第2話「オムツチップの正体」

 夕暮れの校門前。オレンジ色の空が校舎の向こうに沈みかけている。

 ユウトがバッグを肩にかけて歩いてくると、マコトが自転車を押しながら待っていた。いつものお調子者の笑顔ではなく、真剣な表情をしている。

「来たな。例の件の続きだ。ちょっと面白いものを見せてやる」

 二人は人通りの少ない裏通りを歩いた。学校から十分ほど離れた住宅街の一角で、マコトが足を止める。

 目の前にあるのは、古い銭湯の建物だった。「ゆのはな湯」という看板は色あせ、入口には「閉店」の札が下がっている。

「ここって、確か三年前に閉まったところじゃ…」

「表向きはな。でも今は別の連中が使ってる」

 マコトは振り返ると、ユウトの目を見つめた。

「これから見せるもの、多分お前はショックを受ける。でも知らないままじゃいられないだろ?」

 ユウトは頷いた。昨日から胸の奥でくすぶっている不安が、答えを求めていた。

 

 銭湯の裏手に回ると、マコトは鉄製の扉を特殊なリズムでノックした。

 コンコン、コン、コンコン。

 しばらくすると、扉の向こうから低い声が聞こえてきた。

「誰だ」

「マコトだ。友達を連れてきた」

 ガチャリと音を立てて扉が開く。現れたのは30代くらいの男性だった。スキンヘッドで、首に蛇のタトゥーが巻きついている。鋭い目でユウトを値踏みするように見つめた。

「新人か?」

「友達だ。口は固い」

 男は数秒ユウトを見つめた後、扉を大きく開けた。

「入れ。でも見たことは絶対に外に漏らすなよ」

 薄暗い廊下を歩く。かつては銭湯だった名残で、タイル張りの壁や古い案内板が残っている。しかし、空気は湿気ではなく、電子機器特有の熱気に満ちていた。

 脱衣所だった場所に足を踏み入れた瞬間、ユウトは息を呑んだ。

 そこは完全に改造されていた。以前のロッカーは撤去され、代わりに机とモニターが並んでいる。壁一面には政府支給のオムツの内部写真、回路図、そして解析データがびっしりと貼られていた。

「ようこそ、真実の世界へ」

 スキンヘッドの男が皮肉な笑みを浮かべた。

「俺は田所。ここの責任者だ」

 

 田所は机の上に置かれていたオムツを手に取った。一見すると、学校で配られたものと同じ真っ白な布製だ。

「まずはこれを見ろ」

 田所は慣れた手つきでオムツの腰部分を切り開いた。中から現れたのは、クレジットカードほどの大きさの薄い基板だった。

「これが通称『ビッグブラザーチップ』。政府は『感知チップ』なんて呼んでるがな」

 基板には米粒ほどの部品が密に並んでいる。アンテナのような金属片も複数確認できた。

「GPSはもちろん、体温、心拍数、血圧、筋肉の収縮パターン、さらには脳波の一部まで拾ってる」

 マコトが別のモニターを指差した。

「これがリアルタイムのデータだ」

 画面には様々な数値がめまぐるしく変化している。

『排泄時刻:14:32』

『水分量:250ml』

『腸内温度:37.2℃』

『心拍変動:安定』

『ストレス指数:3.2』

『表情筋電位:微動』

「完全に俺たちの体を監視してるってことか…」

 ユウトの声は震えていた。

「それだけじゃない」

 田所が別の画面を立ち上げる。そこには『感情解析システム』という文字と、色分けされたグラフが表示されていた。

「排泄時の生体データから、その人の精神状態を数値化してる。怒り、恐怖、反抗心、絶望…全部バレる」

 画面上では、数百人分のデータがリアルタイムで更新されている。多くの人の「恐怖」と「従属」の数値が高く、「反抗心」は軒並み低い。

「つまり、政府に反発している人間は一発で特定できるってわけだ」

 マコトが苦い顔をした。

「昨日学校で連れて行かれた先輩も、きっとこのシステムで…」

「ああ。反抗心の数値が一定を超えると、『予防的隔離』の対象になる」

 

