第22話 囚われた死神
海神兵に先導され、アシュレイザルとヴェルナーは海神界の奥深くへと進んでいった。
煌びやかな宮殿の内部から一転、通されたのは冷ややかな水の匂いが満ちる地下への階段だった。
階段を降りるたび周囲の空気が重く、ひんやりと肌にまとわりついてくる。
壁は海底の岩盤と珊瑚でできており、淡く光る水晶が埋め込まれている。
その光は揺らぎながら牢の奥を照らし、まるで深海の底に沈んでいくような錯覚を覚えた。
「……ここが拘束牢か」
アシュレイザルが低く呟くと、案内兵は表情ひとつ変えずに答える。
「反逆者を拘束する牢です。死神界の者に案内するのは異例ですが、海律主のご厚意です」
“ご厚意”という言葉の裏に滲む、どこか嘲るような響きにアシュレイザルは無言で眉をひそめた。
やがて、一行は牢の最奥に辿り着いた。
そこには重々しい結界の扉が二重三重に張り巡らされている。
淡い光を帯びた鎖が扉全体を覆い、まるで生き物のように音もなく脈打っていた。
兵士が結界を解除し、扉が静かに開く。
その奥に――――マグナリオはいた。
牢の中央、珊瑚の柱に背を預けるようにして座っている。
両腕には光鎖が巻きつき、足元にも拘束が施されていた。
しかし、その表情は驚くほど穏やかだった。
「……マグナリオ……」
思わず名前を呼んだアシュレイザルに、マグナリオはゆっくりと顔を上げた。
「来ると思っていた」
その声音は、まるでいつものように教義を説く時と変わらぬ落ち着きだった。
だが、その瞳の奥には確かな覚悟が宿っていた。
「私の処刑ごときで職務を放り出して駆けつけるなど、最高審問官がそんな甘えた考えでどうする」
「っ……」
胸の奥を抉られるような言葉だった。
今この瞬間、アシュレイザルは確かに“職務”よりも“感情”で動いていた。
その矛盾を突きつけられ、言葉が喉で詰まる。
「私はお前に伝えたはずだ。立派に仕事をしろと。これは明らかに仕事とは違う」
マグナリオは、どこまでも静かだった。
まるで自分の死を既に受け入れているかのように。
「何故……何故こんなことになっている。暗殺の共謀とは? そんなことある訳がない」
抑えきれない感情が声となって溢れる。
ヴェルナーが後ろで小さく息を吐いたが、今のアシュレイザルには届いていなかった。
マグナリオは短く目を閉じ、そして静かに答えた。
「エルディオルの目的は私の失墜。そして海律主ルヴァルの殺害だったようだ。見事に私は失墜した。思惑通りという訳だな」
冷静に境遇を語るマグナリオを前に、アシュレイザルの胸にはエルディオルへの怒りと、無惨な姿の義父を見た悲しみがあふれ出していた。
いつもの威厳溢れる義父の姿はあまりにも見るに堪えなかったからだ。
「そこまで分かっているのなら、何故囚われの身のままでいる? 大人しく処刑されるつもりか?」
「ルヴァルの気が変わらなければそうなるだろうな」
まるで他人事のように淡々とした口調に、アシュレイザルは唖然とした。
「虚偽の罪で処刑されるなど、そんな馬鹿な話があるか。私がルヴァルに話をつける」
「アシュレイザル」
マグナリオは低い声で彼の名を呼んだ。
「お前は、来るべきではなかった」
「!」
囚われの身で何の権力も失ったマグナリオだが、言葉の重みは変わらなかった。
「私を大人しく捨て置け、そうすれば海神界はカイエルの件もルヴァル殺害未遂の件も不問にすると言っている」
「だが、マグナリオが共謀者であるという判断は間違っている。それとも本当に共謀者なのか……?」
動揺のあまりにアシュレイザルがそう質問すると、マグナリオは「まさか」とすぐに反論する。
その反論にアシュレイザルは安堵した。
「以前も言ったが、私はもう古い時代の死神だ。最高審問官を退いた後など何の役にも立たない遺物でしかない。大人しく私情を捨て、私ごと切り捨てるのが合理的な判断だ」
