第25話 第三の選択肢




 カイエルがアシュレイザルを好きと口に出した後、ルヴァルの顔は一瞬にして激しい怒りで蒼黒く染まった。

 彼は玉座から立ち上がって凄まじい霊力を放出し、空間全体が嵐のように荒れ狂った。


「黙れ! 死神に恋心を抱くなど、絶対に許されない!」


 ルヴァルは神の加護を否定する希死念慮を上回る、神界の秩序に対する最大の侮辱に理性を失いかけた。


 公式審問の場でカイエルの口からアシュレイザルへの好意を聞いて、ヴェルナーもまた冷たい論理でアシュレイザルを非難する。


「死神と人間の間に恋心など、あってはならない事柄です。最高審問官、この場ではっきりと断りを入れるべきです。人間の好意になど応えられないと」


 ルヴァルとヴェルナーの言葉を聞いて、カイエルはかなり動揺した。

 自分の感じているこの感情すべてが世界から否定されるものなのかと、手が震える。


 そんな絶望的な表情で涙を浮かべているカイエルを見て、アシュレイザルもまた動揺した。


 ――カイエルが私に抱いている感情は友情ではないのか……?


 友情すらよくわかっていないのに、愛情といわれても全く理解できていない。

 それをこの場で進言するべきだろうか。


 だが……


 ここで最高審問官という立場を取り、孤独であるカイエルを拒絶してしまったらこの先ずっと後悔するような気がした。


 しかし、ここでカイエルを尊重すると自分を最高審問官に指名したマグナリオの顔に泥を塗ることになる。

 海神界も死神界も敵に回すことになる。


 アシュレイザルは返答を迷う。


 だが、涙をこぼさない様に必死に耐えているカイエルを見て、カイエルの問いに即答できずに一度後悔したことを即座に思い出した。


 そして、アシュレイザルはゆっくりと口を開く。


「私は……――――」

「海律主ルヴァル様」


 決断の言葉を言おうとした瞬間、マグナリオが口を開いた。


「なんだ、口を挟むな。最高審問官の言葉を遮るなど、死神界で死罪に値しないのか」

「私は今更どうなっても構いませんよ」


 すでに覚悟が決まっているマグナリオの姿は、アシュレイザルに衝撃を与えた。

 ここにきてまでマグナリオに守られることになるとは。


「申してみよ」

「はい。この禁忌を解消する唯一にして合理的な方法があります」

「ほう……? 世界の規則を覆す方法があると?」


 興味深そうにルヴァルもヴェルナーもマグナリオを見つめ、言葉を待った。


「ええ。それは、アシュレイザルを人間に転生させることです」

「!」


 ルヴァルだけではなく、その場にいるほぼ全員が驚いて唖然としてマグナリオを見ていた。

 一番驚いていたのはアシュレイザル本人と、カイエルだった。


 ルヴァルはそんなマグナリオの提案を疑り深く探りを入れる。


「そんな規格外のことで道理を無理に通そうというのか。法的に許されるのか」

「最高審問官の権限には、魂の転生先を決定する特権があります。これは死神界の秩序を維持するための最終的な権限であり、神の裁定をも超える死神界の最上位の規律です。その権限を持つのは最高審問官、つまり今はアシュレイザルです」


