んで連れ出した。外で鳴る青い皿の音は、少しだけ高い。空が近い分だけ、音も軽くなる。川面を撫でる風の中で、あなたはパンくずを指で丸めて、流れにそっと落とした。丸いものは、流れに逆らわずに遠くへ行く。その様子を見送る時間を、わたしたちは「中くらいの午後」と呼ぶことにした。特別でもない、忙しくもない、でも確かに何かが進んでいく午後のこと。
夏の初め、ベランダに新入りが来た。レモンの小さな苗木。店員が「根っこ、ゆっくりだよ」と言ったから、わたしたちは一拍置いてうなずいた。ゆっくりに向いている鉢を選び、土をやや多めにする。名札の割り箸が一本増え、「レモン」と書く。書いたあとで、あなたが「レモンはカタカナのほうが酸っぱそう」と言って、もう一本に「レモン」とカタカナで書いた。二枚の名札が、風に交互に揺れる。ひらがなとカタカナの揺れ方は、ほんの少し違う。どちらも可笑しく、どちらも似合っていた。
夜の窓辺に、見知らぬ客が来るようになった。白と灰の混じった猫。ベランダの手すりに乗り、こちらをじっと見るだけで、鳴かない。わたしたちは勝手に「客人」と呼んだ。水だけ小皿に入れて置くと、猫はすぐには飲まず、しばらく座ってから、音も立てずに口をつける。飲むとき、喉の奥がかすかに動くのがわかる。客人は、わたしたちの暮らしの写真の代わりのようだった。誰も撮らない時間の中に、たしかにいた印。猫が来た夜は、風鈴の音が少し控えめに聞こえた。音は、同じ音でも、誰がいるかで耳の中の形を変える。
二年目の秋、あなたの仕事が一段落して、短い旅行に行った。海の近く。海はわたしたちの湯気に似ていた。形を持たず、でも見える。朝、まだ人の少ない浜辺で、青い皿の代わりに紙袋の上にパンを置き、片方だけ海の湿気でふやけた。海風で風鈴が鳴ることを想像しながら、わたしたちは波打ち際の音を「大きな閉じる音」と名付けた。夜、宿の小さな机で、手帳に「海の湯気」とメモを書く。帰り道、海沿いの店で買った小さな青いガラスの欠片をポケットに入れた。家に戻ってから、その欠片を青い皿の端にそっと並べた。海の欠片と、皿の青は違う青で、その違いが仲良くしているのを見るのが、思ったより胸にくる。
冬、こたつの島は少しだけ広くなった。天板の角に、丸い木のカバーを付けた。とがっていたものが丸くなるだけで、暮らしの中のぶつかり合いが少し減る。ぶつからなくなると、ぶつかった日のことを思い出せる余裕ができる。暖房の温度は、相変わらず「体感気温メーター」で相談するけれど、丸の位置が離れた日は、こたつの中の「休戦サンドウィッチ」を作ることにした。足と足の間に、毛布を一枚たたんで挟む。その上に手を重ねる。重ねた手の上に、言葉を一つ置く。「あとで読む」。声に出さずに、置くだけ。不思議と、その夜は眠りがすぐに来た。
三年目の春、駅前のパン屋に新しい店員が入った。朝の「おはようございます」がまだ空気に慣れない感じで、わたしたちは勝手に「春の声」と呼んだ。春の声が袋にパンを入れる音は、すこしだけ紙が硬く鳴る。青い皿にパンを置くと、金の線のところで「カン」と澄む。皿の金の線は、わたしたちに時間の方角を教える羅針盤になっていた。皿を洗うときも、拭くときも、そこを避けず、そこを通る。通るたびに、「ここを通った」と心の中で報告する儀式は続いた。
小さな喧嘩は、掃除の仕方に移った。あなたは溜めて一気にやる派、わたしは少しずつ派。休日の午前、掃除機とほうきがキッチンの前で鉢合わせして、互いの動線を邪魔した。「今まとめてやったほうが早い」とあなた。「今ここだけやると気が楽」とわたし。声の温度が、あの日のゴミの分別と同じように少し低くなる。わたしたちはコーヒーを淹れ、青い皿にクッキーを二枚のせて、テーブルに座った。クッキーの欠けているほうを互いに押しやり合って、笑ってしまった。冷蔵庫のメモに、新しい紙を貼る。「掃除の二段構え」。一気の月曜、少しずつの木曜。文字にすると、予定は味方になる。
