第6話 二つの瞳は交差する


 森にふくろうの鳴き声が響いていた。

 真宵は無意識に両耳を塞ごうとした。奴らの鳴き声は〝死〟と〝不幸〟を招くから耳を塞ぎなさい——幼い頃の教えに従おうとした。

 それは好奇心旺盛な子狐が夜の森へ行かないための作り話だと今は分かっている。

 それでも身体は記憶を忘れてはいなかった。


 しかし、激痛が走ったため、腕を持ち上げることができなかった。


 痛みは自覚するとより一層と酷くなり、灼熱感をともなって全身を襲う。傷の具合を確認しようと身体を起こそうとするが、うまく力が入らない。そっと瞼を持ち上げて、自分の現状を理解しようとした。

 けれど、酷く掠れた視界からは必要以上の情報が読み取れない。


(……ああ、俺はのか)


 刻々と時間が流れていくにつれて、痛みの波は引き、冷静さを取り戻すと同時に自分の置かれた状況がよく分かった。天狗との抗争で妖力を使い果たした結果、真宵は昏睡していたらしい。部屋へ運んで、手当てをしてくれたのは、きっと樒に違いない。

 樒の姿を探すため、起きあがろうとした真宵は動きを止めた。すぐ隣によく知った気配があった。


(なぜ)


 疑問に答えてくれる者はいない。真宵の隣で静かに眠る少女——鈴音の目元はくまで覆われており、着物は血や土で汚れていた。お面がないため、あらわになった花顔かがんや手足には無数の擦り傷があった。真宵がつけたものではない。まるで、鳥か小動物にでも襲われたような——。


「……っん」


 小さな吐息が桜色の唇から漏れた。

 思わず、真宵は身体を強張らせて、息を止める。

 そっと持ち上げられた紅玉石が真宵を映しとる。ゆっくりと瞬きを繰り返えす度に覗く紅玉は蝋燭ろうそくの灯を反射させてきらきらと輝く。

 なにか言わなければ、そう思うがその瞳を前にするとまるで魂を絡め取られたように動くことができない。喉奥に張り付く言葉をどうにか引っ剥がそうとするが、うまくいかない。自分の身体なのに、言う事を聞いてはくれない。

 緊張からか焦りからか全身の体温がじわりと高まるのを感じながら、真宵は黙って紅玉石を見つめ続けた。


「……だいじょうぶ?」


 そっと持ち上げられた手が真宵に伸ばされる。動こうにも足は縫い留められたように動かすことができない。大人しく真宵は鈴音の手を受け入れた。

 夏も近いとはいえ、まだ夜は冷えるこの季節。頬に添えられた鈴音の指先は驚くほど冷たく、ぼろぼろだ。


「怪我、早く良くなるといいね」


 夢から完全には目覚めていないからか、ふわふわと余韻が残る声音が耳朶じだを優しく撫でる。

 しばらく、冷たい手は真宵の頬を撫でて、ぱたりと床に落ちた。紅玉石は薄い瞼で隠れてしまい、桜唇おうしんからは微かな寝息が聞こえ始める。

 鈴音が寝たと同時に、真宵を襲っていた金縛りが解けた。

 それなのに、真宵はしばらく動くことができなかった。


(なぜ、俺を助ける……?)


 人間とは妖魔を恐れるもの。妖狐だと分かっていながら、五尾の狐真宵を救い、心配を寄せる鈴音のことが理解できないでいた。




 ◆




 どこを探しても真宵の姿は見つからない。鬼族と協力して、動けるものたちで周囲を捜索そうさくするが髪の毛一本すら見つからない。


「もしかして、死んじゃ——ひっ!」


 泣き言をいう同胞をめ付けて黙らすと、樒はふらふらと身体を左右に揺らしながら薙ぎ倒された大木へと近づいた。もしかしたら、この幹の下敷きになっているかも。もしかしたら、生い茂る葉に紛れているのかも。もしかしたら、盛り上がった土の中に隠れているのかも。

 一縷いちるでもいい。真宵が生きている可能性があるのなら。

 ——けれど、大木の下は死んだ天狗の若者しかいない。


「……真宵」


 希望が絶たれ落胆する樒の背中に、緋花ひばなが手を添えた。


「このままだと、あんたも倒れてしまうよ。あたしらが変わるから休んでいなよ」


 優しい言葉に、樒は首を振る。休めと言われても休めるわけがない。

 その時、遠くがにわかに騒がしくなった。耳を澄ませると「真宵さま」と誰かが嬉しそうに話すのが聞こえて、樒は立ち上がり、騒がしい方向へ駆け出した。


「真宵、無事だったのか!」


 真宵は瓊眞けいしんとなにやら話し込んでいた。周囲にいる妖狐と鬼がうるさくて、話の内容までは聞こえない。

 けれど、挙動が怪しい。本人は隠しているつもりでも怪我が酷いのだろう。腕を持ち上げる際、歩く際、どことなくぎこちない。


(怪我が酷いのか?)


 あれだけのいくさがあったのだ。誰よりも前線で戦っていた真宵が負った怪我はどの程度だろう? 矜持きょうじが誰よりも高い彼は、仲間からであっても手当てを受けるのは嫌がるはずだ。早く自分が手当てをしなければ、と樒は駆ける足を速めた。


「真宵っ!」


 大声で名前を呼ぶと、さして驚かず、真宵は樒を一瞥する。瓊眞に断りを入れると樒に向かって、軽く手を振った。


「瓊眞どのから話は聞いた。俺の代わりに統率してくれたそうだな。ご苦労」

「……上から目線だなぁ」


 普段なら頭にくる口調も、今は懐かしく感じる。安堵から膝の力が抜けてへたり込みそうになった樒を、真宵は抱きとめると瓊眞の名を呼んだ。


「急用がある。後を任せてもいいか?」

「ああ、もちろんだとも。君も婚約者どのを待たせているのだろう? すぐに帰ったほうがいい」


 婚約者、という単語に真宵は微かに目を見張った。

 その些細な仕草に気がついた樒が問いただす前に、真宵は「帰るぞ」と踵を返した。


「樒、早くしろ」


 呼ばれて、樒も後を追いかける。

 しばらくして、集団から離れると真宵は狐へと姿を変えた。久しぶりに見る銀狐は豊かな艶めく五本の尾を揺らしながら、口吻こうふんを持ち上げた。


「乗れ」

「君に乗るなんて恐れ多いよ」


 肝が据わっている樒も主人の背に乗るだなんてできるわけがない。自分が代わりに背中に乗せる、と提案すると真宵は見たことのない表情を浮かべた。


「すぐ手当てをしてやれ」


 それは誰の? と問う前に真宵は樒の胴体を加えると走り出した。

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