第2話 婚約破棄
なぜ私が冒険者を始めたのか。
その理由を説明するためには、数ヶ月前まで遡る必要がある。
「君と一緒にいると、うっすら体調が悪いんだよ」
「……はい?」
数ヶ月前のこの日。
いつも通りにガーデンテーブルでお茶を楽しんでいた私は、当時の婚約者であったリチャード・エイベルの言葉に間抜けな声をもらした。
ティーカップをそっと置いてから、向かいで足を組んで座るリチャードに小首を傾げてみせる。その動きに合わせて、自分の細かい銀髪がはらりと揺れた。
母親譲りの長い銀髪は、私の自慢でもある。絹糸のように繊細で私を上品に見せてくれる。力仕事とは無縁のお嬢様育ちの私は、どこへ出しても恥ずかしくないご令嬢といった風貌である。すらりとした目鼻立ちは、父親譲り。青みがかった瞳は、どうも私のことを落ち着き払った淑女に見せてくれるらしい。
公爵家の屋敷は隅々まで手入れが行き届いている。中でも私のお気に入りは、季節ごとに色とりどりの花々が咲き誇る庭園。小さな池も作られており、澄んだ水の中では数匹の魚が優雅に泳いでいる。
池の見える位置に据えられたガーデンテーブルにて、涼しい時間帯にお茶を嗜むのが最高に心地よいのだ。美しい風景の中で誰にも邪魔をされずに、紅茶の上品な香りと優しい甘さのお菓子を堪能する。人生においてもっとも贅沢な時間と言っても過言ではないだろう。
なので午前中は、私はたいてい庭園でのんびり過ごしている。それを知っている婚約者のリチャードは、アポなしで公爵邸にやってくるなり、まっすぐに庭園へと足を運んできたらしい。
侍女のアビーが淹れた紅茶に口をつけたリチャードは、ひと息つくなり冒頭の発言をした。
言葉通り険しい表情のリチャードは、しきりに己の眉間を揉んでいる。彼ご自慢の金髪が、場違いにきらきらと輝いている。
「わかるか? ずっと体の調子が悪いんだ。すっきりしないというか。ずっと怠い気がする」
「はぁ。左様で」
一体なんの報告だろうか。
気の抜けた相槌を打つ私に、リチャードがキッと目つきを鋭くする。反射的に姿勢を正した。いけない、いけない。私は一応この人の妻になるのだから。夫となる人物が体調不良となれば、心底心配してみせるのが正しい妻の振る舞いだろう。
気を取り直して、私はそっと目を伏せる。
できるだけ悲しい声で「それは……。お気の毒さまです」と言ってみた。
「毎日暑い日が続いておりますからね。リチャード様も疲労が溜まっておられるのでしょう」
精一杯の同情を含ませた表情を作るが、リチャードの顔色は晴れない。それどころかお行儀悪くテーブルに頬杖をつく始末だ。その無作法を見なかったことにして、私はにこりと笑みを浮かべた。
「そうだ。たしか蜂蜜があったはず。栄養たっぷりですからね。リチャード様の疲労もすぐに回復しますよ」
側に控えていた侍女のアビーに蜂蜜を持ってきてほしいとお願いする。甘い蜂蜜は焼き菓子に少し垂らして食べるとそれはもう至福の味である。一礼して立ち去るアビーは、今年十七歳になる気の利く少女だ。十八の私と歳が近いということもあり、それなりにいい関係を築けていると思う。
アビーの背中を見送ったリチャードは、眉間に皺を刻んだ。
「これは蜂蜜で解決する問題ではない」
「左様でございますか」
あまりに真剣な面持ちで語るものだから、私もつられて険しい表情になってしまう。それを受けて、リチャードは大袈裟にため息を吐いた。
私と同い年のリチャードは、エイベル侯爵家の長男である。私たちの結婚は、物心ついたときには既に決定事項となっていた。両家の話し合いによって決まった政略結婚である。
私には四つ歳上の兄がいるので、ラミレス公爵家の家督は兄が継ぐこととなる。長女である私は、公爵家に残る必要はない。そこでどこかの家に嫁ぐことになるのだが、それがエイベル侯爵家であった。
エイベル侯爵家は歴史ある家系である。まぁ、私の家も割と古いけど。そんな歴史ある家柄同士の結びつきを強めるための結婚。それが私とリチャードに用意された未来である。
「生気を吸い取られているような気がするんだ」
「はぁ。生気を」
突拍子もないリチャードの発言に、私はゆっくりと首を傾げる。この人は、一体なにを言い出すのか。
訝しむような空気が伝わったのか。リチャードが突然「君のせいだからな!」と声を荒げた。驚きのあまり目を丸くする私は、思わず周囲の使用人たちに目線を走らせた。しかし流石は公爵家に仕える使用人。誰ひとり動揺をあらわにすることはなく、静かに控えている。
