第7話 王立学院
7- 王立学院
拝啓
実りの秋を迎え、黄金の麦がこうべを垂れる季節となりました。聖焔教会を囲むように併設された王立学院の寮の窓からは、”東麦畑地帯”を一望することができます。
きっと朝日を浴びた穂は朝露をまとい、きらきらと輝いていることでしょう。近くで見ることは叶いませんが、そこで14年間も暮らしてきた私には容易に思い浮かべることができます。
案外思いめぐらしてみれば、屋敷での生活も悪くなかったのかもしれません。
『変煙の儀式』以来、肩身の狭い思いをしています。学友たちは私の顔を避けるようにして目を合わせず、形式的な挨拶以上の関わりはありません。
私が望んでいるのは、生涯の友を作ることでも尊敬される人間になることでもありません。ただ、心安らぐ落ち着いた空間で学問に集中したいだけです。それすら思い通りにならないのは、やはり私に問題があるのでしょうか。
確かに、私の水晶は黄煙に変わりました。黒く変煙したのは儀式の後ですから、私の仕業だと決めつけるには根拠が足りません。
それにあの黒煙は1分も経たないうちに白煙へ戻りました。
あの一瞬の出来事が本当にあったかどうか、今では群衆心理の暴走だったのではと思えるほどです。現に、体調を崩した者は1人もいませんでした。それなのに皆は言葉にはしませんが、私と目が合い、逸らすまでの刹那——彼らの目には、怪物めいて異質で、言葉ではいい表せない異様の存在が映っていました。
学友の怯える表情を見るたびに、その思いが錘のように胸にのしかかって勉学に身が入りません。
だから今、私は自分の無実を証明するため『変煙水晶』に関する資料をかき集めています。しかし、黒く変煙したという事例は一切見つかりません。水晶の故障の可能性も考えましたが、黒く変煙した記録がない以上、その線はきわめて薄いでしょう。
こうして考えを巡らせても答えが見つからないのなら、ここが潮時なのかもしれません。
勘違いされたまま学校生活を送ることになりますが、屋敷で暮らしていたあの頃のように、いてもいなくてもいい存在として周囲に溶け込めば、楽になれるのかもしれません。
けれど、本当にそれで……
ここまで書き終えると、ジュナは筆を置き、それまで綴っていた手紙をゆっくりと読み返した。
自分にとってこれは、もはや儀式のようなものだ。
出来事を一通り手紙の形にまとめることで、自分が何に不満を抱き、何に行き詰まっているのか整理するために欠かせない手順であった。
他人に送る手紙という体裁を取る以上、気持ちをそのまま綴るのは憚られどうしてもぼかしが入る。得てして、そのぼかしの中に、自分の悩みの本質が隠されていることが多い。ただ闇雲に行動する前に、一度整理することが重要なのだ。基盤をしっかり築かれなければ、柱が真っ直ぐ立つことはない。
そう理解しているからこそ、ここまで書き終えるのに思ったよりも時間がかかってしまった。
龍灯(龍の子が灯りの願いを施した龍石)の光度を調整するため、ジュナはカンテラから龍石を取り出し、本棚の上段まで光を行き届かせた。
「変煙水晶に関連しそうな本……変煙水晶に関連しそうな本……」
儀式や教会に関する文献はあらかた目を通し、頼り薄ではあるが、奥にある神話区画へと足を運んだ。辺りを見渡すと、ふとそこに1冊の本が目に入る。
「『龍の子と影の子』だ……懐かしいな。
怖いもの見たさで何度も読んだっけ」
ジュナは踏み台に上がり、『龍の子と影の子』の本を棚から引き出した。どうやらこの区画まで清掃の手が行き届いていないらしい。鼻をハンカチで押さえ、表紙についた埃を軽く払い落としながら、ページをめくり物語のクライマックスを開く。
『龍の子と影の子』は絵本になっており、文字は少ないが見開きごとに絵が大きく描かれている。
<ーーーーー
影の子が龍の子に言いました。
「ねえ、一度君と僕とで入れ替わってみない?僕の住んでいる世界を、君に見せてあげたいんだ」
ちょっと考えてみた龍の子は、胸のワクワクをおさえきれず、答えました。
「一度だけならいいよ」
すると、影の子の大きく口を開けて——
「ぱちぱち、ばきばき、ごっくん」
「ぱちぱち、ばきばき、ごっくん」
龍の子を飲み込んでしまいました。
そして影の子は満足そうに笑って、最後に一言だけ言いました。
「君も僕の世界で楽しんでね」——と。
ーーーーー>
龍の子は丁寧に塗られ、色彩は豊かだった。
対して影の子は黒一色に覆われ、輪郭はだれ、塗りも粗雑で——色は、作為的にはみ出させているかのように見えた。
