第5話  F分の1の揺らぎー(1)


「F分の1の揺らぎ?」

セス・ヨシイ准教授はヘッドホンを外し、スザンナをまっすぐ見た。

「そうだ。彼の場合、それが最高峰のレベルだ。」


セスはスザンナの大学時代の先輩であり、音楽サークルの仲間でもあった。今は東カルフォルニア大学の音響研究室に残り、准教授として静かに研究に没頭している。それでも、スザンナに対しては何かと手を貸すことを惜しまない。


「ヒーリング効果がある、っていう揺らぎ?」

「違う。ヒーリングなんて生やさしい話じゃない。」

スザンナの眉が一瞬跳ねる。

「どういうこと?」

「催眠効果がある声だ。」

「催眠……?」

「そう。歌詞次第で、人を催眠状態にまで誘い込める声だ。」


スザンナは目を見開いた。

「すごい……」

「ああ。これは武器になる。」

「聴いてみて。」


スザンナは小さなUSBを差し出す。

「俺を催眠状態にするつもりじゃないだろうな?」

「そんなことしなくても、もう夢の中でしょ?」

スザンナの口元が微かに笑った。アイスグリーンの瞳が不思議な光を放つ。

セスは息を呑んだ。彼女の集中と闘志が、確かにその瞳に宿っていた。


USBを機械に差し込み、セスはスザンナを見返した。

「君の才能には驚かされる。」

「お願い。何としても、彼をスターにしなきゃ。」

スザンナの声は低く、決意に満ちていた。


外の世界は狂っていた。

民主党・共和党以外の第三勢力、AI至上主義党が大統領を輩出し、アメリカのショウビジネスは一変した。AIで生成されない作品は、ほぼ全て排除される。ブロードウェイでの舞台、出演者、演目すら、人の手で作られたものは許されなくなった。


しかし、カルフォルニア州とラスベガスを抱えるネバダ州は抗った。連邦政府の非AI生成税をものともせず、独自路線を貫く。映画もライブも、チケットは高騰した。それでも人々は、目当てのスターのために惜しみなく金を落とした。


   ◇


 ジミーが缶ソーダのプルタブを開く。

「このままじゃ、エンタメは富裕層だけのものになっちまう。」

「私のソーダは?」

 ジミーは缶を差し出した。

「飲めよ。」


 スザンナは少し眉をひそめつつ、口をつける。

「俺は、このままじゃ終わらせない。絶対に。」

 ジミーは言うと、勢いよくソーダを飲み干した。

 その背中には、抗う者だけが背負う孤独と覚悟が滲んでいた。




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