全員オムツ令が出された日

高城 智也

第1話 オムツ令 「発令」


 深夜の政府合同庁舎。最上階の会議室で、スーツ姿の男女が円卓を囲んでいた。

深夜の政府合同庁舎。最上階の会議室で、スーツ姿の男女が円卓を囲んでいた。

「計画は予定通りですね」

女性が手にした資料をめくる。そこには全国の学校、会社、住宅地の詳細な配置図と、膨大な数の人口データが記載されていた。

「国民の95%が10時間以内に従うでしょう。過去のシミュレーション通りです」

男性が淡々と答える。彼の胸元に光る小さなバッジには、見慣れない幾何学的な紋章が刻まれていた。

「では、開始します」


朝の光が差し込む2年B組の教室。いつものように騒がしい朝のホームルームが始まろうとしていた。

篠原ユウト(17)は窓際の席で頬杖をつき、校庭を眺めていた。昨夜遅くまでゲームをしていたせいで、まぶたが重い。クラスメイトたちの笑い声が心地よいBGMのように響いていた。

「おーい、ユウト!昨日の宿題見せてよ」

後ろの席の親友・佐藤マコトが声をかけてきた。茶髪で人懐っこい笑顔が印象的な、ムードメーカー的存在だ。

「ああ、数学のやつか。ちゃんとやったぞ」

ユウトが振り返りかけた時だった。

ピンポンパンポーン

校内放送のチャイムが鳴り響いた。いつもの朝の連絡放送だろうと、誰も特に気にしていなかった。

「全校生徒ならびに教職員に緊急通達します」

その声は、いつもの教頭先生の温和な声ではなく、無機質で冷たい女性の声だった。教室がざわめく。

「本日午前零時をもって、衛生緊急対策法第7条が発令されました」

ユウトの眠気が一瞬で吹き飛んだ。衛生緊急対策法?聞いたことのない法律だった。

「本日より、全国民は国民統一型排泄管理ユニット、通称オムツの着用を義務とします」

教室が静まり返った。

「え…?」

誰かが小さくつぶやいた声が、異様に大きく聞こえた。

「配布はこの後、各教室にて行います。未着用者には罰則が科せられますので、必ず着用してください」

放送が終わると、教室は爆発したように騒がしくなった。

「オムツって…まさか…」

「冗談だろ?エイプリルフールは4月だぞ?」

「でも政府の放送だよな…?」

ユウトは慌ててスマホを取り出した。SNSのトレンド欄を見ると、すでに「#オムツ令」「#衛生緊急対策法」のハッシュタグが上位を占めていた。

投稿を見ていくと、全国各地で同じような放送が流れていることがわかった。コンビニや駅前では、黒い制服を着た職員たちが白い箱を配っている動画が次々とアップされている。

