推し、語る。

ホテルの部屋に戻って、化粧を落とす。

コットンが白から肌色に変わるたび、今日の光景が少しずつ剝がれていく。

ベッドに腰を下ろしてスマホを手に取る。

さっき上げた一枚についてだ。


――欄干と川面と、低い空に、「空が低い」


通知はもう数えない。

数字は数えてもお腹いっぱいにはならないと、だいぶ前に分かった。

そうした後にリプ欄を流す。


「尊い🥺」

「供給助かる」

「今日も生きててえらい」


お褒めの海。波の高さはどれも同じ。音も同じ。

ただ同じ音が規則正しく重なると、脳のどこかが安心する。

心拍とテンポが揃っていく。安心は仕事道具だ。

明日も仕事がある。眠らないといけない。


長い文章も混ざる。丁寧な言葉で比喩を積んで最後に「これからも応援します」で閉じる。

真面目な文章は、読み始めると最後まで読んでしまう。返信はしないけれど読む。

返さないのは冷たいからじゃない。距離を保つための、仕事の作法だ。

一度でも返すと、返さないときが刃物になる。私は最初から刃物をつくらない。


「リプにいいねだけして回るひと」も今日もいる。

推し本人ではなく、推しに向けられた他人の言葉に頷いていく。

偶然入ったご飯屋さんの口コミを後から調べていいねする感覚だろうか、深く考えたことはない。

別に不快じゃないから何も思わない。


斜に構えた文章も流れてくる。スクショで四枚。


「群れる奴はダメ」

「お前とは違う」

「信条がある」


ことばは角ばっていて指に刺さる。刺さるけど、血は出ない。

こういう人の言葉は、たいてい私に向けられていない。

その人が見ているのは、もっと手前にある人間関係だ。

私に真剣だからここまで思いを込められるのだろう。

内心馬鹿馬鹿しいと思いながらタイムラインを見るのをやめた。

そうしていると、マネージャーからメッセージが来る。


「Webメディアのインタビューが明日あります。“夜に写真+短文”の反応いいので、今日の線で3日に1回くらい継続したいです」


簡単に了解のスタンプを返す。SNSの数字をスタッフが分析している。

時間帯と文量の相関、写真の彩度と滞在時間の関係、キャプションの分量など。

分析は好きじゃないけど、嫌いでもない。嫌いと言い切るほど、私は純粋じゃない。


もう一度タイムラインを見る。長文を書いた人の過去ポストを、すこしだけ遡る。

更新は多くない。写真もほとんどない。言葉だけが置かれている。

そういう場所には風が通る。私はそこに一歩踏み込まない。

ただ見ている時に、私はその人の残滓を嗅いだ気がして、スマホを伏せた。

返事をしないことが礼儀になる距離。礼儀を守っているうちは、まだ大丈夫。


画面をまたつける。リプに「ありがとう」を書く指を止める。

書けば楽になる夜もある。楽になったぶん、明日が苦しくなる。

私は「明日の苦しさ」で仕事をしている。だから今日の楽はあまり取らない。


ファンのポストがふと目に入る。恋人の肩が寄りかかる写真。二人の笑い。

ライブ会場で見たことあるカップルだ。いいねの数は多くない。

こういう微細な幸福は、目に残る。

嫉妬を呼ぶこともあるし、羨望を連れてくることもある。

「こういうの、私の仕事をどう変える?」と自問する。

答えは簡単だ。何も変えない。変わらないもののほうが、だいたい強い。

変えないことを決め続けるのが、プロというやつだ。


ベッド横のサイドテーブルに、喉の薬と透明のカップが置いてある。

声は筋肉で、喉は臓器で、言葉は商品。商品は、温度と清潔さで売り場に並ぶ。

汚れていても売れる日はある。けれど、毎日は続かない。

仕事を続けるために私は「温度管理」を学んだ。

SNSでの温度、現場の温度、スタッフの温度、自分の温度。

全部の温度を、同じ鍋で沸かさない。鍋を分けるのが、救いだ。


「空が低い」と書いたのは、ほんとうに空が低かったからだ。

ライブ会場から帰る向かう道で見上げた空が、いつもより近く感じられた。

近い空は、世界を縮める。縮んだ世界でファンと一緒に安心できる気がする。

安心は仕事道具だ。二度言ってもいいくらい大事だ。


ときどき、DMに長いお便りが来る。

「あなたがいなければ、生きていなかったかもしれない」

読み終わったあと、スマホを胸に置いて、天井を見る。

私の言葉はそんなに強いだろうか。強くない夜もある。

ただ、向こうがそう感じているのなら、それはもう事実だ。

事実は私のものではないが、それが私を明日もステージに立たせる。


通知の山を閉じて、カメラロールを開く。

今日の別カット。同じ欄干、同じ川面、同じ低い空。

少しだけ彩度を下げて、保存する。このトーンは、三日に一度でいい。

他には楽屋で撮った写真や、差し入れの包装紙の角、どうでもいい写真が並ぶ。

どうでもよさに反応が集まる夜は、だいたい良い。

みんなが自分の生活と繋げられる余白に、反応は貯まる。


ベッドに横になって、部屋の空調の音を聞く。

深呼吸。明日の声のために、今夜は早く寝る。

寝る前に、短い挨拶を打つ。


「おやすみ、明日もがんばるね」


送信ボタンの周りに、青いリングが走って消える。

すぐにいいねが灯り始める。画面の端で、数字が増える。

数字はお腹いっぱいにはならないけど、何かが満たされる。

視界の端で、見覚えのあるアカウントの名前が流れる。

長文の人、リプいいねの人、斜に構えた人。

みんな、そこにいる。

そこにいるから、私は眠れる。


寝る前に言葉が一つ喉に残る。

練習で歌い込んだあとの、小さな痛みみたいに。

言葉は、静かに形を持つ。


――こいつら総じてキモいな


でも、承認は満たしてくれるし、ちょうどいい。

また、明日。

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ドルオタ「俺はお前とは違う」 @alkamar

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