 田所が別のモニターを操作すると、『隔離者リスト』という画面が開いた。そこには名前、年齢、隔離理由、隔離日時が並んでいる。

「これが昨日から今日にかけて連行された連中のリストだ」

 ユウトは目を凝らしてリストを見た。学生から主婦、サラリーマンまで、様々な年齢層の名前が並んでいる。隔離理由の欄には『反抗的思考パターン』『システム批判的言動』『拒否行動の兆候』といった文字が踊っていた。

 そして、リストの下の方で、ユウトは見覚えのある名前を見つけた。

『篠原ミナ 8歳 隔離理由:家族の反政府的影響 隔離日時:本日15:30』

 血の気が引いた。

「…嘘だろ」

 声が震える。ミナは自分の妹の名前だった。今朝、元気に学校に行ったはずの。

 慌ててスマホを取り出し、妹の携帯に電話をかける。しかし、呼び出し音の後に聞こえたのは冷たい自動音声だった。

「おかけになった電話番号は、現在使用されておりません」

 手が震えた。もう一度かけ直しても、同じ音声が流れる。

「ミナ…」

 マコトが肩に手を置いた。

「ユウト…」

「なんで妹が?まだ小学生だぞ!何も悪いことなんてしてない!」

 田所が重い口調で答えた。

「家族の一人が『要注意人物』にマークされると、その影響を受ける可能性がある家族も予防的に隔離される。特に子供はな」

「要注意人物って…」

 ユウトは自分の胸に手を当てた。昨日からオムツに対して抱いていた疑問や反感が、全てチップによって記録されていたのだ。

「俺のせいで…」

「自分を責めるな」

 田所が立ち上がった。

「悪いのはこんなシステムを作った連中だ。そして、俺たちにはそれと戦う選択肢がある」

 

 田所は壁に掛けられた地図を指差した。そこには街の詳細な配置図と、赤い矢印で示されたルートが描かれている。

「俺たちは『ダイパーズ』。この狂ったシステムをぶっ壊すために結成された組織だ」

「ダイパーズ?」

「ああ。オムツ(ダイパー)システムに反抗する者たちって意味だ。全国に仲間がいる」

 マコトが地図の一点を指した。

「明日の午前4時、この工業地帯のルートを配給トラックが通る。護衛は二人だけだ」

「配給トラック?」

「政府支給のオムツを各地に運んでるトラックだ。でも、その中には一般には配られない『特殊仕様』のオムツがある」

 田所が説明を続けた。

「チップが未登録のやつだ。それを使えば、一時的にシステムの監視から逃れることができる」

 ユウトは妹のことを考えた。どこかの施設に隔離されている8歳の少女。今頃、どんな思いをしているのだろうか。

「その…特殊仕様のオムツがあれば、妹を助けに行けるのか?」

「可能性はある。ただし、相当危険だ。政府は本気でこのシステムを維持しようとしてる。反抗者は容赦しない」

 ユウトは迷わなかった。

「やる。妹を取り戻す」

 マコトが心配そうに顔を覗き込んだ。

「ユウト、本当にいいのか?一度この道に足を踏み入れたら、もう普通の高校生には戻れないぞ」

「もうとっくに普通じゃない。オムツを履かされて、思考まで監視されて…こんなのが普通なもんか」

 田所が満足そうに頷いた。

「よし、決まりだ。作戦の詳細を説明する」

 

 田所が地図の上に透明なシートを重ねた。そこには時間ごとのトラックの位置と、警備の配置が記されている。

「午前4時に工業地帯を出発したトラックは、このルートを通って市内の配送センターに向かう。途中、この高架下で一時停車するのが習慣になってる」

 赤いペンで印をつけながら続けた。

「ここが狙い目だ。運転手は休憩に入り、護衛も警戒を緩める。その隙に荷台に忍び込んで、目的のオムツを拝借する」

「でも、チップで位置がバレるんじゃ…」

「そこはマコトの出番だ」

 マコトが自信ありげに笑った。

「電波妨害装置を持ち込む。5分間だけなら、チップの信号を遮断できる」

「5分で十分か?」

「余裕だ。荷台の構造は把握してある」

 田所が最後に重要な点を付け加えた。

「ただし、失敗は許されない。捕まったら『テロリスト』として処理される。命の保証はない」

 部屋に重い沈黙が流れた。

 ユウトは妹の笑顔を思い浮かべた。まだ幼い彼女が、どこかの冷たい施設で一人で過ごしているかもしれない。そう思うと、危険など気にならなくなった。

「いつやる?」

「明日だ。今夜は準備に専念する」

 