「マジかよ…」

マコトが覗き込んできた。

「これ見ろよ、『拒否は犯罪』って書いてある。逮捕されるらしいぞ」


8時45分。チャイムが鳴ると同時に、教室のドアが開いた。

保健室の田中先生と、見たことのない黒いスーツの男性が入ってきた。男性は大きな銀色のケースを持っている。

「皆さん、おはようございます」

田中先生の声は普段より震えていた。

「こちらは…政府から派遣された衛生管理官の方です」

スーツの男性は無表情で教壇に立った。年齢は40代くらいか。髪は黒く、眼鏡をかけている。どこか人形のような印象を受けた。

「私は中央衛生局の者です。本日より皆さんに着用していただく、国民統一型排泄管理ユニットを配布いたします」

男性がケースを開けると、中には真っ白な布製の物体が整然と並んでいた。一見すると普通の下着のようだが、腰の部分に小さな黒いチップのようなものが付いている。

「これは単純な衛生用品ではありません。内蔵されたチップにより、着用状況がリアルタイムで中央衛生局に送信されます」

教室がさらに静まり返った。

「未着用の場合、即座に通報され、専門チームが確保に向かいます。着用拒否は重大な公衆衛生違反行為として処罰されますので、必ず従ってください」

一人ひとりに手渡されるオムツ。ユウトが受け取ったそれは、思ったより軽く、触感も普通の布と変わらなかった。しかし、裏側を触ると硬い回路基板のような感触があった。

「10分後に着用確認を行います。トイレで着用を済ませてください」


トイレで着用を終えたユウトは、違和感を覚えていた。オムツ自体は意外にフィットしており、履いている感覚はそれほど気にならない。問題は、腰の部分の「何か」だった。

微かに暖かく、時々振動するような感覚がある。明らかに何らかの電子機器が作動している。

「おい、ユウト」

マコトが隣の個室から声をかけてきた。

「これ、ただのGPSじゃないぞ。体温とか心拍数も測ってる気がする」

「え?」

「腰の辺りがピクピクしてるだろ?多分バイタルサインを監視してんだよ」

教室に戻ると、スーツの男性がタブレットを操作していた。

「全員の着用を確認しました。本日より皆さんは中央衛生局の管理下に入ります」

その時、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。

「待ってください!履こうとしてたんです!」

窓から見ると、隣のクラスの生徒が黒い防護服を着た男たちに取り囲まれていた。生徒は必死に抵抗していたが、あっという間に連れて行かれてしまった。

教室の空気が凍りついた。


放課後。ユウトは自宅のリビングでニュースを見ていた。

『本日発令された衛生緊急対策法について、政府は「未知のウイルスによる感染拡大防止」を目的としていると説明しています』

テレビの中で官房長官が会見を開いている。

『このウイルスは排泄物を介して感染するため、統一的な管理が必要との判断です』

しかし、ユウトには腑に落ちない点があった。

なぜこんなに急に?なぜ事前の説明がなかったのか?そして、なぜこれほど高度な監視機能が必要なのか?

