6-6 呪の中核で暮らす者
左手に持ったコレを警戒したらしい。坊様のクセに随分と感が良い。いや踏んだ場数がものを
そして相変わらず強い。
本当に
でも、あの時ほどじゃない。
以前はまるで見えなかった動きを感じ取ることが出来たし、初めて受けたあの恐ろしいほどのキレが無い。
今回、あの老僧の「駆除」あたって、灘さんは俺に策の骨子を説明してくれた。
「以前にもお話ししましたが『ハナモゲ魔王臭い水』はアルコールを溶媒として使っています。臭い成分を濃縮して原液としてますが、基本はブチルメルカブタン、有機硫黄化合物です。皮膚のタンパク質と強く結合し、取り除くのは困難。
そして極めて高い引火性を持ってます」
「・・・・なるほど。アルコールだけではなくて薬そのものすら火気厳禁なのですね」
「はい・・・・わたしは隠形と『気配の移し替え』で姿を隠し、お坊さんの後ろに回り込んでコレをしこたま浴びせます。深山さんはわたしの帽子とローブを羽織り、この小型スピーカーを持って居て下さい。マイクでわたしダケが話します。
そうすれば目の前に居る身代わりの深山さんをわたしだと思うでしょう」
「では俺と若狭さんは?」
「浴びせたコレに火を放って下さい。わたしも『ふうふう火炎(口から吹く常温発火油)』で試みますが、上手くあのゾンビに着火できるかどうか。充分に注意して下さいね。コレ、本当によく燃えるので」
「延焼しないよう場所も選ばないと。ヘタに飛び火すれば惨事ですよ」
「マンションに住む皆様の協力が不可欠です。逃がすわけにも行かない。許して、許してたまるものですか」
床に視線を落とす
「わたしのおじいちゃんはお坊さんでした。位階は決して高くは無かったのですが、わたしが尊敬する人でした。
周囲からも慕われていて、偉ぶったところが何処にもなく、子供にも面白おかしく法話をする姿が大好きでした。おじいちゃんを通じて、お坊さんというお仕事そのものに敬意を抱いていました。
ソレを、何なんですかこのヒトは」
「・・・・」
「おじいちゃんをバカにしているのですか。おじいちゃんが人生を賭けてやっていたお仕事を土足で踏みにじるような真似をして、なぜ得意満面なんですか。屁理屈をこね回して、自分の悪行を正当化するような物言いをして。
しかもペンギンさんまで食い散らかして。ふざけんなですよ!」
「気持ちは分かります。俺だってはらわたが煮えくり返ってますよ。ですがお互い気持ちを静めましょう。感情的なままでは上手く仕事は出来ません」
「はい、分かってます。分かってますとも、深山さん」
そこでようやく灘さんは大きく息を吸い込んで静かに吐き出した。
「炎は全ての罪を浄化します。それを教えて差し上げましょう」
老僧の
避けた途端、緑青剣の助言が
左方向に反転。
切り返し。
間合いを詰めすぎるな。
切り返し。
カウンター。来る。
いなせ。突き込め。
右方に重心ずらせ。
足払い、来る。
間断なく脳裏に流れ込む矢継ぎ早の助言。相手の手元を見切る適切に過ぎる指示。
グフリノスはいま、冴えに冴えまくっていた。相手の手管を全て
まるで何かの
あくまで冷徹に、正確に。緑青剣は勝つための道筋を囁き続ける。
いったいコレで何度何合目に為るだろう。
老僧の小さな舌打ちが聞こえた。一瞬飛んで逃げようとする気配が在ったのだが、何故かたたらを踏み、俺の踏み込みを避けるのだ。
直上、振り下ろし。
大振りのそれを低姿勢のまま逆ステップで避ける。すると、ガラ空きの左側面が見えた。
やはりそうだ、動きが甘い。目が
いずれにしても好機。トリガーを引きながらピンク色の
それは家庭用の除草用バーナーだった。
相手が警戒するだろうから消したままでの一発勝負。頼む、と願う気持ちは
カセットボンベの圧力のまま、四〇〇ミリの長さの炎が老僧の頭部を灼く。
効果は劇的だった。
どんっ、と大きな音が爆ぜた。
追撃を警戒したが相手はそれどころでは無かった。ぎゃあと叫ぶのと、燃え上がる炎を消そうと地面の上を転がるのとで精一杯だったからだ。
恐らく、動き回って揮発が進んだアルコールへ瞬時に引火したに違いない。
熱い、熱い、と老僧は叫びながら転がり続けて居た。僧衣が見る間に焼けてゆく。アルコールだけじゃない。間違いなく臭いの元成分にも着火したのだ。
「何をしている剣士の兄ちゃん。坊主にトドメを刺せ!」
左手を折られた若狭さんが腕を
いや、でも、この有様の相手にどうやってトドメを?
判断に迷ったのは数秒。だがそれは見透かされてしまったらしい。
その油断を突いて老僧は夕暮れの空に跳ぶ。前回はあまりの素早さに見失ってしまったが、今度は火が着いたままの身体だ。目で追うのは容易かった。あるいは上半身が燃えている最中で、以前ほどの瞬発力が出せなかったのかも。
「逃がすな!」
若狭さんが叫ぶ。
言われるまでもない。俺は飛び退った先を目指して駆け出していた。
何たるコトよ。
このわしが
剣士と相対したのはコレが初めてではない。言い掛かりで斬り付けられたコトも在ったし、複数の者に囲まれ一斉に打ちかかられたコトも在った。火矢を射かけられたコトも在ったし、槍や投網で絡め取られようとされたコトも在った。
だが、頭から燃油を浴びせられ、火を着けられたのは初めての経験。しかも鼻が引き千切れるのかと思える程の悪臭付きとは、何たる底意地の悪さか。
見誤っておったわ。
剣や呪術の主と知りながら、
「わしもヤキが回ったのう」
結界の内にある、水田用水路に水が残って居たのは幸い。飛び込んで火を消し、潜んで追っ手をやり過ごした。桃色のケバケバしい
そして直に陽が落ちよう。そうなれば夜陰に紛れてまた伏し、呪の外へ抜け出す方策を探ることが出来る。
水鏡で己の姿を写し見た。鼻が焼け落ち頬と唇が削がれ、鼻骨と歯茎が剥き出しになっていた。
だがその声もまた、歯の隙間から漏れた頼り無い隙間風でしかない。
やれやれ、
そして身に
「したり。
法衣に忍ばせてあった数多の呪符も全て失せ、文字通りの裸一貫。
そんな思惑のまま
「どちらさんかな」
スカスカと気の洩れる音を立てながらでも、ヒトの言葉は何とか操れた。少なくとも一〇歩と離れて居らぬ場所に立つ人物へ話掛けるのに不自由は無かった。
そも、この距離まで。自分の間合いに完全に踏み込まれて居るというのに、気付くことが出来なかったのだ。
顔や頭の皮が一枚めくられるほどの火で
だのに入り込まれた。
まず間違いなく普通の御仁では無い。
「あのマンション、いえいえ、件の
声は軽妙で、朗らかだった。
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