第2話 呪われた子
エクスタイン国の王妃でありエリーゼの母、ドロテアは、エリーゼをこの世に産み落とすと同時に息を引き取った。エリーゼを産んでしまったせいで最愛の王妃が亡くなった。そう考えた父は娘のエリーゼを遠ざけ、視界に入ると疎ましそうな、憎しみの見える表情を見せた。
「あれは呪われた子だ。余からドロテアを奪ったのだから」
そう側近の一人に憎々しげに零していたのを、幼かったエリーゼは運悪く聞いてしまった。自分は父に嫌われている。憎まれているのだ。
父はエリーゼが幸せになることが許せなかったのか、唯一甘えるのを許してくれた乳母も早々に田舎へ帰してしまった。それ以来仕える使用人たちはみなエリーゼに余所余所しく、次第に侮った態度で接してくるようになった。
「王妃様はエリーゼ様をお産みになったばかりに亡くなられたのです」
自分を嫌っているのは父だけではなかった。母に幼い頃から仕えていた女官や侍女全員がエリーゼがこの世に生まれなければよかったと思っていた。
「呪われた子というのも、あながち間違いではありませんかもね」
「そうね。私、ここへ来てから具合が悪いもの」
「私も、エリーゼ様のお顔を見ると、胸がムカムカしてしまうのです」
(わたしのせいで……わたしのせいでお母さまが死んでしまった……わたしが、呪われているから……)
他の兄姉と違い、自分だけ離宮で生活しているのもそのせいだ。針のような、毒のような言葉を吐き続けられるのもそのせい。自分は呪われた存在なのだ……。
「可哀想なエリーゼ」
そんな中、三歳上の姉、ローデリカだけは妹のエリーゼを憐れみ、気遣ってくれた。寂れた離宮にも週に一度は足を運んでくれて、食べきれなかったというお菓子やお下がりのドレスを渡してくれた。
「お姉さま。ありがとう」
「ふふ。いいのよ、エリーゼ。お父様に愛されないあなたを、わたくしだけは可哀想に想って、愛してあげる」
自分は父に愛されていない。
その事実を口にして伝えられるのは胸が痛んだが、美しくいい匂いのするローデリカに抱きしめられて、エリーゼは自分はまだ恵まれているのだと思った。父や他の兄姉、使用人たちにさえ疎まれても、ローデリカだけはこんな自分に優しく接してくれるのだから。
「ねぇ、お姉さま。次は、いつ来られる?」
「そうねぇ……二週間後かしら」
「二週間後……」
一週間に一度会う今の状況でも寂しくてたまらないのに、さらに会えない期間が長くなり、エリーゼは絶望した。
そんな妹を見て、ローデリカは申し訳なさそうに事情を説明する。
「ごめんなさいね。来週はどうしても外せない用事があるの」
「用事……」
「ええ。王女としてお茶会に参加しなくてはいけなくて……夜もね、舞踏会があるの。お兄様やお父様も参加なさるから、その、ね……?」
あなたは参加できないのよ、と優しい姉は口にはしなかったが、エリーゼは父の嫌悪する顔を思い出して俯いた。
「エリーゼ。また必ず会いに来るわ」
「はい、お姉さま。お待ち、しています……」
家族なのに、自分だけ輪に入れない。
(仕方がないわ……わたしは……)
エリーゼは自分の存在に罪があるのだと自身に言い聞かせ、成長していった。
外へ出て誰かと会う度に顔を顰められたり、嘲笑する態度をとられるので、部屋に閉じこもるようになり、息を殺すようにして生活する日々となった。
あまりにも退屈で、ある日地下室へ通じる鍵を見つけると、そこで時間を潰す日もあった。
「エリーゼ。そんな難しい本を読んでは嫌われるわよ」
エリーゼは十五歳になった。定期的に離宮を訪れてくれるローデリカは、古臭い本を読むエリーゼを微笑を湛えてやんわりと叱った。本当に姉は見る度に美しくなっていく。王族としての気品や逆らえない雰囲気を纏っており、優しい口調であっても、エリーゼは従わなくてはいけない気になってしまう。
