第3話 そうだ、冒険者になろう

「信じられない。なにあいつ」


 自室にて。短く吐き捨てる私に、侍女のアビーが固く拳を握りしめた。


「お嬢様との婚約を破棄するなんて! しかもあんなに一方的に……!」


 私、許せません! と声を荒げるアビーは、きっちり結えた茶髪を振り乱しながら自分ごとのように悔しがってくれる。ひとつ歳下である彼女の感情あらわな振る舞いに、隣でそれを見ていた私の心は落ち着きを取り戻す。自分以上に腹を立ててくれる存在というのは、案外心地のよいものである。


 冷静になってリチャードの発言を思い返してみる。なにやら私の隣にいると体調が悪くなるのでこれ以上一緒にいるのは無理と言われた。果たしてそんなことがあるのだろうか。


「ねぇ、アビー?」

「はい。お嬢様」


 優秀な侍女は、主人の呼びかけにビシッと姿勢を正した。


「あなた。私の側にいて体調が悪くなったりする?」

「まさか! 私はずっとお嬢様にお仕えしておりますが、体調不良だなんてとんでもありません! この通りピンピンしております」


 言葉の通り、少し日焼けした健康的な肌を持つアビーは髪艶もよく、顔色も非常によろしい。小柄な少女ではあるが、危なげのないしっかりとした佇まいである。頼りになる侍女だ。


「そうよね」


 長年公爵邸で暮らしているが、周りの人間が私の魔力吸収体質が原因で床に伏せたという話は聞いたことがない。しかし、私はちょっぴり思い当たる節があった。


「でもリチャード様。たしかにいつも顔色が悪かったような?」


 ふらりと公爵邸を訪れて、婚約者との交流という名目でお茶を飲んでいくリチャード。なぜかいつも疲れた顔をしていることは、私も薄々気がついていた。しかし彼は実家の侯爵家を引き継ぐ身なので、勉強やらなにやら根を詰めて頑張っているのだとばかり思っていたのだが。


 もしやあれは、私に魔力を吸われたせい……?


 握った拳を上下に振って悔しがるアビーを横目で確認する。アビーは平民の出であるが、その優秀さを買われて数年前から私の侍女として仕えてくれている。優秀って、どういう意味だろうか。魔力量が多いってこと?


 侯爵家のリチャードが特別魔力量が多いという話は耳にしたことがないので、彼の魔力量は普通なのだろう。普通の魔力量って、どれくらいなのだろうか。


 公爵家の長女として大事に育てられてきた私は、箱入り娘だという自覚はある。両親共に魔法の腕は優秀で、それゆえに国の中心で重要な役目を担っている。長男のローレンスお兄様も大変素晴らしい魔法を使ってみせる。公爵家の跡継ぎということもあり周りからも一目置かれている。


 そんな私の勉強は家庭教師に任せきりで学園にも通っていない。そのため同年代の子たちと顔を合わせるのは、どこぞのパーティーくらい。そんな華やかなパーティーで物騒な攻撃魔法を使う場面なんて皆無。


 改めて考えてみれば、私は普通の子たちが魔法を使う場面を見たことがない。


 もちろん魔法自体は見たことがある。私は魔力量が豊富であるとずっと言われてきた。魔力の扱いには自信がある。だから私を基準に考えてはいけないのだろう。


 うちには護衛も務めている公爵家お抱えの私営騎士団がある。そこに所属する騎士たちが訓練という名目で魔法を使う場面は何度か見た。しかし彼らは狭き門をくぐり抜けて騎士となった者たちである。おそらく常人よりは魔力が多いはず。


「もしかして、私の周りって魔力量が豊富な人しかいない?」

「……」


 口を閉ざして動きを止めるアビーは、やがてその首を徐々に傾けた。


「周りの方たちのことは存じ上げませんが、私は村一番の魔力量だと言われておりました。とはいえ小さな田舎町なので、王都で優秀だと言われる方々の足元にも及ばないかと」

「……」


 田舎出身のアビーは、生まれつき豊富な魔力を有していたため、村人総出で王都に行けと説得されたらしい。小さな村の人たちにとって、自分たちの村出身者が王都で活躍するというのは、代々語り継がれる偉業だという。


