第1話 (3)

 翌朝、港はいつもよりざわついていた。

 朝市の呼び声の向こうで、金属を打ち合わせるような硬い音が響く。

 足を向けると、昨日見た荷車のそばに人だかりができていた。


 荷台には、例の金属の箱が置かれている。

 昨日よりも錆びの色が濃く見えるのは、朝日が差しているせいだろうか。

 近くでは、港の役人らしき男たちが箱の表面を布で拭き、何やら話し合っている。

「……これ、やっぱり開かねえな」

「鍵穴らしきものもないしな。どうやって作ったんだか」

「南の海の底から引き上げたって話だが、詳しいことは――」

 声は途中でかき消された。


 背後に気配を感じ、振り返ると外套の旅人が立っていた。

 昨日と同じ、澄んだ目をしている。

「また来たのか」

 思わずそう口にすると、旅人は口元だけで笑った。

「気になるのは、お前も同じだろう」

「……これは何なんだ?」

「その答えは、この港にはない」

 短くそう言うと、旅人は人混みをすり抜けていった。


 僕はしばらくその背中を目で追った。

 彼の歩く先には、大通りがある。そこから街道へ出れば、国の外へも続いている。

 ――外の世界。

 胸の奥がざわめいた。


 旅人の姿が人混みに消えると、港のざわめきが一層大きく感じられた。

 荷車の周りでは、役人たちが箱を縄で縛り直し、何人かの兵士がそれを見張っている。

 あれほど大勢の目を引く荷物は、港でもそうそうない。


 僕はしばらく立ち尽くし、結局何もできないまま港を離れた。

 石畳を歩く足はゆっくりで、途中で何度も振り返ってしまう。

 あの箱は、どこから来て、どこへ運ばれるのだろう。

 そして、あの旅人はなぜあれを知っているような顔をしていたのか――。


 街に戻ると、昼の市場は人で溢れかえっていた。

 魚を並べる商人の声、焼き串の匂い、子どもたちの笑い声。

 いつもの景色のはずなのに、今日はどこか遠くに感じられる。


 夕方になり、家の前で立ち止まった。

 港で見た光景と、旅人の言葉が頭の中を巡っている。

 ――その答えは、この港にはない。

 では、どこにあるというのか。


 扉を開けると、母が鍋をかき混ぜていた。

「遅かったわね」

「ちょっと港で」

 それ以上は何も言わず、席につく。

 湯気の向こうで、母が何か話しているのに、耳に入らなかった。

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星原を渡る風 @era404

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