「ごめんなさい、お姉様」
「殿方はね、賢い女性はあまり好きではないの。だからそんな難しい本なんか読めない方がいいのよ」
「はい……」
エリーゼも別に読みたくてこんな年季の入った本を読んでいるわけではない。他にすることがなく、何もしない時間が続くと寂しくてたまらなくなるから、渋々活字を相手にしているのだ。だが、完璧なローデリカからすれば、やはりエリーゼの振る舞いはよくない行為として目に映るのだろう。
「あの、ではお姉様は本を読んだりしないのですか」
「あら、わたくしも本は読んだりするわ」
「どんな本をお読みになるのですか」
「そうねぇ……やっぱり恋愛小説かしら」
「恋愛、小説……?」
エリーゼが普段読むのは哲学書や歴史書、この国や他の国の政治や文化など、とにかく淡々とした文章が続き、読んでいてもあまり楽しくないものばかりだった。
だからローデリカの言う「恋愛小説」もいまいちよくわからず、首を傾げれば、ローデリカがくすりと笑った。
「エリーゼにはわからないかもしれないわね。男女が恋愛する物語が書かれているのよ」
「男女が恋愛……」
恋愛、という言葉もよくわからなかった。
「わたくしが昨日読んだのはね、美しい姫君に仕える騎士の話だったわ。その前は異国の王子と恋に落ちる話」
ローデリカがうっとりとした様子で恋愛小説の内容を語ってくれる。
話を聞いていくうち、男女が出会い、結ばれるのは、歴史書のような政略結婚だけではないのだと知り、エリーゼは驚いた。
「姫を攫おうとする男性と戦ったり、星空の下で求婚されたりするの」
二人きりの世界。それはとても非現実的に思えた。だって普通ならば護衛や召使いたちがそばにいるものだ。それともその姫も、エリーゼのように嫌われて放ったらかしにされているのだろうか。
「誰かに愛されるって、とても素敵なことよ」
(わたしも、読んでみたいな……)
「エリーゼも、読んでみたい?」
物欲しげな顔をしていたからか、ローデリカに言い当てられて、エリーゼは慌てる。
「いいわよ。今度、持ってきてあげる」
「本当!?」
「ええ。だってあなたは、わたくしの可愛い妹ですもの」
「お姉様……ありがとう!」
ローデリカは約束通り、茶会や舞踏会の終わった二週間後、本を持って離宮へ来てくれた。エリーゼは何度もお礼を言ってその本を受け取り、もったいないので毎日数ページずつ読もうと思っていたのだが、ページを捲る手が止まらず、気づけばあっという間に読み終えてしまっていた。
(なんて素敵なお話なのかしら)
胸に本を抱えて、エリーゼはうっとりと余韻に浸る。姉の言う通りであった。
心優しい姫君を命懸けで愛し貫こうとする王子の姿は素晴らしかった。
(王子様だけではないわ)
実は王子にはトラウマになった過去があるのだが、姫はそんな王子をいつもさりげなく気遣い、優しい心で愛を伝えるのだ。姫のそうした言動に王子の心も溶かされて、よりいっそう愛情が深まる。王子だけでなく、姫もまた、誰かを愛する強さがあったからこそ迎えたハッピーエンドなのだとエリーゼは考えた。
(わたしも、このお姫様のように誰かを愛してみたい)
今まで自分は愛されることばかり願っていた。
でも、愛されるにはまず、自分から心を開き、愛そうとすることが大切なのではないか。
(わたしも、いつか……いいえ、今から、何かできないかしら)
そう思って椅子から立ち上がり、古びた鏡台の鏡を見たエリーゼは、しょんぼりと肩を落とした。
(この物語のお姫様と、まるで違う……)
陰気で冴えない表情の、痩せっぽっちの少女では、王子はおろか、他の男性の目にも留まらない。
(綺麗になるには、どうしたらいいのかしら)
化粧をすれば、マシになるだろうか。しかしここには、欠けた櫛があるくらいで、化粧道具は何一つ置かれていなかった。
(せめてにこっと笑ってみる、とか?)
