都市国家リトゥアールの動乱
はちじゅうろく
第一章 リトゥアール連続殺人事件
第1話 リトゥアールの朝
その依頼は受けられない——
リトゥアールの平民区にあるホテル《英雄の槍亭》の618号室。一人の女と、その隣に座る付き添いの様な初老の男、そして二人に対面して座る角の生えた一人の傭兵の男が発したそんな言葉に一瞬、困惑の感情がこみあげてくる。
ポカンとした自分の表情を何とか直し、顔を上げ、自らの正面に座っている男を見つめる。今起きたばかりなのか、ぼさぼさの暗い赤色の髪の間から覗く真っ黒な双眸が、私の事を面倒くさげに一瞥した。不覚にも、その整った顔立ちに一瞬ドキリとする。しかし、目の前の彼はその後すぐに手元の本に視線を戻す。綺麗ではあるが傷だらけの手の中には、「英雄フラウの降臨」という文字が刻印された本が抱えられている。タイトルから見るに、どうやら何かの小説の様だ。また、さっきから私の説明と説得を聞き流す、忌々しい少しだけ尖った耳がこちらを向く。
「なんでですか?」
困惑と、一発拳入れてやろうかという怒りを抑え、私は口を開いた。何故、依頼を受けないのかと。憲兵隊の上層より命じられた、傭兵ギルドとの共同調査。内容は最近、平民区で頻発する殺人事件の真相の調査だった。傭兵ギルドは、私の目の前にいるこの男・エイリークを共同調査のパートナーとして指名し、こうしてはるばる彼が住むホテルまでやってきた。当然、事前にギルドが彼に今回の協力体制については通達しており、スムーズな協力体制を築けるはずだったのだ。しかし、男は開口一番に依頼の拒否をしたのだ。
「今回の依頼は、貴方が所属する傭兵ギルドの許可を得たうえで行われています。しかも、ギルドは今回の依頼を『最重要依頼』と位置付けているそうです。貴方に拒否する事はできないはずです」
既に何回も口にした事を、再び目の前の男に投げかける。
「ギルドの了承なんぞ知らん。僕は了承した覚えはない。大体、なぜおまえら憲兵が僕らみたいなごろつきとの協力を?憲兵の優秀な奴と協力すればいいじゃねぇか」
今度は顔すらこっちに向けずに、エイリークは言う。段々といら立ちが募り始める。目の前の男の、失礼な物言い、さっきから話を聞こうともしない態度、そしてこっちを突き放すような仕草、さすがにそろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。
そんな様子もつゆ知らず、目の前の男は気ままに分厚めの小説を読み進めている。そろそろ本当に理性が消し飛びそうだ。私の心情を察したのか、隣に座っている小柄ではあるが筋骨隆々のドワーフ男、傭兵ギルドのギルド長ラグナルが、私に代わって口を開く。
「エイリーク、わかってるだろ。今回の依頼は憲兵隊、しかも情報局の連中から降りてきたもの。つまり、国からの依頼だ。お上には逆らえない。俺ら傭兵ギルドはそれに応じて、お前を指名した」
「いや、僕もそれは知ってるんですよ」
「では、なぜ了承しない。わかっているんだろう?」
「ただ、なんでわざわざ傭兵ギルドと協力しようだなんて頭になったか気になってるだけですよ、ラグナ…ギルド長様。貴方も十二分にご存じでしょう。傭兵なんて所詮はごろつきなんです。国直属の組織の憲兵サマが、いつもみたいに裏でコソコソせず、大っぴらに僕らと契約をしようっていう心構えが分からないんです」
ちらっと私を一瞥する。何故だかとても挑発のように感じられて仕方がない。何というか、こちらの事をなめている気がする。
「これを知らなきゃ、安心して仕事に取り組めない」
一呼吸置いた後、エイリークと呼ばれた男はそうつぶやいた。
「エイリーク、ちょっと来い。外で話そう」
眉間にしわを寄せたギルド長が、ドアの方を指す。男も、最初は面倒くさそうな表情を浮かべたが、ラグナルギルド長の顔を見た瞬間一気に青ざめ、「わかりました」としぶしぶつぶやき、とぼとぼと部屋を出ていった。
二人が部屋を出ていったあと、少しだけ息を吐く。それにしても、一体何なのだろう、あのエイリークとかいう男は。
無礼と失礼を大釜で混ぜ合わせたような態度、一々こっちの神経を逆なでするようなあの物言い、まるで珍獣を視るようなあの不躾な視線...。珍獣はお前の方だろと怒りたくなる。大体、なぜあんな男をギルド長は推薦したのだろう。「奴は優秀だ」だとか言ってたけど、本当に優秀なのか疑いたくなる。
心の中で怒りを暫くぶちまけていたところ、扉がまた開き、出ていった二人が部屋に戻ってくる。いつの間にか、扉の向こうでの話し合いが終わっていたようだ。ギルド長が少しだけ疲労感をにじませた表情をして部屋に入ってくる。そのすぐ後ろから、あの男が入ってきた。なぜかとても良い笑みを浮かべている。そして、元の席に戻るでもなく、部屋の奥へと楽し気に消えていった。彼のその不審な態度に、一体どんな話し合いをしたのか、疑問が浮かぶ。
「ラグナルさん、外で一体どんな話をしたんですか?彼、戻って来次第ルンルンで奥に消えていったんですけど...」
「...聞くな。ただ報酬を倍額にされただけだ。あいつ、交渉のイロハをわかってやがる。くそ、あいつと喋っていると、昔疎遠になった弟を思い出すな。同じくあくどいやつだった」
