第19話 朝のひととき

「……まずは、僕たちだけでやってみる価値がありそうです」

(宵傘衆に頼るのは後でもいい。父に相談しても、彼らとどれだけ早く連携できるか分からない。僕だって次期辺境伯なんだ——少しは役に立ててみせる)

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視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア


19 -朝のひととき


「ジュナ様がそう仰るのなら、このフリージア、最後までお供させていただきます」

言葉を結ぶと、フリージアは唇を噛み締め、取り繕うように微笑んだ。おそらく彼女も不安を抱えているのだ。自分たちの歩む道が間違ってはいないのかと。


「本来なら、王制騎士団史についてフリージアさんの見解を伺いたかったのですが……」

曖昧な笑みを浮かべたジュナは、すぐに声の調子を改める。

「しかし今は、カリオン先生の潔白を確かめるために、調査方針を立てるべきです」


「はい。承知しております」

少し残念そうに眉を下げたフリージアは、気持ちを切り替えるように白く細い指を顎に添え、そっと目を閉じた。


「いくつか、調査方針のご提案があります」

ジュナは「どうぞ」と手で促す。


「まず、学院に残る記録や研究資料を一通り精査し、先生の言動に不審な点がないかを確かめるべきです。

加えて、先生の講義や研究に関わった学生・助手に聞き取りを行い、証言の食い違いがないかを確認いたしましょう。

そのうえで直近の行動を追跡すれば、仮に不正があればわずかでも痕跡が浮かび上がるはずです。

……いかがでしょうか?」


ジュナは頷き、言った。

「そうですね。学院の記録は、主として資金の流れを確認しましょう。華王は取引価値が高いので、まずはそこから辿ります。さすがに二人だけで全てを確認するには時間が足りません。

あとフリージアさんには苦労をおかけしますが、聞き取りもお願いできますか。特に帳簿士を含め、資金管理に関わった者たちの情報は集めておいてください。僕は水晶の儀式以来、皆に避けられているので……。

その代わり、僕がカリオン先生の直近の行動と今後の行動を追跡・監視します」


調査方針が定まり、一気に現実味が増した。フリージアの小さく唾を飲む音が聞こえ、ジュナはその緊張をほぐすように朗らかに努めた。


「もしこれでカリオン先生が白なら、きちんと謝ろう。僕たちの知っているカリオン先生なら、きっと許してくれる」



♦︎♢♦︎


翌朝ジュナは筆を手に取りながら、サルウィンが配膳した食事をただ口に放り込むだけの動作を繰り返していた。

学院の記録は、龍の子であれば誰でも閲覧できる仕組みになっている。

昨日、フリージアさんが退出する前に、教会の記録も確認すべきだと気づいてくれたおかげで、後からそれも調査方針に加えた。


バロバロッサ家であれば、教会の記録も申請書を提出すれば突然の訪問でも閲覧できるはずだ。

理由欄には、『辺境伯クラウンの名を受け、教会への寄付や土地譲渡の記録を閲覧したい』旨を慎重に記した。

自分の領地の収入や財産を確認するのは、珍しいことではない。


(……父上に嘘をつくことになる)

手がわずかに震え、書き進めるたびに文字が定まるか確かめるように、筆を押さえながら書き続けた。


調査は内々に行わなければならず、何事もミスのないよう計画は詳細に記しておく必要がある。

頭の中の世界に夢中で現実の存在を忘れて、ジュナは不注意にもスプーンをスープに落としてしまう。


「せわしないですね。あまり褒められた所作ではありませんよ。

このままでは、御当主様にご報告する羽目になりますが、よろしいのですか?」


「す、すまない」

ジュナはサルウィンから差し出された新しいスプーンを受け取り、筆をそっと置いた。ゆっくり顔を上げ少し不安げに彼に尋ねた。


「このことも……それに、これからやることも。サルウィンは黙っていてくれるよね?」


サルウィンは、いかにも融通の利かなそうな尖った顎をぐっと突き出し、鼻息荒く言い放った。


「どうやらジュナ様はお忘れのようですが、私はバロバロッサ辺境伯クラウン様に仕える身。御当主様の不利益につながるとなれば、報告せねばなりません」


やがてジュナと視線が合うと、サルウィンはこめかみを押さえ、一呼吸おいてから諦めをにじませた投げやりな口調へと変わった。


「……もし失敗すれば、理由がどうであれ報告いたします。ただし、成功すれば何も聞かなかったことにいたしましょう」


「ありがとう」と笑顔を弾ませて礼を述べ、授業に向かおうとしたジュナの背に声がかかった。

「ジュナ様、お忘れになってはなりません。皆、”平和”を望んでおられるのです。肝に銘じてください」


——”平和”

