ムゲンカガミ

ものういうつろ

ねぇ、知ってる?

 ねぇ、俐生りおちゃんはムゲンカガミって知ってる?

 校舎裏から登っていった先の神社に大きな鏡があるの。

 夕方、そこで合わせ鏡をすると、鏡の世界に行っちゃうんだって。

 鏡の世界は誰もいない世界らしいよ。

 何度も聞いたから知ってる?

 じゃあ、これは聞いたことないんじゃない?

 同じクラスの光吒こうたくんが行方不明になったの、あれってムゲンカガミをやったからなんだよ。


  *


 宥菜ゆうなはふと自分が無意識になっていたことに気付いた。なにしていたっけと周囲を見回す。

 真っ赤な夕日が正面から射し込むそこは、山のなかだった。木々に囲まれた少し開けた場所で、正面には土がむき出しの未舗装路が伸び、その少し先に古ぼけた木の鳥居があった。

 ――ああ、そうだ。神社に来ていたんだ。

 宥菜は五段ある木製のきざはしの最上段に腰掛けていた。

 階を降りた先には、昨日の雨のせいだろう水たまりがあった。水面は少し揺れながらも、ぼんやりと茜色の空を映し、そこをこれまたぼんやりとした雲が流れていた。

 ――水面鏡だ。

 光の反射と水面の条件によって、鏡のようになる現象だ。

 光の屈折については、去年、理科の授業でレーザーポインターを使って実験をした。

 見る限り、宥菜は一人だった。

 ところが、不意に隣から気配がした。

 見ると、自分と同じ学校指定のジャージを着ている小柄な少女が一人座っていた。

「ひゃっ」

 宥菜の声に気付いたのか、小柄な少女――かけすがこちらを向いた。

「いきなりどうしたの、宥菜ちゃん」

 とぼけたような鵥の様子に宥菜はむっとした。

 ――そっちが急に来たんじゃない!

 大声で言い返せばどうなるのだろうと想像するが、宥菜は決して実行しない。悪いのは向こうなのだ。自分が言い返したら、自分も悪くなる。そう考えてのことだった。

「俐生ちゃん遅いねぇ」

 宥菜の気持ちなど意に介さないように、鵥は言う。


 この神社には俐生を含めた三人で行く予定だった。

「ねぇ、放課後、神社行かない?」

 昼休み、宥菜が俐生と二人で話していると、鵥が割って入ってきた。

 宥菜が俐生と二人で話していると、鵥がいつも割って入る。二人でしたい話が中断されるのが宥菜には腹立たしかった。

 神社というのは、学校の裏山にある神社のことだ。校舎裏から山に向かって細い参道があり、十分ほど登っていくと神社にたどり着く。

 その社には大きな鏡があると言われている。鵥はその大鏡にまつわるムゲンカガミという都市伝説に夢中だった。

 つい先週、クラスメイトの光吒という男子が行方不明になったのをきっかけに、ムゲンカガミ熱が最高潮に達したようで、宥菜は辟易としていた。鵥は自分のしたい話を強引にしてくる。

 俐生は少し考えるようなそぶりを見せると「せっかくだし、三人で遊んだ方がいいよね」と言った。

「えっ」

 宥菜の困惑に気付かず、俐生は鵥と話を続けた。

 今朝、宥菜は俐生と放課後の約束をしていた。今日は二人で遊びたいという宥菜に、俐生は笑顔でうなずいたはずだった。

「あ、私スマホ忘れてきちゃったから、放課後に一回家帰るね。肝試しするなら、写真撮りたいし」

 宥菜は決して俐生を責めない。

 ――俐生は優しいから……。仲間はずれを作らないから、誰とでも一緒に遊ぶ。その上、学年で一番かわいいから人気者だ。鵥はそんな俐生の優しさに漬け込んで、やりたい放題やっている。そのせいで私は鵥に振り回されてばかりだ。

 鵥はそんな宥菜をよそに「私も撮る!」とにこにこしていた。

 放課後になると、俐生は「鵥と宥菜は先に行っていて」と家に帰って行った。

 夕方まで少し時間があったため、宥菜と鵥は時間を潰してから神社に登っていったのだった。


「ねぇ、もう暗くなっちゃうよ」

 待つのに疲れたのか、鵥がそう言った。

 ムゲンカガミは夕方にやるものだ。肝試しをするなら、今やるべきものだろう。

「でも」俐生が来てないと言いかけた宥菜だったが、鵥には聞こえないのか、聞いていないのか、「先に見ちゃおっか!」と立ち上がった。

 振り返ると、開いている社の格子戸の先に、宥菜がいた。

 ――私? いや、違う。鏡だ。

 大鏡は探すまでもなく、入り口の真正面に置かれていた。一抱えよりも随分大きい鏡だった。鏡の両端に金具が取り付けられていて、角度を変えられるようになっていた。

 その鏡が、ちょうど階の最上段で座る宥菜に向けられるように角度をつけてあった。

 ――あれ?

