ある遺書と、ある日の新聞記事
あの子が生まれたのは夏の暑い日でした。
わたしはあの子の前に流産を経験しています。あの子は不妊治療の末に産まれた奇跡の子でした。
初めてあの子の産声を聞き、あの子の顔を見た日のことは忘れられません。
新月の夜でした。小さな星だけがきらめく夜空に、今この子が飛び立ち、
あの子の父親は、あの子を妊娠中に、浮気を繰り返し、帰ってこなくなりました。
母一人子一人の生活でしたが、今思えば幸せな日々でした。あの子は赤ちゃんの頃は、まわりの子より小柄だった。ミルクをたくさん飲んで、離乳食もたくさん食べるのに、心配したものでした。けれど、幼稚園年長になる頃には、クラスの中でも大柄な方になっていました。
心優しい子でした。魚を出すと、目がぼくを見ている、かわいそうで食べられないと泣きました。洗濯物は一緒にたたんでくれたし、ご飯の食器を運んでくれたり、お手伝いが大好きな子でした。
いつからでしょう。小学校四年生の頃には、身長が170センチを超えていました。あの子の父親は185ありましたから、似たのでしょう。
その頃から、あの子はわたしを――わたしだけではなく、まわりの大人も子どもも、にらみつけて、時には暴力に訴えることで、自分のわがままを通すようになってしまった。
わたしはあの子が小さい頃から、暴力はいけないと、自分より小さい子、弱い人には優しくするようにと、言い聞かせてきたつもりでした。礼儀もしっかり教えてきました。あの子の父親のようにならないように。
それは無駄だったのでしょうか。
あの子が変わると、いつしか、まわりに集まる子どもたちも変わりました。同級生の子たちは、あの子におびえて従うか、あの子を利用してまわりに言うことを聞かせ、優位に立とうとしているのが、わたしから見てもわかりました。あの子は特に、塚本
もちろん、よその子どもたちを責める気持ちはありません。わたしが悪いのです。体が大きくて優しい父親というものを、その姿、その背中を、見せてあげることができなかったのですから。ほかの子たちはあの子みたいに、力と
だから、全てわたしが悪いのです。
小島さんに言われました。
なぜ、うちの子だけが生きているのかと。
小島さん家の
おどろきは……しませんでした。
あの子ならやりかねないかな、と思いました。
恥ずかしい話です。けれど……わたしも、去年からずっと、やられてきましたから。
食卓に並べた料理。掃除機の音。お風呂を入れるタイミング。声をかけるタイミング。何か少しでも気に入らないことがあると、あの子はわたしを殴りました。皿を投げました。そのうち、黙って仁王立ちになってにらみつけてくるようになりました。その姿が――あの子の父親にそっくりで。
小学校五年生の男の子って、もう、力は大人の男性にも及ぶほどです。少なくともうちの子はそうでした。頭の中はまだまだ、十一歳の子どもなのに。それでなくても、わたしにあの子を傷つける勇気はありませんでした。いえ、自分が傷つけられる覚悟もなかったのです。わたしが耐えてさえいれば、まだわたしたちは親子でいられる。この子もきっと、もう少し大きくなったら、わかってくれる。そう信じて――自分に言い聞かせて、毎日を耐えていました。
なぜ、うちの子だけが生きているのか。
本当にそうね、と思いました。こんなことを言うのは親失格かもしれませんが、クラスのどの子たちより、死ぬべき子がいるとしたらそれはうちの
あの子の父親はひどい人間でした。
身重のわたしに手をあげたことも数知れません。
後で聞いた話では、職場でもパワハラを繰り返していたようです。それで自分は、ある日突然、浮気相手と逃げました。職場の方々に、わたしが責められました。けれどわたしには、どうすることもできなかった。
あの地獄が、あの悪魔が、また目の前にいるのです。
あの子が事故で両足を失った時、わたしはそれはそれは悲しかった。悔しかった。あの子はわたしの子ですから。どれだけの思いであんなに大きくたくましくなるまで育てたか。あの子がスポーツが大好きで、走り回っていたことも、誰よりもよく知っていましたから。
けれど――同時に、ホッとしたのです。これでもう、殴られることはなくなる。たくさんたくさん面倒を見てあげよう。愛してあげよう。あの子が小さかった頃にしていたように。してあげられなかった分も。きっとわたしたちは、やり直せる。そう思いました。
でもね。
人はそう簡単には変わらない。あの子は変わりませんでした。料理の皿をわたしに投げつけ、低い声で――誰に教わったのか、あの子の父親そっくりの、ドスの効いた低い声で――命令します。病院でも若い看護師さんや若い女医さんばかりに、採血が下手だの支えかたが下手だのと怒鳴り散らしていたようですし、リハビリも全身で拒否して協力しようとしませんでした。メンタルが相当参ってるみたいだとお医者さんには言われました。
そう、メンタルが参ってるだけ。ある日突然、両足を失ったのだから。だから優しくしてあげなくては。機嫌が悪くても、耐えなくては。
そう自分に言い聞かせる日々が、また始まりました。退院してからは、わたしが一人で、あの子の面倒を全て見ていました。訪問看護や訪問リハビリも手配したけれど、知らない人たちが来るとあの子、暴れるんです。両足がなくても人間、暴れることはできるのですね。危うくスタッフの方を一人怪我させるところで、わたしの方で、もう来てもらわなくて良いとお願いしました。
終わりのない日々――
なぜ、おたくの子どもだけが生きているの?
小島さんに言われた言葉が、わたしの頭の中でずっとぐるぐる回っています。
この子は今後どうなるのだろう。わたしももう若くはありません。けれど、まわりを拒否して、にらんで、わがままを通して、そんなやり方しかできない、変えることもできそうにないこの子は、わたしがいなくなったら、どうするのでしょうか。もうやれることは全てやってきました。わたしの力不足だったかもしれませんが、これ以上わたしにはどうすることもできないのです。
いえ――できなくても、やるしかない。
親であるわたしが、責任を取るべきなのだと思います。
今日、あの子に飲ませたジュースに、睡眠薬を入れました。
さっきまで、寝ているあの子の顔を見ていました。
赤ちゃんの頃。幼稚園の頃。小学生になったばかりの頃。いつでもあの子は、寝顔だけは変わらず、かわいく、
わたしはあの子のかわいい顔にビニール袋をかぶせ、首のまわりをガムテープでぐるぐると巻きました。
これからわたしも、首を吊って死にます。
わたしは母親ですから。あの子を一人にはできません。
瀬尾舞子
*
8月2日の新聞記事
1日午後9時50分ごろ、A県B市の住宅で、この家に住む瀬尾舞子さん(48)とその長男(11)が倒れているのを、舞子さんの職場の上司が発見し通報した。二人は搬送先で死亡が確認された。舞子さんはベッド柵に巻きつけたロープで首を吊っており、長男は頭に袋をかぶった状態で、首にはガムテープが巻きつけられていた。現場には舞子さんが書いたと思われる遺書があり、警察は、無理心中の可能性もあるとみて、詳しい状況を調べている。
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