その言葉に、馬車の中で聞いたサルウィンの静かな声がよみがえる。


==回想==

このロゴスの國は、王、貴族、聖職者、そして『龍の子』の力によって繁栄を築き、民は日々を、安心のうちに過ごせるようになりました。

飢える者にはパンを、退屈する者には闘技場で死の臨場感を。

——それが、”平和”と呼ばれているのです。

===


サルウィンの言う”平和”とは、すなわち変化を望まない世界のことだ。

自分がこれからやろうとしていることは、決して家のためにはならない。

それでも僕は……やると決めたんだ。


(……慎重にやろう)

そう胸に刻み、扉へ手をかけたところで、再び背後から声が飛んだ。先ほどとは打って変わり、サルウィンの声音は妙に明るい。


「体調も戻られましたので、本日の武芸の稽古は授業後すぐに始めます。手加減はいたしません――どうぞご覚悟ください」


ジュナは出鼻をくじかれ、思わず前のめりになりながら部屋を後にした。




♦︎♢♦︎


♡ 

訓練場の高窓から仄かな陽の光が差してきたので、私は木剣を下ろし、手拭いで汗をぬぐいます。

昨夜のジュナ様への不出来な態度、そしてセピアに向けた拙い怒り……。

思い出すだけで耳が熱くなって、寝床に就こうとしても眠ることができません。

もっと騎士らしく振る舞うべきところをあんなふうに感情をむき出しにするなど、副伯の娘として恥ずべきことです。


こんなときは、やはり身体を動かして汗をかくのが一番です。


私の性質は単純なので、運動さえすれば悩みもすぐに消えて、寝台に横たわればあっという間に眠ってしまいます。兄はそれを私の長所だと褒めてくれましたが、どうにも騎士らしい美徳とは思えません。得意げに語るようなことではないのです。

騎士ならば本来、どんな状況でも豪胆に眠るべきでしょう。毎度後悔を消すために体を動かしているようでは根本の解決には至りません。向き合うべきは、やはり自分の心なのです。


……けれど今は、自分のことにばかり気を取られてはいられません。

ジュナ様と力を合わせ、カリオン先生の潔白を示すために尽くさねばならないのです。


思考を澄ませる名目で身体を動かしていたはずが……気づけば稽古に夢中になりすぎ、夜明けまで過ごしてしまいました。

本末転倒と言われればそれまでですが、寝台で眠れない夜をじっと過ごすくらいなら、稽古をして少しでも理想に近づく方がよほど健全です。

……そういうことにしておきましょう。


更衣室の前にある回転札を確認します。「0人」と示されていたので、「女・1人」に回してから、ドアノブに手をかけました。

扉を開けると、そこにいたのはまさかの小さな同居人。


「あら、どうしてここに猫さんが?」


迷い込んでしまったのでしょうか。

ブラシのようなふわふわの尻尾を立て、猫さんは私の足元をすり抜けて更衣室から出ようとしました。きっとあちらも驚いていたのでしょう。私は慌ててその小さな身体を抱き上げます。


「だめですよ。ここから先へは出られません。いい子にしていてくださいね。……安心してください、すぐに外に出してあげますから」


猫さんは私の腕から逃れようと身体をくねらせますが、牙で噛むことも、爪を立てることもありません。ずいぶんと紳士的な猫さんのようです。


更衣室の下窓には格子が付いていなかったので、そこから猫さんを外に出し、鍵をかけました。これで迷い込む心配はないでしょう。



猫さんとの小さな邂逅を終え、和らいだ気持ちで着替えを済ませ、自室に戻った私は、寝室に隣接する浴室で汗を流します。

この学院に来てからの、私にとって最も心安らぐ時間です。


浴室には排水口があり、その上には、この学院だからこそ許される高級龍石が設えてあります。

出力調整が苦手な私にとって、最初から適温のお湯が出るよう整えられているのはありがたいことです。あとは本のページをめくるように軽く操作するだけ。気を張る必要もなく、心からくつろげます——


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