 深夜2時。工業地帯の一角で、三つの人影が建物の影に潜んでいた。

 ユウトは息を殺して、遠くの道路を見つめている。心臓の鼓動が妙に大きく聞こえた。腰のオムツのチップが、いつものように微かに暖かい。

「あいつらに俺たちの位置がバレてないか?」

「大丈夫だ。ここまでは普通のルートで来た。怪しい動きは一切してない」

 マコトが電波妨害装置の最終チェックをしている。手のひらサイズの黒い機械に、小さなアンテナが複数ついていた。

「来るぞ」

 田所の声で、ユウトは視線を道路に向けた。

 遠くから、黒いトラックのヘッドライトが近づいてくる。予定通りの時刻だった。

 トラックは高架下で停車した。運転席と助手席から、防護服を着た男が降りてくる。彼らは辺りを軽く見回すと、携帯用のコーヒーを飲み始めた。

「今だ」

 三人は影から影へと移動した。トラックの荷台に近づくにつれ、ユウトの緊張は高まった。

 荷台の扉には電子ロックが付いていたが、田所が手慣れた様子で小型の機械を取り付けると、ピピッという音と共にロックが解除された。

「3分で済ませるぞ」

 荷台の中は、白いオムツの入った段ボール箱で埋め尽くされていた。しかし、奥の方に銀色のケースが数個置かれているのが見えた。

「あれだ」

 田所がケースを開けると、中には通常のものとは明らかに違うオムツが入っていた。生地がより薄く、チップの部分も小さい。

「未登録品だ。これなら—」

 その時、荷台の外から足音が聞こえてきた。

「誰かいるのか?」

 護衛の声だった。

 三人は息を殺した。マコトが電波妨害装置のスイッチを入れる。

「2分で脱出するぞ」

 田所が小声で指示を出した瞬間、荷台の外で大きな音がした。

「侵入者だ!応援を呼べ!」

 計画は破綻した。

「走るぞ!」

 ユウトは未登録のオムツを数枚掴むと、荷台から飛び降りた。背後から警笛の音が響く。

 工業地帯の路地を縫うように走る三人。街灯の光が断続的に照らす中、彼らの影が長く伸びた。

「これで後戻りはできなくなったな」

 田所が振り返りながら呟いた。

「ああ。でも、妹を助ける手段は手に入れた」

 ユウトは握りしめた未登録オムツを見つめた。これが希望への第一歩だった。

 遠くから、複数のサイレンの音が近づいてくる。

 本格的な戦いが始まろうとしていた。

 

 夜が明けた頃、三人は安全な隠れ家に到着した。

 田所が奪取した未登録オムツを机の上に並べる。全部で8枚。決して多くはないが、当面の作戦には十分だった。

「これで政府のレーダーから一時的に姿を消せる」

 マコトが安堵の表情を見せた。

「でも、俺たちはもう『指名手配』だ。顔も知られただろうし…」

「それは覚悟の上だ」

 ユウトは妹の写真を見つめていた。ランドセルを背負って笑っている8歳の少女。まさかこんなことになるとは思わなかった。

「ミナを助ける。それが今の俺にできる唯一のことだ」

 田所が地図を広げた。

「隔離施設の場所は特定してある。ただし、警備は厳重だ」

「どんなに危険でも行く」

「わかった。ならば準備を始めよう」

 窓の外では、政府の検問が強化され、街に緊張が走っているのが見えた。

 しかし、ユウトの決意は揺らがなかった。

 

 次回予告:「ユウトは妹を救うため、政府の隔離施設への侵入を試みる。

 しかし、そこで彼が目にするのは、想像をはるかに超える恐ろしい真実だった」

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