夏、レモンの木に小さな蕾がついた。驚くほど小さな白。朝、湯気の向こうで、その白がわずかに膨らむのを見るのが日課になる。客人の猫は相変わらず夜だけ来る。ある夜、猫がベランダに背のびをして前足で何かをつかもうとした瞬間、風鈴が小さく鳴った。あなたは「猫の鳴らす音は初めてだ」と言った。音の地図の隅に、小さく「客人の風鈴」と書き足した。地図は書き足すたびににぎやかになり、壁の紙が足りなくなって、下にもう一枚、延長して貼ることになった。延長した紙の継ぎ目には、長い季節の継ぎ目みたいな愛着が宿った。
秋、あなたが突然、陶芸教室のチラシを持って帰ってきた。「皿を、もう一枚作ってみない?」と言う。青い皿がひとつという前提は変えたくなかったけれど、作ること自体には心が躍った。週末、二人で土に触る。ろくろの上で土は、こちらの迷いをそのまま形にする。わたしの皿は、縁が波打った。あなたの皿は、中心がほんの少しだけずれた。焼き上がった二枚は、不揃いの兄弟のようで、どちらも青くはなかった。薄い灰と、淡い茶色。わたしたちはそれに「雨」と「土」と名付けた。青い皿の隣に、日替わりで並べる。青い皿は、隣に新しいものが来ても、嫉妬しない。むしろ、金の線が誇らしげに見えた。
冬のある夜、わたしが風邪をひいた。喉が熱く、声が出にくい。あなたは「ひらがなでしゃべる日」にしてくれた。短い音で、柔らかく。「おゆ」「おかゆ」「あたたかい」。湯気が部屋にいつもより濃く立ちこめ、カーテンがしっとりと重く揺れる。あなたが熱を測るたび、「いまの気温」を体感気温メーターにそっと丸する。丸の位置が低い夜は、こたつの中の休戦サンドウィッチを長めにしてくれた。弱る側と支える側の行き来は、思っていたより短い橋だった。三日後、声が戻った朝、ケトルの白い糸がいつもより細く見えた。細いものを見る目が、わたしたちの間にまたひとつ増えた。
四年目の春、駅前の桜が去年より早く散った。花びらがベランダまで飛んできて、レモンの葉の上に乗った。葉の緑と花びらの薄桃色は、近くで見ると不意に泣けるほど似合っていた。「色の相性の辞書」を作ろう、と言って、冷蔵庫の横に小さなノートを吊るした。青と焦げ色、白と金、灰と緑、桃と緑。そこに時々、「今日の機嫌」と一緒に色を記す。言葉だけでは追いきれない気分を、色で捕まえる練習。練習はすでに本番で、本番はいつも優しかった。
夏の夜、屋上に上がって流星群を見た。見上げる首の角度を「おかえりの角度」に合わせる。星は音を立てない。音の地図に空白ができる夜。空白の音を「無音の重なり」と名付けた。あなたは「音がないのに、何かが満ちている」と言って、わたしは「音がないから、満ちているのがわかる」と返した。言い合いではなく、言葉を並べる遊び。遊びの最後は、風鈴が小さく一度だけ鳴って締めた。
五年目に入るころ、「あとで読む」の瓶はほとんど満ちていた。紙を折るたび、角がほんの少しずつ鈍る。鈍った角は、読むときの指先に優しいだろうと思う。瓶の横に、小さな空の瓶を置いた。ラベルには「もういちど読む」と書いた。七年目に開けたあと、また折り直して入れるための瓶。繰り返しの行き先を、あらかじめ用意しておく。未来の仕舞い方を、前もって考えるのは、わたしたちの癖になった。
レモンの木がついに、一つだけ実をつけた。指先の爪ほどの大きさから始まり、豆、ビー玉、ピンポン玉。成長の比喩に迷わなくていい、あからさまな変化。わたしたちは毎朝、その大きさをなぞるふりをして、声に出さずに笑い合った。秋風が冷たくなり始めた頃、黄色の気配が実の内側から灯った。初めての収穫は、ナイフを使わず手でもぐことにした。もいだ瞬間、部屋の空気が甘くなる。半分こして、青い皿の真ん中に置く。半分の切り口が、金の線の上で左右にわかれる。わたしたちは、その黄色い酸っぱさを少しずつ舐めるように味わった。目をつぶると、海の湯気が鼻の奥に帰ってきた。
