火を継ぐモノ

Spica|言葉を編む

第1話 灰色の市門

灰色の霧が、石畳を這うように広がっていた。


朝靄というには重く、煙というには冷たすぎる。


ここ、アルマデアでは、空すらも言葉を憚る。


鐘の音も、書の声も、今はただ、風が全てを押し黙らせている。


ルカは、厚手のマントの襟を立てながら、城壁下の古道を進んでいた。


"かつて教師として教壇に立っていた"。

それは、今では記録の中の出来事だ。


現在の彼は、役所に「薬草研究者」として登録されている。


確かにそうした日もあるが、それは彼の真実の半分にすぎなかった。


今日、彼が向かうのは東の市門。滅多に人の出入りのないその門の傍に、印刷工房がある。


そこは、かつての教え子——エリシャが継いだ場所だった。


門番は、名簿に目を落としたまま言う。


「薬草仕入れ……記録通り。次、通れ」


ルカは帽子を軽く下げた。市の“秩序”は、無関心という名の沈黙によって保たれている。


-------


工房の中は、インクと焦げた紙の匂いに満ちていた。


かつて、光を生んだ場所。

いまやその灯は微かだが、確かに息づいている。


「先生……来ると思ってましたよ」


印刷機の裏から、青年が現れた。


インクで染まった手を布で拭きながら、わずかに笑う。


エリシャ——少年ではなくなっていた。

だがその眼差しには、かつて講義に心を燃やした“火”が、まだ残っていた。


「例の文書、できているのか?」ルカは声を潜める。


「ええ。ただ……もう隠すだけでは、意味がないと思ってます」


その声には、恐れと決意とがないまぜになっていた。


-------


勇気とは、希望と怯えが拮抗する瞬間にこそ宿る。


ルカはふと、壁の隅にある古い額に目を向ける。


ラテン語でこう記されていた。


“Veritas ardet, sed non consumitur”

「真理は燃える、されど焼き尽くされぬ」


「……この火を、どう繋ぐかだな」


呟いたルカの背後に、扉の軋む音が重なった。


誰かが訪れたのだ。


そして今、問いは静かに立ち上がる。

この火が、本当に求めているものは——何なのか。






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