第4話「金蚕蠱」

 少女は歩いていた。


 三階建のビル、陽も暮れた夜半。少女とすれ違う者はいない。

 金融業を看板に掲げたこの会社。真新しい外観と、汚れ一つない内装。立ち上げたばかりの事業であった。

 しかし、このビルに勤めている人間は素人ではなかった。


 彼らにとってはだった。彼らは名を変え、場所を移し、会社を作り直していた。行き詰まった債務者を食い物にしては逃げる、それを何度も繰り返してきた悪徳業者。


 ひたひたと足音を残しながら階段を上り、鍵を開けてドアを押す。


 部屋にいた男達の視線が、一斉に侵入者へと注がれる。中にいたのは中年の男ばかり五人。前述の通り、いずれも堅気ではない。


「……なんだ、嬢ちゃん。そんな格好で」


 その中の一人、扉にほど近かった男がそう問い質す。動揺が隠しきれず、声が上擦っていた。それも相手を考えれば、無理からぬ話だ。


 少女は裸身であった。


 十代半ば。尼削ぎに整えた髪は老人のように白い。顔つきこそ東洋人のつくりであったが、その肌は白人のように色白で、仄かに赤らんでいた。


 一糸纏わぬ姿で、目の前に姿を現した少女。それを見た男達は色めき立つわけでもなく、警戒していた。


 こんな深夜。こんな場所。こんな少女。こんな格好。その全てが雄弁に"危険"を発していた。


 落ちぶれた彼らには取り柄と呼べる物はなかったが、その中で唯一秀でていたのが危機を感知すらアンテナだった。僅かな異変を察知し、逃げ出すことに長けていた。


 そんな連中の前に、突如飛び込んできた異物。無頼を気取った連中が、ただ一人の何も持たない少女に恐怖していた。


 男達がその一挙手一投足を見逃すまいと注視するのと対照的に、少女は落ち着き払っていた。


 少女は知っていた。


 この連中がロクデナシであること。暴力を振るうことに躊躇いのない人種であること。そのバックには多迫おおさこ組という組織がいること。

 その全てを承知していた。

 上でこの場に来ているから。


 そんな彼女が口を開く。


「この時期はいいね。冷房があるからかな、ちゃんと戸締まりしてる」


 高い能声のうしょう。玉の如き声が響く。

 世間話でもするような軽い調子で語りかける声に、答える者はいない。少女の問いかけは夜のビルに響いたのち、闇の中に消えてゆく。


「……あなたは何を言ってるんですか? こんな夜更けに入ってくるなり、しかもそんな格好で。戸締まりだのなんだの、一体何が言いたいんですか?」


 先ほどとは別の男が口を利く。部屋の奥に腰掛けていた男。理知的な雰囲気を纏った彼が、この連中の取りまとめ役だった。


「もう逃げられないよ、ってこと」


 少女はそう言うなり指折り数え出す。


狗塚いぬづか真斗まさと玄岩くろいわ貞晴さだはる富田亮とだりょう椎名麟三しいなりんぞう降谷勝久ふるやかつひさ


 五つ数え終わると、角のない丸っこい握り拳が出来上がった。列挙された名に男達がどよめく。

 少女が読み上げたのは彼らの本名であった。


「驚いたな。たしかに私は狗塚ですよ。で? 私共のことをご承知のお嬢さんが、なんで丸腰で来たんです? 売り込みにでも来たんですか?」


 そう言って狗塚は下卑た笑みを浮かべる。

 じっくりと粘着質の視線を投げ、その体を値踏みする。店に並べるには幼すぎるが、需要の問題だ。マニアにはその方がウケる。働かせるには向かないが、売れば幾らかの金になる。

 狗塚の目に映る少女は得体の知れない存在から、獲物に変わっていた。

 皮算用に舌なめずりしていた狗塚は気がつかなかった。

 力なく呟いた少女の返答に。


「わたしの目的は、あなた達を殺すこと」


 先ほど挙げた名は、彼女が始末せよと命ぜられた標的の名であった。


 その呟きを聞いていたのは、少女の一番近くにいた最初口を利いた男だった。


「嬢ちゃん、あんまり舐めてると──」


 男が少女に掴み掛からんと近づく。


 だが、暴力が行使されることはなかった。


 深夜のビルに響く、ボウリング玉を落としたような衝撃音。

 男が倒れていた。受け身も取らず、前のめりに倒れ込んだためか、赤い物が床を汚している。

 男達が次々に叫び出す。異常事態に対し困惑と恐れを振り払う為の、己を奮い立たせる為の叫びであった。


「……洒落になってないな」


 今の今まで見縊っていた少女に部下を殺された。一見すると間抜けにも映るが、武器一つ持たぬ文字通りの裸一貫の少女に人を殺す力があると誰が思えただろう。

 三人が雄叫びをあげる中、狗塚は手元の電話を取り、階下の内戦を鳴らす。

 事務所を構えているのは三階だが、下は警備会社とは名ばかりの、多迫組のだった。荒事を専門とする若い衆もいる。


 妙だ。狗塚は気づいた。なぜ、こんなガキの侵入を許している?

