6-6 呪の中核で暮らす者

 深山しんざんが最初に受けたのは左側からの払い込みだった。


 左手に持ったコレを警戒したらしい。坊様のクセに随分と感が良い。いや踏んだ場数がものをって居るのか。右手の剣でコレを受けた。


 そして相変わらず強い。


 ぎ、払い、突き、立て続けに振われる連撃をいなすのが精一杯。左手に持っているコレを使う暇がまるでなかった。

 本当に目眩めくらましが効いているのか、あの猛烈な臭いを浴びせられて何故真っ当に立っていられるのかと、不思議に思える程の技の冴えだ。


 でも、あの時ほどじゃない。


 以前はまるで見えなかった動きを感じ取ることが出来たし、初めて受けたあの恐ろしいほどのキレが無い。

 なださんの術がこの老僧の弱体化に成功しているのは間違いなかった。右手一本で凌ぐことが出来て居るのが何よりの証拠。ならば後は自分が左手のコレで、老僧に「着火」するのみ。




 今回、あの老僧の「駆除」あたって、灘さんは俺に策の骨子を説明してくれた。


「以前にもお話ししましたが『ハナモゲ魔王臭い水』はアルコールを溶媒として使っています。臭い成分を濃縮して原液としてますが、基本はブチルメルカブタン、有機硫黄化合物です。皮膚のタンパク質と強く結合し、取り除くのは困難。

 そして極めて高い引火性を持ってます」


「・・・・なるほど。アルコールだけではなくて薬そのものすら火気厳禁なのですね」


「はい・・・・わたしは隠形と『気配の移し替え』で姿を隠し、お坊さんの後ろに回り込んでコレをしこたま浴びせます。深山さんはわたしの帽子とローブを羽織り、この小型スピーカーを持って居て下さい。マイクでわたしダケが話します。

 そうすれば目の前に居る身代わりの深山さんをわたしだと思うでしょう」


「では俺と若狭さんは?」


「浴びせたコレに火を放って下さい。わたしも『ふうふう火炎(口から吹く常温発火油)』で試みますが、上手くあのゾンビに着火できるかどうか。充分に注意して下さいね。コレ、本当によく燃えるので」


「延焼しないよう場所も選ばないと。ヘタに飛び火すれば惨事ですよ」


「マンションに住む皆様の協力が不可欠です。逃がすわけにも行かない。許して、許してたまるものですか」


 床に視線を落とすまなじりが吊り上がり、ギリリと歯ぎしりが聞こえた。


「わたしのおじいちゃんはお坊さんでした。位階は決して高くは無かったのですが、わたしが尊敬する人でした。

 周囲からも慕われていて、偉ぶったところが何処にもなく、子供にも面白おかしく法話をする姿が大好きでした。おじいちゃんを通じて、お坊さんというお仕事そのものに敬意を抱いていました。

 ソレを、何なんですかこのヒトは」


「・・・・」


「おじいちゃんをバカにしているのですか。おじいちゃんが人生を賭けてやっていたお仕事を土足で踏みにじるような真似をして、なぜ得意満面なんですか。屁理屈をこね回して、自分の悪行を正当化するような物言いをして。

