第6話 紫煙が揺れる
ふわり、と煙草の匂いが漂っている。嗅ぎ慣れない香りに、鈴音は重たい瞼を無理に持ち上げた。どっぷりとした闇が支配する空間、小さくとも力強い炎が燭台も無く、
「——起きたか」
感情が乏しい、淡々とした声が鈴音の耳を撫でた。
一人の青年が窓際の壁に背を預けて
「……このようなはしたない姿をお見せして、申し訳ございません」
その美貌に頬を染める前に、鈴音は急いで三つ指をついて深く頭を下げた。獣耳と尾はないが、この青年はおそらく真宵さまだ。初めての顔合わせで無様に寝こけた姿を見せてしまったことを後悔する。
できる限り、怒りを買わないように注意しつつ、練習した
「
真宵は何もいわず、鈴音の身体をじっと観察した。つむじから首筋、腹部、手足の先までをたっぷりと眺めた末に「難儀だな」と呟く。
「お前はこの婚姻の意図を知っているか?」
「意図、とは」
こてん、と鈴音は首を傾げた。拍子に紐が解けて、お面が落ちそうになったので急いで縛り直す。
真宵は微かに両目を細めたがなにも言わず、鈴音の返答を待っているようだった。
「人間と妖魔を繋ぐため、ではないのでしょうか」
国は妖魔の力を借りるため。
妖魔は国民として受け入れてもらうため。
その架け橋として、四大華族と妖魔の長との婚姻が決まったはずだ。
真宵の言いたいことが理解できないでいると、真宵は鼻で笑いながら窓の外に煙管の灰を落とした。
「俺はまどろっこしい話をする気はない。お前と仲良く
鈴音が両目を丸くさせていると真宵は立ち上がる。静かな足取りで鈴音の元へ来ると、その細い手首を一つに掴みあげて、布団の上に縛りつけた。身体が反転したことに鈴音は短い悲鳴をあげる。袖がめくれて、二の腕が
「や、やめてくださいませ!」
「子だ」
真宵の手が、炎に照らされて色付く足に添えられた。人間より、はるかに高い体温と手の感触に、鈴音は体を震わせる。
——嫌な予感がした。
鈴音は交際経験がない
(思い違いのはず。だって、私たちはまだ式も挙げていないのだもの)
この一年はお互いのことを理解し、仲を深めるという名目の元、生活を
「子ども、ですか?」
喉奥に張り付いて出てこない言葉を無理やり口にする。
その間にも真宵の手は徐々に上へ上がってくる。最初は足首にあったのにふくらはぎを辿り、膝へ。膝から太ももへ。その手が際どい場所に触れそうになり、鈴音は力いっぱい抵抗を
けれど、一寸たりとも真宵の手を振りほどくことはできなかった。
「友好の証として、手っ取り早いのが妖魔と人間との間に子を作ることだ」
太ももに添えられた手が、次は鈴音の腹——へその下を軽く押す。
「子を作れば、このようなまどろっこしい夫婦の真似事などしなくていい。俺も、お前も自由となれる」
「……そ、れは、本当でしょうか」
恐怖からか声は震えていた。鈴音は生唾を飲み込み、真宵を見つめる。もし仮に子どもが作れたとして、自由が手に入ったとして、鈴音は自分がどう生きればいいのか分からない。生まれた時からそういう道は用意されておらず、これからもないものと思っていた。
だから、「自由になれる」と言われても、自由になった自分が想像できない。
「本当だ。お前も妖魔の
それに鈴音は答えを返すことができなかった。
「子を成せ。それがお前の務めだ」
慣れた手付きで真宵は鈴音の帯を解いた。合わせ目をくつろげ、現れた慎ましかな膨らみに手を添える。まだ芯を持たない蕾を指で遊びながら、鈴音の両手を拘束していた手を解き、お面に触れる。その手が後頭部へ——面紐を探していると知った鈴音は「待って!」と声を荒げた。
「これは、どうか……。外すのは……」
自由になった手でお面ごと顔を覆う。赤い瞳は妖魔では珍しくない。もしかしたら受け入れてもらえるのでは? と淡い期待が胸を過ぎるが鈴音は人間だ。赤い瞳を宿した娘を伴侶に与えられたと知った時、真宵はどう思うのだろう。
「顔を見せるのも嫌か」
否定する間も無く、「黙れ」と冷たい声が降ってきた。
「喋るのも無駄だ」
きゅっと鈴音は唇を固く引き締めた。喋らないのは得意だ。今まで、ずっと我慢し続けていたのだから。
真宵は苛立ちを表すかのように性急な手付きで秘裂に指を沈めた。狭く、乾いたそこは指一本でも拒絶する。内臓が切り裂かれるような未知の痛みに苦痛の声が漏れでそうになる。下唇を噛み締め、目を強く閉ざして、鈴音はこの苦行が早く終わることを願うのだった。
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