第26話 死出の旅路「月と星」
「はぁ…はぁ…」
砂浜に這うようにして、震える手で何かを探る。
藻掻くように、砂をかき分ける。その指先が、硬いものに触れた。
――キラリ。
ビニールの透明な断片が、月の光を反射していた。
それは、くしゃくしゃになったタバコのパッケージだった。
「……月……こんなに明るかったのか……」
呆然と、夜空を仰ぐ。
雲ひとつない空に、冴え冴えと浮かぶ満月。
それはまるで、彼の最期を見届けるかのように、静かに世界を照らしていた。
箱からタバコを取り出そうとするが、震える指先ではうまくつかめない。
何本も砂の中に落ちていく。
「月…か…。あの人みたいだな………千鶴さん……」
ぽつりと名を呼んだ。
「……初めて言葉を交わした時、俺は、随分と酷いことを言った……」
「何も知らず……勝手な偏見で……侮辱したよな……」
「それなのに……それを度外視して……俺を認めてくれた…静かに照らす、この月明かりみたいに……」
「大事な娘を……俺なんかに託してくれたんだよな……」
ぽと、とタバコが指から落ちた。
秀はもう一度、砂の上に崩れるように倒れ込んだ。
マッチを探そうとしたが、もはや手はほとんど動かない。
ズキズキと、頭の奥で何かが疼く。
痛みが、全身をゆっくりと蝕んでいく。
それでも――
「……飯……美味かったです……」
そう呟いたとき、秀の唇には、ほんのわずかに笑みが浮かんでいた。
ようやく、手探りで掴んだマッチを、震える指で擦った。
火花が散り、小さな炎がタバコの先を照らす。
それは、まるで命の残り火のように、細く弱々しく燃え上がった。
くぐもった音を立てて、タバコに火が移る。
秀は震える喉で、浅く息を吸い込んだ。
煙が肺に届くと、不思議と少しだけ気分が和らいだ気がした。
波の音も、月の光も――
次第に現実感を失い、まるで遠い夢のように感じ始める。
「……死ぬのかな、ようやく……」
どこか安堵にも似た、乾いた声が漏れた。
それは、もう苦しまなくて済むという微かな救いか。
あるいは、誰にも赦されなかった男の、最後の諦めか。
「……店、どうなってるかな……つばささん……病院に、来てたんだろうか……」
「せっかく、雇ってくれたのに……ごめん……いつも生意気な態度で……」
秀の脳裏に、あの病室の白い天井が浮かんだ。
――ありがとう……母さん……
「へへ……あんた、まだそんな歳じゃないよな……悪い」
「でもよ……感謝してんだぜ……」
「何にも言わずに、俺の全部を受け入れてくれた……」
「……俺の身体のことも……一人で背負わせちまった……」
「千鶴さん……怒らないでやってくれよな……」
タバコは静かに灰となり、砂の上へと落ちた。
あたりには、再び静寂が戻る。
秀には、まだ意識があった。
迫りくる死の気配に身を委ねながら、そっと目を閉じる。
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