第20話 ひらひらと、胸の奥

視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア


20 -ひらひらと、胸の奥


念入りに予習を済ませて朝食をとるため二階の食堂へ向かっていると、ばたばたと落ち着きなくそれでいてどこか品のある足音が背後から近づいてきました。

——学院でこの歩き方をする人は、あの人しかいません。


「フリージア、ご機嫌よう。彫刻のように調和の取れた美しい体型……ああ、まさしく女神様そのもの。いつ見ても癒されま——んん!!」


「ティアナ!そんな大声で叫ばないでください。他の人が聞いていたらどうするのですか」


教室で初めて自己紹介したとき、彼女の冗談が理解できず(詳細は省きますが)、私はその……間に受けてしまいました。それ以来、いつもああやってからかってくるのです。


「フ、フリージア……ごふっ、息ができない……」


どうやら手の位置が少し高く、ティアナの口を塞ごうとしたつもりが鼻まで押さえてしまったようです。


「……フリージア、今のわざとでしょ?真面目な顔してやることはやるのね」


愛らしい太眉がぴくりと跳ねて、童顔には不釣り合いな少し気難しい表情をつくる彼女を見て、私は堪えきれずに笑みを漏らしてしまいました。

もっとも、先にからかってきたのは彼女のほうなのですから、おあいこです。



「ねえ、フリージア本当なの?」


食堂の席についた途端、正面に腰掛けたティアナが身を乗り出し、先ほどとは違って声を潜めて尋ねてきました。

何が本当なのでしょう?私は首を傾げて彼女の次の言葉を待ちます。


「ジュナ様の部屋に招かれたって。それも、あの問題児セピアと一緒に」


茶会のことなど誰にも話していないのに、なぜティアナが知っているのでしょうか。

もしかすると、表情に出ていたのかもしれません。彼女はやれやれと肩をすくめ、どこか自嘲めいた笑みを浮かべました。


「この学院で隠し事なんて無理よ。フリージアだってわかるでしょう?みんな娯楽に飢えてるんだから。

設備は確かに整ってるわ。でも放課後に外へ出られない以上、暇をつぶすには屋上で景色をぼけ〜って眺めるくらいしかないのよ」


正直まだ、ティアナが何を伝えたいのかよくわかりません。

そんな私を見て、彼女は呆れたように嘆息しました。


「これだから真面目ちゃんは……。まだわからないの?いい、よく聞いて。噂話こそ最高の暇つぶしなの。きっともう、龍の子のみんなに広まっているはずよ」


「そ、そうなのですか!?」

どうすればいいのでしょう。茶会のことを口外するわけにはいきません。しかし、誤魔化すのもティアナに失礼です。

……ならば、正面から話せないときっぱり伝えるしかありません。


そう決心して口を開こうとすると、ティアナがさっと手でそれを制しました。


「誤解しないでね。私、茶会のことを聞きたいわけじゃないの。ただ……気をつけてほしいのよ。フリージアって、そういう駆け引きとかあまり得意じゃないでしょう?だからあえて言わせてもらうけど――」


そこまで言ってから、彼女はひとつ息を吐き、言葉を選び直すように続けました。


「この学院であのお二人とあまり近しくしていると、どうしても……ね、あちこちから目を向けられやすいの。

セピアは言うまでもないし、ジュナ様だって……変煙の儀式に、テオ様との決闘。周りから見れば、波風を立てているように映っているかもしれないわ」


彼女はもう一度息を整えて、ためらいがちに私と視線を交わしました。


「そんな中にフリージアが巻き込まれて、変な噂でも立ったら……私、困っちゃうじゃない」


ティアナは心から心配してくれているのでしょう。私は本当に良い友を持ちました。その思いに応えるように、背筋を伸ばします。


「いいえ、私は気にしません。噂はどこまで行っても、ただの噂にすぎませんから」


「それ、本気で言ってないでしょうね?婚姻に関わることなのよ。私たち龍の子は王侯貴族との縁談が原則だから……お婿さん選びも、気を抜けないのよ!わかっているのでしょうね?」


