6-5 闇の虚空に飛んだ
「ヒトの子も食ったってのは本当なのかい」
無精髭のシェフは納得し切れて居ない様子で聞いてきた。
「自己申告でしたし、ハッタリかます必要もないでしょう。ホント、どういうつもりだったのか。弁明にしても意味は無いし、逆にコチラの神経を逆なでするダケだというのに」
「坊さんだったんだろ?告解のつもりだったんじゃねぇのか」
「悔いているようには見えませんでしたよ。逆に開き直っていて」
「まぁ、昔話とかにはヒトを食う
ふん、と片頬で笑って見せたが顔は笑って居なかった。
「食い逃げだの残飯漁りだので食いつないで居るのなら、まだ可愛げもあるんですけどね。なんでわざわざ生きてるものを殺して食うんでしょう。山の中で遭難中っていうのなら話は別ですが、
「プライドとかポリシーとかが在るんじゃねぇの?知らんけど」
「またいい加減なコトを」
「なんせ妖怪のやることだからな。ヒトである俺たちには想像もつかねぇよ」
「それはただの思考停止、理解の放棄でしょう」
「別に分からなくってもいいじゃねぇか。判りたいが分り合えない輩ってのは山ほど居る。奴さんもきっと、妖しいナニかに突き動かされて居るんだろうさ。自分でもよく分からん込み上げる衝動、
「冗談でも止めて下さい、そんな物言い」
「
「……」
「何でも理解出来ると思うのは、俺たちヒトの傲慢なんじゃねぇのか?それに自分の大切なものへ手を出そうとするヤツに、
飛んでくる火の粉は払うだけ、理解はコトが済んだ後で充分。
ジビエが得意な料理人は、そう言って凄絶に笑んで見せるのだ。
「生き物ってヤツは
それはそのままあの生ける即身仏の物言いで、深山は思わず石のような固唾を飲んだ。
「また来るでしょうか」
「来るんじゃねぇか?食い残しには未練もあるだろうし」
「それじゃあホントに、まんまクマそのものじゃないですか」
昨今はクマ被害のニュースのお陰で、その生態なんてのもしょっちゅうネットに上がっている。お陰でにわかクマ博士はそこら中に居た。
「うん。クマ殺しの剣士様が言えば、正に確かな説得力って感じだな」
実に生真面目、かつ面白おかしげな顔だったので、それ以上この話題を口にすることは止めた。まったく、このヒトは逆立ちしても
魔法使いのおばあさん、カンカ・ラ・カラカーンの話に寄れば、あの
「いくらか術は心得て居るようじゃが
「聞きようによっては俺たちも同類、そんな風にも受け取れます」
「勘ぐり過ぎじゃ。どんと構えて居れ、緑青剣の剣士」
ほくそ笑む顔から真意を読むことは叶わなかった。
と同時に「ソコに誰か居るのかい」と怪訝な顔をする下関さんの言葉に、俺と
夜はふと、思わぬ誘惑が
下関一朗太は深夜、部屋を抜け出してマンションのエントランス脇にある自販機に硬貨を入れている最中だった。
父親から「ここしばらく夜間は玄関から出ることまかり成らん」とキツク言い含められて居たのだが、夜中にどうしても冷たいコーラが飲みたくなって、親父が寝入ったのを見計らい、コッソリ抜け出して来たのである。
「兄ちゃん、僕の分も買ってきて」
二段ベッドから抜け出しな、上の段で眠って居た
「おまえは外に出るなよ。なんかヤバイ坊さんが
自分の事は棚に上げ「オレが出たら直ぐに鍵掛けとけよ。チェーンロックも忘れるな」などと、兄貴ぶった台詞を残して
ボタンを押すと、がしゃんとひどく大きな音を立てて一本目が出て来た。
深夜の路上に響く音は暴力的で、決して小さく無い背徳感があった。自販機をして自分がこの
だからこそだ。弟のリクエストである黄色いサイダーのボタンを押そうとして、びくりと硬直したのは。
じゃらん、とチェーンがぶつかり合う様な音が聞こえたのだ。
自分の真後ろから。ほんの数歩離れた夜の路上から。
「感心せぬのう。まだ幼さも残る若人がかような夜更けに出歩くのは」
柔らかに
自販機の灯りが
だがそれでも、見本商品を並べるアクリル板に映る後ろの人物を垣間見ることは出来た。時代劇に出て来る様な、古くさい笠を被ったお坊さんだった。
一朗太はゴクリと唾を飲む。その音がとても大きく聞こえた。
そして肩越しにぎこちなく、本当にぎこちなく振り向いて
「お坊さんは誰ですか」と。
「答えてやっても良いがあまり意味はないな。何せ、そなたは、じきに言の葉を紡ぐのも難しくなるが