今読んでも作者の意図がつかめない。なぜ子供を怖がせるような絵を描いたのだろうか。
ジュナは作者の名前を確認しようと表紙に目を戻した。
「……アイリス・ファーネス? 知らない名だ」
ふと耳を澄ますと、遠くで時計の針が進む音が聞こえた。
「しまった、油を売る暇なんてないぞ」
時計の針の進む速さに戸惑いながら、ジュナは急いで絵本を元の場所に戻す。本棚から変煙水晶に関する書物を取り出し、龍灯を手に慌ただしくこの場所を後にした。
手紙を書いてわかったことは、屋敷にいるよりも今の状況の方がはるかに明るいということだ。変煙水晶の誤解を一つ解くだけでいい。たとえ資料が見つからなくても、根気よく説得すれば、きっと理解してもらえる。
そう考えると、自然と勇気が湧いてくる。
意気揚々と机へ戻ったジュナは、細部を見逃さないように注意深く資料に目を落とした。
♦︎♢♦︎
瞼が重い……昨日徹夜したせいだ。
黒板に書かれた文字がぼやけ、遠ざかっていく意識の中で、かろうじて保っていた。
普段の自分ならたとえ昼食後の講義であろうと、催眠効果のある抑揚のない口調で教導される老先生の講義であろうと、睡眠欲に負けたことは一度もなかった。
しかし再び目を開いた時には、教室に誰一人として残っていなかった。
ジュナは口についたヨダレを拭い、授業内容がぎっしり書かれた黒板に目を移す。
そこには老先生が手早く消したのだろう、消えかけたチョークの粒が広がる箇所があった。
目細め凝視すると、髪の毛のように細い文字で「次の講義場所は訓練場に変更」と上書きされていることが確認できた。
「最悪だ……」
ジュナは重い頭を持ち上げ、時計を見た。
頭の上から冷水を浴びせられたような感覚が走る。針は、次の授業開始時刻をとうに過ぎていた。
ため息をひとつつき、椅子から立ち上がると、重い体を引きずるように教室を出た。
長い廊下に敷かれたふかふかな絨毯は、金糸や銀糸で刺繍され、足の裏にわずかな弾力を返し、踏み出すたびに沈んで足が取られそうになる。
古びた糸の匂いと埃っぽい空気が混じり、息が詰まりそうになった。
それでもジュナは歯を食いしばり、耳の奥でドクン、ドクンと鳴る心臓の鼓動に背中を押されるように、懸命に走った。
学院内で龍の子らは一般学生(龍の力をもたない)との一切の交流が禁止されている。知識を吸収する大切な時期に、年端の近い穢れをもつ一般学生に惑わされないように、外界から隔離された温室で大切に育てられるのだ。
もし龍の子が一般学生と接触したことが確認された場合、規則に従い、『穢れ払いの儀式』を執り行うために教会へ多額の寄付を行わなければならない。
そのため、聖焔教会を囲むように併設された王立学院の寮および教室は、階層によって区別されている。
1階は一般学生(龍の力を持たない者)が使用し、2階と3階、さらに屋上は、1学年につき少数の龍の子専用に設計されている。
意図しない偶然の接触を防ぐため、『龍の子』と一般学生は互いの階層に立ち入れないように厳重に管理されている。
こうして、龍の子たちは2階と3階だけで生活の基盤を完結できるよう、各棟は渡り廊下でつながれているのだ。
ジュナは「学舎:北棟」から「訓練場:西棟」に続く渡り廊下を通り、訓練場の扉にかけられた連絡札を覗き込んだ。
「<本日>5時限目:龍の子の入室を許可する。他、個人で訓練場を使用する際は、予め申請書に必要事項を記入し、近くの教師に手渡す必要があります。
*注意*申請が完了するまで最長1日かかる場合があります」
耐久性の関係で、訓練場だけは階層を分けられず、構造は一階のみとなっている。そのため、一般学生と使用時間が重ならないよう調整されている。
ジュナは嘆息し、肩を落とした。
ただでさえ皆の視線が辛いというのに、これ以上目立ちたくはない。
だが、方法は一つしかない。教師に誠心誠意謝り、皆に説明するしかないのだ。
逃げ出したい気持ちを無理やり押し込め、背筋を正す。
訓練場を一望できるむき出しの螺旋階段を、音を立てぬよう慎重に降りていく。
次回 龍の決闘
後書き
王立学院 構造イメージ
屋上(龍の子専用)
│
3階(龍の子専用)
│
2階(龍の子専用)
│←渡り廊下で棟と棟をつなぐ(龍の子はこのフロアだけで生活可能)
│
1階(一般学生専用)
│
訓練場(1階構造のみ、耐久性の関係で階層分け不可)
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