「ユウト、夕飯よ」

母親が声をかけてきた。食卓には家族4人分のオムツが置かれている。

「お母さんも履いてるの?」

「仕方ないじゃない。会社でも義務だって言われたもの」

父親は黙って新聞を読んでいたが、時々腰の辺りを気にするような仕草を見せていた。

小学生の妹・ミカも不満そうだった。

「体育の時間も履かなきゃいけないんだって。動きにくいよ」

夕食後、ユウトは自分の部屋でスマホを見ていた。SNSには「オムツ令」に関する様々な投稿が溢れていた。

多くの人が困惑や不満を表明していたが、中にはオムツを解体した動画もあった。

『これを見てください。普通の吸収材の下に、こんな複雑な回路が』

動画の投稿者がオムツの内部を映していた。そこには小さなアンテナやセンサーらしき部品が密に配置されている。

『明らかに排泄物の管理以上のことをしています。位置情報、体温、心拍数、血圧…場合によっては脳波まで』

コメント欄は賛否両論で埋まっていた。

《陰謀論者乙》

《でも確かに高機能すぎるよな》

《政府を信じろよ》

《信じられるか!》

その時、マコトからメッセージが届いた。

「面白いものを見つけた。明日の放課後、いつもの場所に来い。絶対に後悔させない」


翌朝、学校の昇降口。

ユウトが靴を履き替えていると、突然騒ぎが起こった。

「規則違反者を発見しました」

機械的な声が響く。見ると、3年生の男子生徒が数人の黒い防護服の男たちに囲まれていた。

「違う!履いてるって!」

生徒は必死に主張していたが、男たちの一人がタブレットを見せた。

「センサーが反応していません。着用を拒否したものと判断します」

「待ってくれ!朝、急いでて…ちゃんと履き直すから!」

しかし、男たちは生徒の腕を掴み、強制的に連行していった。生徒の腰には赤いタグが貼られている。

「識別番号XK-2847。拒否者として登録されました」

周囲の生徒たちは恐怖で震えていた。誰も助けようとはしなかった。

ユウトも身動きが取れなかった。あまりにも機械的で、容赦のない対応だった。

教室に着くと、担任の先生が青い顔をしていた。

「皆さん、オムツの着用は絶対に怠らないでください。昨日から全国で200人以上が『拒否者』として連行されています」

クラスメイトたちの表情も暗かった。

「先生、連行された人たちはどうなるんですか?」

女子生徒の一人が質問した。

「それは…政府の対応に従っているので…詳しいことは…」

先生は口ごもった。明らかに何か隠している。

昼休み、ユウトはマコトと屋上で話していた。

「おい、これ見ろよ」

マコトがスマホを見せてきた。海外のニュースサイトだった。

「日本で起きてることを外国が報道してる。『前代未聞の全国民監視システム』って書いてある」

記事には衛星写真も掲載されていた。日本全土に設置された謎の施設群。黒い建物が規則正しく配置されている。

「これ、全部昨夜のうちに建設されたらしい」

「一晩で?」

「ああ。どう考えてもおかしいだろ」


放課後。マコトに連れられて向かったのは、学校裏の廃墟となった倉庫だった。

「ここに何があるって?」

「見ればわかる」

倉庫の中に入ると、そこには見慣れない機械が置かれていた。アンテナのような装置と、複数のモニターがある。

「これ、何?」

「電波の傍受装置。親父が昔、アマチュア無線をやってた時の機材を改造した」

マコトが装置のスイッチを入れると、モニターに波形が表示された。

「オムツから発信されてる電波をキャッチしてるんだ」

画面には規則的な信号のパターンが映し出されていた。

「すげぇな…で、何がわかった?」

「これを見ろ」

別のモニターに、解析されたデータが表示された。そこには驚くべき内容が記されていた。

位置情報、体温、心拍数、血圧、ストレス指数…それだけではない。脳波パターン、感情状態、さらには思考の傾向まで数値化されていた。

「思考の傾向って…まさか心を読んでるのか?」

「可能性は高い。最新の脳科学技術を使えば、ある程度は可能らしい」

ユウトは背筋が寒くなった。

「でも、なんで?何のために?」

「それがわからない。でも確実に言えるのは、これが単純な衛生対策じゃないってことだ」

その時、倉庫の外から足音が聞こえてきた。

「誰かくる」

二人は慌てて機械の電源を切り、窓から外を覗いた。

黒い車が3台、倉庫を囲むように停車していた。防護服を着た男たちが降りてくる。

「バレた…」

「裏口から逃げよう」

しかし、裏口にも男たちが回り込んでいた。完全に包囲されている。

「観念してください。不法な電波傍受行為は重大な違反行為です」

拡声器から機械的な声が響く。

「マコト、どうする?」

「…出るしかないか」

二人は観念して倉庫から出た。すぐに取り囲まれ、手錠をかけられた。

「君たちのような行為は、社会の安定を脅かします」

男たちの一人が淡々と告げた。

「連行します」


黒い車の中。ユウトとマコトは無言で座っていた。

窓の外を見ると、街の様子が昨日とは変わっていることに気づいた。

至る所に黒い制服の職員が立っている。街角の大型スクリーンには「衛生管理強化中」の文字。歩いている人々の表情も、どこか生気を失っているように見えた。

「ユウト」

マコトが小声で話しかけてきた。

「さっき倉庫で見た最後のデータ、覚えてるか?」

「何のことだ?」

「全国民のデータが一箇所に集約されてたんだ。そこに書いてあった施設名…『統合人格管理センター』」

ユウトは息を呑んだ。

人格管理…まさか。

車が止まった。降ろされた場所は、見たことのない巨大な黒い建物だった。入口には例の幾何学的な紋章が刻まれている。

「ようこそ」

建物から出てきた女性が微笑んだ。白衣を着ているが、どこか人間らしさを感じられない完璧すぎる笑顔だった。

「君たちには特別な役割を用意している」


予告

次回、ユウトは「オムツ令」の真の目的を知ることになる。

それは人類史上最大の実験の始まりだった—

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