「倍額」という言葉が頭に響く。確か、今回憲兵隊が傭兵ギルドに約束した報酬が2万ガメル程。そして、傭兵ギルドは契約の際に、提示された金額の3割をギルドが、7割を構成員が受け取るように分配される。2万ガメルの7割という事は、1万4千ガメル。その倍額という事は、2万8千ガメル。少なくとも4か月は働かずに生きていける金額だ。私の月給の3倍程の報酬金額に、一瞬思考が停止する。ギルド的には大赤字だろう。ギルド長の苦労が偲ばれる。
「ラグナルさん、強く生きてくださいね。きっと、いいことありますよ」
気づけば、同情の言葉を投げていた。
「初めまして、憲兵のお嬢さん。僕はエイリーク。エイリーク・オッドマン。ナイトメアだ。呼び方はなんでもいい。今回君の協力者として働かせてもらう。特技は剣を振ること。あと、探し物もある程度できる。よろしく。」
さっきまでこちらの事を半分無視してきた男が、さっきまでの態度が嘘のように急に名のりだし、自己紹介を始めてきた。しかもとても晴れやかに、にこやかに。とても胡散臭いその笑顔に引きつつも、ようやく仕事を引き受けてくれたことにほっとする。
「では、仕事内容の再確認に移りますね。今回の依頼は、最近ここ平民区で頻繁に起こっている.殺人事件の調査、及びその解決。犯人を見つけ出して逮捕しろ、ってところですかね。」
さっきまでのグダグダが嘘のように話が進む。私の正面に再び腰かけたエイリークも、今度は真剣に頷いている。
「被害状況ですが」
「いや、大丈夫だ。被害者情報と事件の状況に関しては、事前にギルドから資料をもらっている」
言いかけたところで、エイリークが口をはさんでくる。どうやら、傭兵ギルドが事前に送った手紙に被害の情報がのっていたらしい。話を聞いていると、事前に資料はすべて読んでいた事が分かった。案外まめだ。仕事以外の場面だと、ずぼらなタイプなのだろうか。
「誰が、ずぼらだって?」
唐突に、エイリークが喋る。何故私が考えたことが分かるのだろう。もしかして、心を読む魔法でも使ったのだろうか。
「いや、全部聞こえてるからね?」
「へぁ?」
思わず、間抜けな声が出る。全部聞こえてるって、どういう事だろう?
「さっき外でギルド長と話してる時もそうだったけど、もしかして思ってることが全部口に出るタイプ?」
顔が熱くなっている事がいやでもわかる。
「んでさっきの間抜けな声、もしかしなくてもその事気づいていないな?」
昔からの悪い癖、感情が高ぶってしまうと、つい口が勝手に動いて、思っていることを全部吐き出してしまう。成人するに向けて全力で治した癖が、どうやらさっきのありえない程の苛立ちから再発してしまったらしい。
「やれ珍獣やら、失礼と無礼を釜で煮詰めた態度やら、挙句の果てにはギルド調への疑念、聞いてるだけで大爆笑だったんだけど」
私が赤面しているのをいいことに、男はニヤニヤしながらここぞとばかりにつついてくる。非常に腹立たしい。
「む、昔からの悪い癖でして...」
訂正する、恥ずかしい。
「ふーん...まあ、調査の時はなるべく抑えてね」
指摘してきたはずの男は、急に興味がそれたようだ。いっそのこと、もっと笑って...なんなら笑い飛ばしてほしいと思わなくもないが。いや、やめよう。きっと限度を超える勢いで大爆笑される。それに、今はそんな話をしてる暇はない。
「それじゃ、早速外に出よう。こういう調査は、足で稼ぐのさ」
エイリークは、傍らに立てかけた大剣を手に取り、扉の方に向かっていった。私も、急いで荷物をまとめる。幸い、持ち物を広げてはいなかったため、大した時間は要さなかった。金属鎧の留め金を再度確認し、エイリークに近づく。いつの間にか装備を整えた彼は、紳士なことに扉を開け、執事のように会釈をし扉の奥を指した。
「さあ、行きましょうかお嬢さん。凄惨な事件の被害者が、早急な真相の解明を求めて騒いでいるようだ」
「レディーファースト出来る気遣い残ってたんですね」
急激なかっこつけに少しばかり苦い顔をし、嫌味で返す。言われ慣れているのか、それともやりなれているのか、男は反応しない。本当に掴みどころのない男だと、心の中でつぶやいた。しかし、どうやら私も、冷静さを取り戻せたようだ。事件解決のため、気合を入れなおそう。
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「コラム:現在のリトゥアール」
リーンシェンク地方のどこかに存在する人口10万人ほどの大都市。魔動機文明時代の技術や遺産が今なお残り、稼働している。しかし、都市全体が完全に魔動機文明時代の様式そのままになっているわけでもなく、やはり大破局の折に喪失してしまった技術も多い。そのため、文化や人々の生活様式も、発展した魔動機文明時代のものに近くなってはいるが、冒険者や傭兵の宿の存在など、いくつもの現代的な文化が存在する。
現在のリトゥアールは、大きく3つの行政区に分かれ、それぞれ第一区、第二区、第三区と正式には名づけられているが、それぞれの行政区の住民層を踏まえ、貴族区、平民区、下層区と主に呼称されている。この三つの行政区の住民の間にはそれぞれ大きな差別意識があり、特に貴族区の住人は他の区の住民—とりわけ下層区の住民たちを—大変差別し、忌避している。
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