「……そんな。私はリチャード様の生気を吸い取るような怪しげな魔術には手を出しておりません」
「魔術じゃない。君のその厄介な体質のせいだ!」
勢いよく指を突き付けられて、しばし思考が停止する。どこか遠くで、鳥が鳴いている。
穏やかなティータイムは、既にガラガラと音を立てて崩れ去っていた。
私の体質。その言葉に、なんて言い返せばいいのかわからなくなる。
公爵家の長女として生まれた私は、豊富な魔力を有していた。けれども成長するにつれて、どうやらその魔力は純粋な私の魔力ではないらしいということが判明した。
私には、他人の魔力を吸い取るという特殊な体質が備わっていたのだ。
リチャードの長々しい演説をまとめると、私に魔力を吸い取られるせいで常に具合が悪いと言いたいらしい。魔力とは、人が生きる上で欠かせないエネルギーのようなものだ。魔力が極端に少なくなれば、高熱を出して倒れることだってある。なのでリチャードの主張も一理あるように聞こえるが、納得いかない。
「そんなこと初めて言われました」
今までの十八年という短い人生の中で、おそらく私は数多の人から魔力を吸い取ってきた。自分でも気が付かないうちに、勝手に周囲の魔力を溜め込んでしまうのだ。しかしそれも微々たる量である。たしかに私はたくさんの魔力を体内に有しているが、これはあれだ。塵も積もれば山となる、というやつである。
ひとりの人間から莫大な魔力を吸い取ることはない。生活に影響のない範囲で、ほんの少しずつ頂いているだけなのだ。それゆえに、私に魔力を吸われたせいで体調不良を起こしたなんて話は聞いたことがない。私と長年一緒に過ごしている家族や使用人はピンピンしている。
ぽかんとする私に、リチャードがグッと眉間に皺を寄せる。黙っていれば好青年といった見た目のリチャードなのだが、口を開けばそれに反した乱暴な言葉遣い。『黙っていれば王子様』というのがリチャードを表すもっとも的確な言葉だろう。
今だって、私の言葉に「自覚がないのか? どこまでぼんやりしてるんだ」と吐き捨てる。
「ぼんやりしているというのも、初めて言われました」
「なるほど。君の周りには的確な指摘をしてくれる優秀な者がいないということか」
そんなことはないと思うけど。
しかし明らかに苛々しているリチャードに、わざわざ言い返すほど私も馬鹿ではない。ここは曖昧に微笑んで流しておこう。
テンションの上がったらしいリチャードは、ふんぞり返って腕を組む。
「公爵邸に引きこもっている君は世間知らずだ。いいか? 普通の人間は常に魔力を吸い取られると体調に異変をきたす」
「私の周りには普通の人間しかおりませんが?」
「馬鹿」
なんて言った、この男。
公爵家の長女に向かって馬鹿って言ったか? はぁ!?
たしかに私は貴方の婚約者ですけど、その前に公爵家の長女ですからね? 貴方よりも格上なんですけど?
内心で頬を引き攣らせる私を無視して、リチャードはため息を吐く。
「君の周りには魔力量が常人とは桁違いの者ばかりが集められている。だから魔力を吸われても平気なんだ。でも俺は違う。君の側にいると疲れるんだよ」
にわかには信じがたい説明に、「はぁ」と曖昧に頷くことしかできない。
「わかるか? ずっと本調子じゃないこの苦痛が。もうおかしくなりそうだ」
頭を抱えるリチャードに、どんな反応を返すべきなのか。迷っている間に、リチャードがさらにとんでもない言葉を発した。
「ということで、君との婚約をなかったことにしたい」
「…………は?」
たっぷりと時間をかけて理解した内容に、目を見開く。そんな私に追い打ちをかけるかのように、リチャードはすっと目を細めた。
「つまり婚約破棄だ。俺は俺でいい結婚相手を見つけるから。君も君で頑張ってくれ」
「…………は??」
「大丈夫。君は公爵家の長女だ。その厄介な体質というハンデはあるが、君と結婚したいという男はそれなりにいるだろう。安心するといい」
「…………はぁ!?」
かくして。
私、セレスティア・ラミレスは生まれてから十八年間も夫になると信じてきたリチャード・エイベルと別れることとなったのである。
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