小柄な老人だった。自分と
理由は分からない。だが「違う」と感じるこの異様な直感だけは疑いようがなかった。
ゆっくりと腰を屈めた。商品取り出し口の缶コーラを
次の瞬間、少年は爆ぜた。
そのまま振り向きざまに手に掴んでいたものを老人へ投げつけた。
問答無用の力任せだ。顔面に当たって鼻がつぶれようが知ったことか。
間髪置かず脱兎の
一歩踏み出すその前に、出足を絡め取られてそのまま派手に転ぶ羽目になったからだ。
「怖がることはない。一瞬じゃ。痛いと思う暇もあるまいよ。まぁ、恐らくじゃが」
女性の怒声が闇を裂いたのはその瞬間のこと。
「その子から離れなさい外道!」
「ほう、弓矢か」
飛んでくる矢を
「深山さんがいま四階に居るっ。彼に助けてもらいなさいっ」
言葉が終わる前に少年は跳ねて立ち上がり、そのままの勢いで駆け出すのだ。
「やれ、折角の獲物が逃げてしまう」
ふざけるなという声と共に再度矢が放たれるのだが、それも軽く
だが、騒ぎにもうマンション全体が目覚め始めていた。廊下のアチコチに人影が蠢き始めて居た。巡回していた者たちが気付いたのだ。
「自販機のところにヤツが居ます」と声が通った。ざわりと複数の人影が階段を駆け抜け、幾人かがエントランスから飛び出してくるのが見えた。
「今宵はここまでか」
老僧は舌打ちする。跳躍のため膝を折った。だが再び、アーチェリーの矢で射竦められるのだ。そのまま後追いの矢が立て続けに飛んでくる。
射手の彼女には五歳になる娘が居た。あの子を危険に
小坂さん、そのまま射貫いちまえ、と声が在った。
「小賢しい真似を」
台詞は舌打ち、されど鼻で笑う気配。
小刻みに体を
ひらりひらりと身を
棒で足元を払おうとした者は、脳天を打ち抜かれて昏倒。
柔術を
剣術を
老僧の技は縦横無尽にして変幻自在。誰も彼もがただただ蹴散らされて行く。
「引くと良い、市井の武を語る
去る者は追わぬと
そして闇夜の中から突如として染み出てきた緑青剣の剣士にも、「頭を冷やせ」と
「激しては何も得られぬ。先日もそう語らなんだか?」
深山は四階から一気に駆け下り、その勢いその感情のまま切りつけていた。
初太刀の踏み込みを捨て技にして切っ先を返し、錫杖を握る小手を切る。だが返す前に読まれて跳ねられ、逆に自分の手首を打ち
体勢を立て直して立て続けの突き込み。容易く躱され、引き手に合せられて鎖骨を打ち据えられた。
左右の旋撃に織り込む幾つものフェイント。全部読まれて本命の突きを入れる前に
打つ、突く、払う、薙ぐ、切る、すくい上げ、袈裟懸け。絶対と思えた一閃は全て外され、逆に返し技で打ちのめされた。
今まで自分が使った剣技の全てを織り込み、叩き込んだ。
切りつける合間の隙を突いて幾度もカウンターを叩き込まれ、都度に絶息し、たたらを踏み、突き放された。何度も地面にねじ伏せられ、何度も立ち上がり、何度も切り込んだ。
全てを払われ全ての技を躱され、
ほんの一寸、ほんの髪の毛一本分、そのわずかな距離を詰めることが出来ない。その身体どころか笠や僧衣に
錫杖を振いながらスルスルと滑るように脚を運び、都度に確信した刃先を僅かな身体の
いったい何合交わしただろう。もう数えるのも馬鹿らしい。辛うじて致命傷だけは逃れられたが、ただそれダケ。ソレだけなのだ。
そしていまや腹に入れられた一撃に膝を折り、悶絶しながら胃液を吐き出す始末。
「おぬしらは魚を食おう。牛や豚も食そう。鳥すら
「
食し我が身とすることで、死せるものは再び生を受けよう。他者の血肉と為って共に生きる、
火にくべ土に埋めては、ただ灰となり腐して失せるのみ。食し胃の腑に収め他者の活力と為るは、その肉体を安んじ浄土へと旅立つ
「なればこれは死へ
ふざけるな、と叫びたかった。
だが身体がまるで言うコトを聞いてくれない。全身の急所をことごとく打ち
この口惜しさ、強すぎる歯ぎしりに、ゴキリと奥歯が欠けるのが分かった。
今の自分ではあまりに力不足。この狂気の
己の理こそが生きる者の根幹、世の正論よと、
「若い剣士。
老僧はにかりと笑う。そして腰だめの姿勢を取り、そのまま姿がかき消えた。
跳躍で闇の虚空に飛んだのだ。
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