 営業時間は過ぎている。当然、鍵は掛けておいた。どうやって入った?

 先ほどの大きな物音に誰も反応しなかったのか? 今だって怒鳴り散らしているのに、なぜ様子を窺いにも来ない?


 狗塚の背に悪寒が走る。まさか、そんなことはない。否定の言葉がなんども浮かんだ疑念を消そうとするが、皮肉にも"一つの答え"をかえって浮き彫りにしていく。


 狗塚は発信音を流し続ける受話器を手に、再び少女に目を向ける。その目にはとっくに消えたはずの恐れの色が映っていた。


 ちょうど、取り囲んだ三人が痺れを切らし襲いかかろうという瞬間だった。

 少女が腕を振る。顔の周りをうろつく羽虫を追っ払うような、緩慢とも言える気怠げな動き。

 その手が届くわけもない距離。

 徒手だった。およそ武器と呼べる物は持たず、隠す場所すらなかった。

 男達は赤色に爆ぜる。見えざる巨大な手に潰されたように一様に弾けた。

 床に倒れ込んだ三人の死体は、うっかり取り落としたトマトのようにに崩れていた。


「もう、生きてるのはあなただけだよ」


 少女はその素足が血塗れになるのも厭わず、真っ直ぐに狗塚の元へ近づいてくる。


「それ以上寄るんじゃねぇ! 撃つぞ!」


 狗塚は拳銃を突きつけた。デスクの裏に隠していた脅しの道具である。撃ったことはなかった。撃ってしまえば死体に弾丸にと、後始末が面倒だからだ。

 そんな銃を取ったのは、もはやその次元の話ではなかったからだ。

 会社の壊滅。多迫組にこの事態が露見してしまえば、どちらにせよ痕跡ごと。狗塚は目の前の少女を殺し、金を携えて一刻も早く逃げる必要があった。

 狗塚の意思は固い。自分の命がかかっているから、揺るがない。

 震える銃口を必死に抑え、少女に向けたその引き金を──引き金、を……。


 引き金にかかっていた指が


「……は?」


 支えを失った拳銃が落ちる。床に当たり、少女の足元まで滑っていく。

 拳銃の表面が熱せられたように弾け、萎んでいく。狗塚へ歩を進める。


 狗塚は少女に追いやられ、窓に背を寄せる。下がる足も壁に当たり、後退すらできなくなる。


 少女が一歩、また一歩と近づく。狗塚の顔には火傷を負ったような気泡が浮かび、。ごぽごぽと、自らの出血に溺れ、咳き込むように粘ついた血を吐き出す。

 狗塚はもはや殺意すら手放し、力なくずり落ちた。壁に凭れて座り込む。眼前まで来た少女を見上げ、赤く爛れた唇を動かす。


「……頼む、助けてくれ」


「あぁ、ごめんね。もう助からないんだ」


 少女は狗塚を見下ろしたまま、そう言った。

 柘榴のように粟立った肌が、次々と弾ける。狗塚は声すらあげる間もなく朽ちていく。


 中華系マフィア金参會ジンツァンフェイ

 彼女は組織の秘蔵っ子である金またの名を《金蚕蠱ジンツァングゥ》。


──蠱毒こどく。毒虫を集め、甕の中で共喰いをさせ強力な妖虫ようちゅうを作り出す有名な呪法である。


 ある好事家が、人でを行った。

 子供を買い集め、人を使った蠱毒を作った。しかし、それは失敗に終わる。不完全な模倣であったからだ。

 そこで一計を案じてしまった。人は生来、毒を持たない。ならば、足してやればいいと。

 蛇毒、毒草に始まり、果ては化学兵器まで。子供達に古今東西ありとあらゆる毒を摂らせ、仕切り直した。


 その結果作られたのが金蚕蠱である。生まれ持った艶やかな黒髪は色を失い、肌は青白い病人に似た色に成り果てた。


 彼女は何人もの子供達を犠牲に作り上げられた怪物である。数多の命を吸いあげて咲いた極悪の華である。


 彼女は命令に従う。そういう風に作られた兵器だから。


 怪物は意思を持たない。兵器は逆らわない。


 それ故に、彼女は命令のままに拾禄命簿じゅうろくめいぼに参加する。

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