 最高審問官の権力で行使ができるが、その対象が自身であったらどうなるのだろうかとその場にいる全員が考えた。

 最高審問官のアシュレイザルが転生してしまったら、最高審問官の椅子が空くことになることは明白だ。


「ならば、死神界の最高審問官は誰がなるのだ?」


 ルヴァルが問う。


「最高審問官の任命権があるのは現最高審問官だけです。アシュレイザル、お前に決めてもらう」


 マグナリオは自由と責任という重すぎる選択を、アシュレイザルに突きつけた。


 話が自分の介入しないところでどんどんと進んでいくことに戸惑う。

 だが、アシュレイザルはマグナリオの最後の贈り物を理解した。

 自分の意見は何も言っていないが、マグナリオはアシュレイザルの気持ちを理解してくれていた。

 このまま最高審問官の仕事を続けていくよりも、カイエルとともに生きた方がきっと後悔しないだろうと考える。


 アシュレイザルは促されるまま、迷うことなく最高審問官としての権力で指名した。


「ならば私はヴェルナーを指名する」

「私の中では最高審問官はマグナリオ様しかありえません」


 意外にも、それを快諾すると思っていたヴェルナーはそれを聞いて即座に否定に入った。


「もうマグナリオは引退しようとしていたのだぞ」

「引退などとんでもない。此度の采配、マグナリオ様の鮮やかな手腕を拝見して私はまだまだ未熟だと痛感しました。是非再度最高審問官に復帰していただきたい」

「最高審問官の私の指令を拒否できるのか……?」

「都合のいいときだけ最高審問官の立場を利用しないでください」


 マグナリオはそのやり取りに深く頷き、拘束されたままの態勢で話をつづけた。


「どうやら、私がもう少し仕事を続ける必要があるようだな。最高審問官代理アシュレイザルの指名は保留としよう」


 死神側はそれで話がついたが、海神側は勝手に話が進んで怪訝な表情でアシュレイザルらを見ていた。


「本人の意思を聞かずに話を進めているようだが、現最高審問官はそれでいいのか」


 ルヴァルにそう問われたアシュレイザルは、今度は迷うことなく返事をした。


 ――もう、迷ったりしない


 もう、カイエルに絶望的な顔をさせない。


「その道を選んでもいいのなら、私は人間に転生します。それでカイエルの孤独が少しでも紛れるなら、不完全な私の生まれてきた意味が少しでも見出せるのなら私は求められる者のところに行きたいです」

「しかし、カイエルは幼馴染もいるが? 不死でなくすれば幼馴染とともに生きていけばいいのではないか」


 冷静な指摘に対して、カイエルは身を乗り出して叫ぶように言う。


「僕はアシュがいい! セリオンは友達だから!」

「…………」


 アシュレイザルはやはり、カイエルの言葉の意味はすぐには分からなかった。

 ルヴァルは困ったように首をかしげる。


「しかし、死神のアシュレイザルに惹かれているのであって、人間のアシュレイザルに同じように惹かれるかは別の話ではないか?」


 そうルヴァルに指摘されたカイエルは一瞬考えた。

 確かに、自分の不死を解決してくれるかもしれない存在であったから好意を抱いたのかもしれない。


 しかし、もうそんな理屈を超えてカイエルはアシュレイザルに惹かれている。


「僕はアシュが死神だから惹かれてるわけじゃないです。言葉じゃ説明できないですけど、僕はアシュが好きなんです!」


 必死にそう言うカイエルの言葉を聞いて、ルヴァルはアシュレイザルへと視線を移す。


「……と、申しておるが、貴様はどう考えているのか」

「私は……感情はありますが、自分の抱く感情を示す言葉を知しません。好きと言われてもその意味は明確には分かりませんが、それでも恐らくこれが人間の抱く“好き”という感情だと、私は思っています」


 そのアシュレイザルの言葉に、カイエルは満面の笑みを浮かべた。


 ルヴァル含む海神らは「やれやれ、もう勝手にすればいい」と投げやりになっている。


「では、結審する。マグナリオは共謀をしていなかったため無罪。エルディオルら三名は処刑とする。カイエルについての処遇については不死の加護を消し、普通の人生を送るものとする。以上だ」


 審問が終わった後、カイエルは海神界から人間界へと返される手続きがすぐに始まった。

 カイエルはアシュレイザルの方を見て、なんとか思いを伝えようと精一杯声をあげた。


「アシュ、僕待ってるから!」


 そのカイエルの言葉に、アシュレイザルは静かに頷いて人間界へと帰るのを見守った。

 拘束を外されたマグナリオは解放され、エルディオルら三名はびくともしない拘束を解くことはできずに奥に運ばれていった。


「まったく、最高審問官が自分を転生させて最高審問官の業務を破棄するなど、前代未聞すぎる」


 ヴェルナーは心底呆れた様子でアシュレイザルにそう言う。


「ルヴァル殿に挨拶を済ませたら死神界に戻るぞ」

「はい、マグナリオ様」


 こうして、無事にアシュレイザルらは死神界に戻ることとなった。



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