淡々とそう言うマグナリオに対し、アシュレイザルは徐々に怒りが湧いてきた。
簡単に死に急ぐその態度が気に入らなかった。
死神なら嫌という程知っているはずだ。
死に際の人間の後悔。
残された者の苦しみ。
それをマグナリオは全て度外視している。
「マグナリオ……いや、父上」
アシュレイザルがマグナリオを「父上」と呼んだことに、少しマグナリオの表情が変わる。
「自分は合理的に消えて行ければそれでいいと考えているようだが、それは傲慢な考えだ。他の無感情の死神はそれでいいと判断するだろうが、私はそれを良しとしない。残される者の気持ちも少しは考えたらどうだ」
「公務に私情を挟むというのか」
「そう言いたければそう言えばいい。だが、父上。感情がある私を最高審問官にした貴方の責任は重大だ。海神界の都合で処刑などされたら、こちらの責任を果たせない。私に何もかも投げ渡して自分だけ楽になろうなどという行為は到底看過できないものである」
半ばやけになっているようなアシュレイザルの言葉に、少しばかりマグナリオは感心していた。
自分に責任を問うその姿勢は最高審問官の威厳が垣間見える。
感情が入り混じっている論理でありながら、一理あると考えさせられた。
「共謀者ではないことは言質をとった。それを証明し、ルヴァルにマグナリオの処刑の処遇を変えてもらう」
「……そうか、期待しているぞ――――息子よ」
今まで
目に光の宿るアシュレイザルを見て、マグナリオは「自分の判断は間違っていなかった」と改めて考えた。
これからの死神界にはアシュレイザルのような者が必要だ。
「言い忘れていたが、エルディオルが騒動を起こした事でカイエルが死を望んでいる事を伝え損ねてしまった。それが取引材料になりえるだろう」
「…………分かった」
友人を取引材料などと言われて快くは思わなかったが、確かにそれはルヴァルに対して有効打になりえるとアシュレイザルは考えた。
「時間です」
案内兵の声が牢に響く。
アシュレイザルはまだ言いたいことが山ほどあった。
けれど、その全てを飲み込んだ。
ただ一言だけ言い残し、その場を去る事にする。
「必ず助ける」
牢から出る中、ヴェルナーはアシュレイザルに小声で声をかけた。
「どうするおつもりですか、最高審問官」
その言葉を聞いて、アシュレイザルは歩みを止めてヴェルナーに向き直った。
「その気色悪い敬語を今すぐ辞めろ。今度敬語で私に話しかけたら補佐官を解任する」
語気を強めて言うアシュレイザルにヴェルナーは呆れながら、やれやれと返事をした。
「私が最高審問官に失礼な口調で話しても貴様は気にしないだろうが、周囲の者がそれを見たら下に見られるのはお前だ。立場を弁えろ。最高審問官という立場を忘れるな。お前が下に見られるということは死神全体が下に見られるということだぞ」
いつもの調子に戻ったヴェルナーに、アシュレイザルはその厳しい口調に何故か晴れやかな気持ちになった。
「場を弁えればいいだろう。お前に敬語で喋られると気分が悪くなる」
「未熟な証拠だな」
「その饒舌なお前の意見を是非聞きたいところだな」
「海神界と戦争になるようなことだけは絶対に避けろ。お前の浅はかな感情で世界が崩壊することになる」
「無論だ」
アシュレイザルらは再び海律主ルヴァルの元へと向かった。
話の運び次第ではもう二度とルヴァルとの会合は望めない。
そうなればマグナリオは処刑されてしまう。
絶対にルヴァルの心を動かすように話を持っていかなければいけない。
アシュレイザルはそう長くない道のりの中でルヴァルの心を動かす為の方法を探していた。
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