「問題ありません。そのような噂に惑わされる人と添い遂げようとは思いませんから」


開いた口が塞がらない彼女に向かって、あえて余裕めいた微笑を浮かべてみせます。


「ティアナ、心配してくれて感謝します。

ですが、私なりに後先のことはしっかり考えています。見ていてください、きっと上手く立ち回ってみせますから」


(……ごめんなさい、ティアナ。あなたの言う“巻き込まれないように”という忠告に従うよりも、噂を恐れずに自分の芯を曲げずにいるほうが、私には大事なの。本当はズレた返答をしている自覚があるけれど……許してください)


「別に心配なんかしてないわよ。

でも……ちゃんと考えてのことなら、これ以上とやかく言う必要もないわね……

って、あれ見て!テオ様じゃない?」


ティアナはまるで変幻自在のように、照れ隠しに尖った声色を素早く好奇の帯びた調子へと変えてみせました。その切り返しがあまりにも鮮やかで、私は肝心の部分を聞き漏らしてしまいます。気付けば彼女の顎の示す方へ、自然と視線を向けていました。


そこにいたのは——本当に体調を回復されたのか疑わしいほど、蒼白なお顔のテオ様でした。配膳された料理にはまったく手をつけられず、いつもは髪に施されている朱の織り込みも見えません。

今のテオ様はまるで抜け殻となったかのようにただ呆然と腰掛けておられるのです。


「噂は本当だったのね……あんなにもおやつれになられて、お気の毒に」


ティアナは声色を変えず、私にやっと聞こえるかどうかの小さな声で、続けます。


「テオ様、先日の決闘で龍の力を暴走させちゃったでしょう?

そのことがアーリスト公爵に知られて、勘当されたんですって。学院を卒業したあと、どこか辺境の地で過ごすことになるそうよ」


公・侯爵家に龍の子が生まれた場合は、専門の学び(龍の力を制御する学校)を終えたのちに聖都の神官として仕えるのが常。

それなのに——まさか、勘当など。

たしかに龍の力の暴走は家の外聞を損なうでしょう。しかし、それを防ぐためにこそ、この学院で学んでいるのではありませんか。

本末が転倒しています。

これではあまりにも理不尽で、胸が痛んでなりません。


「どうにかお力になれないでしょうか――」

私は口にしたその言葉を、すぐに飲み込みました。自分の発露が何を意味するか理解しているからです。慰めの言葉を口にすれば私の気分は晴れるでしょう。しかし、テオ様には何の助けにもなりません。

これを憐憫と呼ぶのでしょう——それでも、エリュトロン先生に告げ口した私にも責任の一端があります。何もせずにいる自分が不甲斐なく、表情筋は自然と強張って、頭の中がぐるぐると揺さぶられるような感覚に襲われました。


ティアナは私を見ると、少し罰が悪そうに目を伏せ、覚悟するかのような真剣な目つきで、再び私の顔を見据えます。


「今の私、すごく態度悪かったよね?噂話する連中を小馬鹿にしてるくせに、私もやってること大差ないってどうなのよ……。

でも、信じてフリージア。普段の私はもう少しマシなの。

この学院に閉じ込められたせいで性格が悪くなったに違いないの。だから、嫌いにならないでね」


私が怒っているように見えたから、勘違いされたのかもしれません。すぐに誤解を解こうと考えましたが、それ以上に今のティアナに救いとなる言葉を探したくて、胸の内でしばし逡巡しました。


「ティアナ、やめてください。嫌いになんて絶対になりませんよ。過ちを告白できる人間を、どうして嫌いになれますか」


「……そっか。私も、生真面目なフリージアのそういうところ大好きよ」


打ち明けるようにそう口にすると、愛らしい太眉がぴょんと跳ね、微笑みながらまた悪戯顔をのぞかせました。


「今日の授業は……っと、あら!カリオン先生じゃない!よかった、棺桶に片足突っ込んだ先生じゃなくて」


今度は怒りを意識して表に出してみせましたが、ティアナには少しも響いていません。にこりと笑い、手元で時間割の書かれた用紙をひらひらさせながら、あえてこう言うのです。


「だって潤いが足りないんですもの。フリージア、そんなに怒らないで。さっきも言ったでしょ?私、性格悪くなってるの」

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