 アビーの両親にとっては、彼女は自慢の娘なのだろう。それが本当ならば、アビーはかなりの魔力を有していることになる。


「リチャード様の言ったこと、あながち嘘ではないかもしれない」


 じんわり魔力を奪われるというのは、よくよく考えると体に不調をきたすような気もする。私は奪う側なので想像することしかできないけど。


 アビーは魔力量が多いため、少しくらい私に魔力を持っていかれても平気なのかもしれない。


 母親譲りの銀髪をかき上げて、思案する。リチャードの主張が事実であれば、私は彼に苦痛を強いていたことになる。とても悪いことをした。口を開けば乱暴な言葉ばかりで品がないと思っていたが、すべては体調不良によって苛々していたせいなのだろうか。そんな状況で私を愛してというのも無理な話である。


「もしかして、私って結婚に向いてない?」

「そんなことありません! きっとお嬢様に相応しい素敵な殿方がすぐに見つかります!」


 だといいけど。

 私は十八である。そろそろ結婚してもおかしくはない年齢。おまけにリチャードと結婚するものだとばかり思っていたから、他の殿方とはあまり交流もない。私の家名を見て手をあげてくれる人はいるだろうけど、それもどうだろうか。公爵家に相応しい家柄で私と歳も近い者は、相応しい婚約者が既にいると思われる。


 あれ? 私って結婚できるのだろうか?


「……なんかもう疲れた」


 そんな急に頭の切り替えはできない。力なくソファに沈む私に、アビーがオロオロと手を彷徨わせる。


「もういいわ。うちはお兄様がいることだし、私は私で自由に生きていこうかな?」

「そ、そんな」


 跡継ぎ問題は解決済み。正直、うちは既に力のある公爵家だし、政略結婚でこれ以上に地盤を固める必要性は薄い。私が多少ふらふらしていても、公爵家にそこまで迷惑はかけないだろう。


 これまで良き妻となるべく努力してきた。リチャードとの関係性をより良いものにしようと歩み寄ってきた。リチャードにどんな乱暴な言葉を投げかけられようが、笑顔で流すよう耐えてきた。


 それも全部無駄になってしまったわけだけど。


 なんだろうか。この脱力感。もう考える気力も湧いてこない。


 見慣れた自室に視線を走らせる。一級品ばかりが並ぶ贅沢な空間も毎日眺めているとその感動は薄れてくる。急激に色褪せて見える室内に、私の重いため息が落ちていく。


「なんかもう、なにもかもどうでもいい」


 ぼんやり呟いてみると、心が少しだけ軽くなった気がした。対するアビーは目を見開いて「お嬢様! お気をたしかに……!」と驚愕しているけど。


「どうせ私はなにもできない箱入り娘ですもの」

「そんなこと! お嬢様は美しくて立派な淑女です! お嬢様にお仕えしている私が断言いたします」

「ありがとう、アビー」


 やる気をなくす心とは裏腹に、私の中に溜まっている膨大な魔力がチリチリ燃えている。気持ちは沈んでいるのに、体に溜まる熱は発揮されるときを今か今かと待ち望んでいる。なんだか今ならどんな魔獣でも相手できる気がする。通いの商人が持ち込んでくる魔獣の毛皮や魔石なんかを思い出した。


 これはどこぞの森の奥深くで腕のいい冒険者が狩ってきたもので云々。


 嬉々とした表情で語る商人の晴れやかな顔が唐突に浮かんできた。自分よりもうんと体の大きな魔獣を魔法でぶっ飛ばすのは、さぞかし爽快なのだろう。


 剣を携えて、華麗に狩りを行う冒険者の姿を想像してみる。


「……いいかもしれない」


 ぽつりと口からこぼれた言葉に、アビーが「はい?」と不思議そうな顔をする。けれども私はみるみるその気になってくる。


「決めた!」


 勢いよく立ち上がると、アビーが「なんだか嫌な予感がしますね」と苦い顔になってしまう。それに気が付かないふりをして、拳を握った。


「もう男に振り回されるのはごめんよ! 私は冒険者になる!」

「えっ」


 目を見張るアビーを横目に、腰に手を当てる。


 そうだ。なにも結婚だけが私の人生ではない。婚約が駄目になった以上、結婚以外の道を探るのも手だ。


「私は自立する。大丈夫。公爵家に迷惑はかけないから」

「いや迷惑とかそういう問題ではない気がしますけど」


 オロオロするアビーは、助けを求めるかのように視線を走らせている。


 でももう決めた。私は一流の冒険者になって、結婚に頼らない自立した人生を送ってみせる!

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