口角をくいっと上げて、さらに頬を両手で持ち上げてみる。
「――エリーゼ。今、いいかしら」
その時、ローデリカの声が聞こえて、エリーゼはびくりとする。
「す、少し待ってお姉様!」
間抜けな顔を引き締めて急いで扉を開けると、ローデリカともう一人、見慣れない男性の姿があった。
「ローデリカ。急にごめんなさいね。今日はあなたにどうしても紹介したい人がいて」
「初めまして、エリーゼ様。私、イェルク・ランゲと申します」
「ランゲ侯爵のご子息で、あなたの婚約者となる方よ」
「こ、婚約者!?」
自分に? と驚くエリーゼにローデリカは困った顔をする。
「エリーゼ、そんな大きな声を出してはみっともないわ。イェルクもびっくりしているでしょう?」
「あ、ご、ごめんなさい」
エリーゼは謝ると、恐る恐るイェルクの顔を見た。亜麻色の髪に、優しそうな目をしており、服装は本で読んだ騎士の格好と似ている。エリーゼの視線とかち合うと、少し首を傾げながら微笑まれた。年頃の異性とまともに接したことのないエリーゼはそれだけで真っ赤になって、視線を思いきり逸らしてしまった。
「エリーゼ。彼はね、わたくしの護衛をしてくれていた人なの」
「えっ、お姉様の?」
「そうよ。とても優しくて誠実な人だから、あなたの婚約者にも相応しい人だと思って、お父様たちもお決めになったのよ」
「お父様が……」
てっきり父はもう自分のことを捨て置いたのだと思っていたが、一応娘として、将来のことを考えてくれていたらしい。
臣下たちが促したからかもしれないが、それでもエリーゼは嬉しかった。
「あの、イェルク。これからどうかよろしくお願いします」
「ええ」
イェルクは微笑んでくれたが、その笑みはどこか陰りを感じさせるもので、エリーゼは不安になったものの、その前にローデリカが明るい声で言った。
「さぁ、立ち話はなんですもの。中へ入って、いろいろとお話ししましょう」
それから、ローデリカと共にイェルクは会いに来るようになった。彼と二人で話すことはなかった。異性と二人きりになることは、王女であり未婚の女性にとって許されない。そのためお目付け役として姉がそばにいるのだ。
ローデリカはエリーゼとイェルクが気まずくならないよう、自ら会話を振ってくれて、場を和まそうとしてくれる。本当に姉の気遣いには助けられている。
感謝しなくてはいけないと思ってはいるのだが――
「ふふ。そういえばあの時、イェルクはお兄様たちに笑われたのよね」
「姫様。どうかそのことはもうお忘れください」
「忘れないわ。だってあなたとの大切な思い出ですもの」
(まるでお二人が婚約者同士のよう……)
自分は料理で例えるならばステーキの横に添えられている野菜のようなものだ。そんなことを現実逃避に考えるのも、心の痛みに気づかないようにするためだ。そう。エリーゼはイェルクと接していくうちに気づいてしまった。彼が姉を愛しているということを。
(今だって……)
困ったような、それでいて慈しむような眼差しでローデリカを見つめている。言葉にせずとも雄弁に伝えてくれる。
姉に貸してもらった本に出てくる騎士そのものだ。彼は姉を愛している。
(それなのに、わたしの婚約者だなんて……)
父もひどいことを命じる。
(お姉様は彼のこと、どう思っているのかしら)
イェルクの片想いなのだろうか。だとしたら可哀想だとも思った。
「エリーゼ様?」
ずっと黙り込んでいるエリーゼにさすがに悪いと思ったのか、イェルクが話しかけてくれる。
「つまらない話をしてしまって、申し訳ございません」
「本当ね。ごめんね、エリーゼ」
「あ、いいえ。お気になさらないで」
謝られると、じくじくと胸が痛んで、虚しくなる。
「あなたたちの結婚式、楽しみだわ。わたくしが嫁ぐ前に行われるといいのだけれど」
姉は大国の王子に嫁ぐ予定だった。彼女ならば立派に妃として王子を支えるだろう。
エリーゼがそっとイェルクの方を見ると、彼は俯いており、膝の上に置かれた拳は微かに震えていた。この時、エリーゼが身を引いていれば、何か変わっただろうか。
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