冬、あなたが祖母の形見だという小さな手鏡を持って帰ってきた。縁に蔓草の模様。鏡は曇りやすく、湯気に弱い。わたしたちは、朝の湯気の時間だけ、鏡を台所の端に立てることにした。湯気が鏡を曇らせて、曇りが少しずつ引いていく様子を眺める。曇りが引く線は、皿の金の線に似ていた。姿がはっきりするまでの時間に、あなたはいつも少しだけ背筋を伸ばす。見える自分が、昨日よりもほんの少しやさしい気がするという。鏡の裏に、祖母の名前が細く彫ってあった。名前は呼ぶためだけでなく、渡すためにある。青い皿の隣に鏡を置くと、皿の青が鏡の中で少しだけ暗くなって、美しかった。
五年目の終わり、家具屋の前で、わたしたちはソファの前に立ち尽くした。座ってみて、立ってみて、また座った。床に座る暮らしに身体が馴染みすぎて、ふわふわの座面がどこか落ち着かない。結局、買わないことにした。帰り道、あなたが「持たない選択も、記念になるね」と言った。記念日のために何かを持ち帰るかわりに、持ち帰らないものの名前を「あとで読む」の紙に書いた。「ソファを見送った」。紙片にそう書くと、少し可笑しくて、少し誇らしかった。
六年目の春、カーテンの裾の縫い目がまたほつれた。針箱を出して、また二人の役割は自然に決まった。あなたは糸を通すのが苦手で、わたしは結び目をほどくのが得意。去年と同じ、不器用と得意。けれど針を持つあなたの指先は、去年よりも少し迷いが少なかった。迷いの少なさは、器用さの証拠ではなく、信じる場所をよく知っている印だと思った。縫い終えた裾が、去年よりも軽く揺れる。窓の外の街路樹も、去年より軽く見える。軽さは、減ったからではなく、重さの居場所が決まったからだ。
夏、町内会の盆踊りで、店主が「へんてこの大賞」をくれた。わたしたちはへんてこを見つけることの名人だと、半ば本気で言う。賞状は画用紙で、手書きの金色の丸がにじんでいた。冷蔵庫の横に貼ると、台所が小さな博物館になった。そこに、色の相性の辞書と、音の地図と、体感気温メーターと、掃除の二段構えと、こたつの交通ルールと、へんてこの大賞が並ぶ。暮らしが、書類として壁に増えていく。その前で、わたしたちは時々、何もせずに立ち尽くす。立ち尽くすことも、儀式の一つだ。
秋の終わり、客人の猫が来なくなった。三夜、四夜、風鈴は鳴るのに、影が現れない。心のどこかに空席ができて、そこに風が通う。わたしたちはベランダの手すりに小さな紙を貼った。「またどうぞ」。誰に向けたともわからない紙。紙はすぐに雨に滲んで読めなくなったけれど、滲みが手すりに残った。滲みを見るたび、来てくれた夜が、確かにあったと思い出せる。写真の代わりに残るものは、いつだって滲みのようなものだ。
六年目の冬、わたしたちは、瓶の前で一度深呼吸をした。七年目の朝まで、あと少し。瓶の中の紙は、口の近くまで届いている。指を入れると、角が頬に当たる。角の冷たさは季節の温度に関係なく一定で、それが妙に心強い。あなたが「七年目に開けたあと、この瓶はどうする?」ときいた。「海の砂を入れよう」とわたしが言うと、「海の湯気も」とあなたが返した。湯気は瓶には入らない。でも、入らないものの名前をラベルに書くことはできる。書くと、入った気がする。わたしたちは、そういうふうに暮らしてきた。
また朝が来る。ケトルの口から白い糸が立ちのぼり、青い皿が光を受けて深さを増す。風鈴はまばらに、鈴は確かに。レモンの葉は冬の光を跳ね返し、カーテンは縫い目のところで小さく陰る。「七年目に開封」の文字は、日に焼けて少し薄くなっているけれど、線の位置は変わらない。わたしたちは、線を指先でなぞるふりをしてから、今日のスープの火を決める。弱火、落し蓋、気長。三つの言葉は、相変わらずわたしたちの生活の標語だ。標語の向こうに、もうすぐ来る七年目の朝が、細い湯気になって見えていた。
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