「なんか普通」

 鵥がつまらなそうに言う。

「鵥が見たいって言ったじゃない。写真、撮るんでしょ」

「宥菜ちゃんも撮るんだよ?」

 鵥は、なにを他人事みたいに言っているのかとでもいうような顔をした。

「え、私はいいよ」

「それじゃ肝試しにならないよ」

 これだから鵥は嫌だと宥菜は思う。ここで断れば、その後もなにかにつけて写真を撮らなかったことをバカにされそうだ。そのくせ、鵥は嫌がらせをしているつもりがない。 

 社のなかを見たとき、なにか奇妙なものを宥菜は感じたが、鵥への苛立ちに押し流されてしまっていた。

 宥菜は都市伝説を信じているわけではない。

 写真を撮るなら鏡は正面に向けた方がいいが、宥菜は鏡に触るのがなんだか嫌で、そのまま撮った。鵥も同じようにして撮ったが、彼女の場合は気が利かないだけである。

 撮影したところで、やはり特に変わったことはなかった。もう終わった気分になったのか、鵥が帰ろうとするのを宥菜はなんとか押し留めた。

 俐生のことを待ちたかったのだ。

 もし俐生が遅れてきたら、彼女をひとりぼっちにさせてしまう。宥菜は俐生に少しでも嫌われたくなかった。

 それにしても、俐生はなにをしているのだろう。自分とは違って、俐生の家はそれほど離れていないはずだ。

 なにかメッセージは来ていないかと宥菜がスマホを確認してみると圏外になっていた。時刻表示は、もうすぐ日没といったところだった。帰ろうとする鵥を制止した手前、一度降りるとも言いづらい。

 といって、このままぼうっとしているのも退屈だった。

「ねぇ、光吒くんって本当にムゲンカガミで消えちゃったの」

 背の高い光吒の姿が宥菜の目に浮かぶ。細長いシルエットに、床屋のおじいさんにおまかせしたような髪型で、いつもおどおどした表情をしていた。宥菜の席から斜め後ろに二つ離れた彼を見るたび、誰とも話さずぽつねんと図書館の文庫本を読んでいた。文庫本の表紙に描かれたかわいらしい少女を見たときは、なにかじとっと湿ったものを感じて、嫌なものを見た気分になった。夏に入った最近は、光吒が廊下を歩いているのを見掛けると、彼の背中がじっとりと汗で濡れているのを見掛けた。

 光吒という名前に反して、宥菜のなかの彼はどこかじめじめと暗い印象があった。

「私見たもん。夕方に光吒くんが校舎裏を登っていくの」

 光吒のじとっとした背中が、今のような夕暮れのなか、下生えに隠れそうになっている参道へ消えていく姿を思い浮かべる。

 その様子は光吒の印象にしっくりくるのだが、疑問もあった。

「でも、なんのために」

 宥菜がそう言うと、鵥の表情が面倒くさそうに歪んだ。

「周り見てみてよ」

 言われるままに、宥菜は周囲を見渡す。

 木々が並ぶ下には名前も知らない種々の雑草がところ狭しと生えている。きっと昼間に来たなら一面真緑だったろう。

 視線を動かして正面を見ると、夕日に照らされて鳥居の影が伸びていた。

 そこで、視界の下の方に人影が映った。

 驚いてそちらを見ると、階を降りた先の水たまりが見えた。人影は水面に反射した宥菜自身と鵥の姿だった。

 水たまりは波紋一つない。本物の鏡のように宥菜たちを映し、背後の大鏡も映していた。宥菜と鵥の姿が、階の段々が、マジシャンが広げるカードのように無限に映し出されている。

 ――合わせ鏡だ。

 宥菜は慌てて目を逸らした。

 危うく鏡の向こうの自分と目を合わせるところだった。

 宥菜は単なる都市伝説だと思っていたが、しかし、そこに嫌な感じがしたのだ。

 まず、違和感があった。

 それから、その違和感を押し流すほどの悪意を感じた。

「こんなところ、道があるわけでもないし、光吒くんを見たのって私が最後らしいよ。警察の人がそう言ってたもん。だからやっぱりムゲンカガミなんだよ」

 宥菜は自分が感じた悪意を探ろうとしていた。

 ふと、大鏡の向きに思い当たる。

 普通、鏡を飾るときは正面に向ける。しかし、大鏡は下を向いていた。ちょうど水たまりと合わせ鏡になるように。

 誰かが鏡を動かしたのだ。

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