 しかもペンギンさんまで食い散らかして。ふざけんなですよ!」


「気持ちは分かります。俺だってはらわたが煮えくり返ってますよ。ですがお互い気持ちを静めましょう。感情的なままでは上手く仕事は出来ません」


「はい、分かってます。分かってますとも、深山さん」


 そこでようやく灘さんは大きく息を吸い込んで静かに吐き出した。


「炎は全ての罪を浄化します。それを教えて差し上げましょう」




 老僧の錫杖しゃくじょうが伸びる。鋭い突き込み。


 避けた途端、緑青剣の助言がささやく。


 左方向に反転。


 咄嗟とっさに地をうような低姿勢で反転する。


 切り返し。

 間合いを詰めすぎるな。

 切り返し。

 カウンター。来る。

 いなせ。突き込め。

 右方に重心ずらせ。

 足払い、来る。


 間断なく脳裏に流れ込む矢継ぎ早の助言。相手の手元を見切る適切に過ぎる指示。

 グフリノスはいま、冴えに冴えまくっていた。相手の手管を全て掌握しょうあくしたかのような、いや、次に来る手業を事前に知っているのではと思える程の的確さだ。


 まるで何かの鬱憤うっぷんを晴らすかのように。

 あくまで冷徹に、正確に。緑青剣は勝つための道筋を囁き続ける。


 いったいコレで何度何合目に為るだろう。

 老僧の小さな舌打ちが聞こえた。一瞬飛んで逃げようとする気配が在ったのだが、何故かたたらを踏み、俺の踏み込みを避けるのだ。


 直上、振り下ろし。


 大振りのそれを低姿勢のまま逆ステップで避ける。すると、ガラ空きの左側面が見えた。


 やはりそうだ、動きが甘い。目がくらんで目測が曖昧なのか、激しい臭気で集中力が乱れているのか。別の何かに気を取られたのか。


 いずれにしても好機。トリガーを引きながらピンク色の目眩めくらましの中に左手のブツを突っ込んだ。


 それは家庭用の除草用バーナーだった。

 相手が警戒するだろうから消したままでの一発勝負。頼む、と願う気持ちは刹那せつな。バーナーは一瞬で着火した。

 カセットボンベの圧力のまま、四〇〇ミリの長さの炎が老僧の頭部を灼く。


 効果は劇的だった。




 どんっ、と大きな音が爆ぜた。


 傍目はためにも巨大な青い火球が出現して、老僧の上半身が火炎で包まれた。目の前での火炎の破裂にたたらを踏んで、俺は思わず目をつぶってバックステップ。

 追撃を警戒したが相手はそれどころでは無かった。ぎゃあと叫ぶのと、燃え上がる炎を消そうと地面の上を転がるのとで精一杯だったからだ。


 恐らく、動き回って揮発が進んだアルコールへ瞬時に引火したに違いない。


 熱い、熱い、と老僧は叫びながら転がり続けて居た。僧衣が見る間に焼けてゆく。アルコールだけじゃない。間違いなく臭いの元成分にも着火したのだ。


「何をしている剣士の兄ちゃん。坊主にトドメを刺せ!」


 左手を折られた若狭さんが腕をかばったまま叫んでいた。呼び寄せた筈の他の若狭さんは居るには居る。だが、みな老僧に蹴散らかされて何かしらケガを負い、うずくまって居た。


 いや、でも、この有様の相手にどうやってトドメを?


 迂闊うかつには近寄れないし、何よりかれて身悶えする相手を切りつけるのは躊躇ためらわれた。


 判断に迷ったのは数秒。だがそれは見透かされてしまったらしい。

 その油断を突いて老僧は夕暮れの空に跳ぶ。前回はあまりの素早さに見失ってしまったが、今度は火が着いたままの身体だ。目で追うのは容易かった。あるいは上半身が燃えている最中で、以前ほどの瞬発力が出せなかったのかも。


「逃がすな!」


 若狭さんが叫ぶ。

 言われるまでもない。俺は飛び退った先を目指して駆け出していた。




 何たるコトよ。

 このわしが斯様かような失態を演じることになろうとは。


 剣士と相対したのはコレが初めてではない。言い掛かりで斬り付けられたコトも在ったし、複数の者に囲まれ一斉に打ちかかられたコトも在った。火矢を射かけられたコトも在ったし、槍や投網で絡め取られようとされたコトも在った。


 だが、頭から燃油を浴びせられ、火を着けられたのは初めての経験。しかも鼻が引き千切れるのかと思える程の悪臭付きとは、何たる底意地の悪さか。


 見誤っておったわ。


 しゅの囲いから抜け出すことが出来ず、この狂おしい飢えに惑わされ気が急いたか。

 剣や呪術の主と知りながら、所詮しょせんは市井のなにがしよと相手をあなどり過ぎたか。


「わしもヤキが回ったのう」


 結界の内にある、水田用水路に水が残って居たのは幸い。飛び込んで火を消し、潜んで追っ手をやり過ごした。桃色のケバケバしい目眩めくらましは徐々に薄れつつある。術が解け始めているのだ。


 そして直に陽が落ちよう。そうなれば夜陰に紛れてまた伏し、呪の外へ抜け出す方策を探ることが出来る。


 水鏡で己の姿を写し見た。鼻が焼け落ち頬と唇が削がれ、鼻骨と歯茎が剥き出しになっていた。まぶたただれて焦げて失せ、目玉がき出しになっていた。これでは目を閉じることもかなわぬ、と失笑が洩れた。


 だがその声もまた、歯の隙間から漏れた頼り無い隙間風でしかない。


 やれやれ、ひどい有様じゃ。コレでは文字通りの木乃伊ミイラ坊主よ。


 もとより生きたまま枯れ果てたこのの身ではあったが、ここまで火に弱いとは思わなんだ。同じ手を何度も食うほど迂闊うかつでもないが、次に喰らったらもうひとたまりもあるまい。


 そして身にまとっていたものはもっと酷い。法衣も袖を残して焼け落ちて、残って居るのはふんどしと脚絆きゃはん草鞋わらじくらいのものだった。


「したり。托鉢たくはつの鉢どころか数珠じゅずまで失せてしもうたか」


 法衣に忍ばせてあった数多の呪符も全て失せ、文字通りの裸一貫。しゅの囲いを穿うがつには呪符は必須。墨と紙、そして筆を用意せねば。また衣服も調達せねばならぬ。

 そんな思惑のままこうべを巡らす内に、薄暗がりの中に立つ人影を見つけた。


「どちらさんかな」


 スカスカと気の洩れる音を立てながらでも、ヒトの言葉は何とか操れた。少なくとも一〇歩と離れて居らぬ場所に立つ人物へ話掛けるのに不自由は無かった。


 そも、この距離まで。自分の間合いに完全に踏み込まれて居るというのに、気付くことが出来なかったのだ。

 顔や頭の皮が一枚めくられるほどの火であぶられたとはいえ、五感は未だ健在。路傍ろぼうの草葉が一枚一枚揺らめくさま、砂利の小石の音の一つ一つまで判別出来る自信がある。

 だのに入り込まれた。


 まず間違いなく普通の御仁では無い。


「あのマンション、いえいえ、件のしゅの中核で暮らす者の一人です」


 声は軽妙で、朗らかだった。

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