タイタニア
如月六日
読み切り
一、
少女が眠っていた。
柔らかい顔の輪郭や、かすかな胸の隆起から女性形であることがわかる。だが、細長くとがった耳と、背中に生えたウスバカゲロウのような羽根を見れば、人間でないのは明らかだ。
少女は胎児のように身をかがめてぴくりともせずいたのだが、次第に手足を細かく震えさせるようになると、ふいにまぶたをぴくぴくっと動かし、二三度の瞬きをした後、うっすらと目を開けた。
「……ア……?」
「やあ、お目覚めだねお姫様」
先程から、ベッドの横でずっと少女を眺めていた男が、にこりと微笑んで見せた。
「ウ……?」
少女はややぼんやりとした眼差しで男の方を見た。そこに何かがいることじたいは、どうやら理解できているらしい。
「とは言っても、君はまだ僕の言葉を完全には理解できないだろうね。いや、音声信号として認識はしていても、文章としての意味はくみ取れていないはずだ。君の人工頭脳はまだ動き始めたばかりだし、現実の会話は初めてなんだからね」
「イミ……キミ……イミ……ボク……ワタシ……ナニ…?」
少女は形の良い頭を左右にゆらゆらさせて呟いた。
「ああ、そんなに悩まなくてもいいよ、すぐに慣れる。それよりも、君に名前を付けなきゃね。さてどうしよう……なんてね、実はもう考えてあるんだ。君の姿を見た瞬間に決めてあったんだよ──『タイタニア』──どうだい?」
「タイ、タニア? ワタシ?」
「そう。古い物語に出てくる妖精族の女王、それが君の名前だよ」
「ワタシ、タイタニア。タイタニア、ワタシ。ダレ、アナタ」
少女はまだぼうっとした表情で問いかけた。
「僕はクルト。そして、ここは僕のアパート。よろしくタイタニア、今日からここが君の家だ」
二、
「クルト、コーヒーを入れました」
マグカップを指し出して、タイタニアが言った。
「ああ、ありがとうタイタニア。ついでにもう一杯作ってくれ、君も一緒に飲もう」
タイタニアがクルトのアパートで目覚めてから、すでに一週間が経った。
妖精の姿を持つ少女型アンドロイドは、すばらしい勢いで会話をはじめとする社会知識や家事の技能を学習していった。
だが実のところ、クルトが一番驚いたのは、タイタニアが食事まで出来ることだ。しかしすぐに慣れ、むしろ一緒に食事を出来ることを喜んだ。
「本当に、何から何まで人間にそっくりだな。ねえ、レディにこういうことを聞くのは失礼かもしれないけど、おなかに入った食べ物はどうなるんだい?」
「エネルギー源と体の構成物質になります。私のボディの半分は有機体で構成されていますから、アミノ酸や脂質、炭水化物をある程度ふつうの食事からとる必要があるのです」
羽を通すために背中に穴のあいたメイド服を着ているタイタニアが、鈴を転がしたような声で答える。
「なるほどねえ。しかし、これは案外良いアイデアかもしれないね。僕は人付き合いが苦手なんだが、こうして君と食卓を囲むのは悪くない。いや、むしろ嬉しく思っている。心がうきうきするんだ。誰かと会話しながら一緒に食事をする楽しさ、君の開発者がそこまで考慮したのだとしたら、なかなかのやり手だ」
クルトが感心したように声を上げる。
「……ありがとうございます、クルト。私も嬉しいです」
少し考えた後、そう言ってタイタニアはほほえんだ。その様子がまた、クルトをひどく喜ばせるのだった。
三、
その日の午後、クルトの部屋を一人の男が訪ねてきた。
男は上着を預かるタイタニアを見やりながら、口を開いた。
「どうだいクルト、君の”妖精”の様子は?」
「すばらしいよ、ノイマン! 彼女は本当に生きた人間のようだ。たった一週間で日常会話を完全にこなしているよ。見た感じ、すでに外見年齢相当の知能は持っているみたいだ。ああ、タイタニア、コーヒーを三つ頼む」
「はい、クルト。今お持ちします」
ノイマンの上着をスツールにかけていたはず少女の声が、台所から聞こえてくる。気を利かせて、接客の用意をしていたらしい。
「ほお、思ったより順調に成長しているようだな」
ノイマンは差し出されたコーヒーを一口すすると、軽く眉をひそめた。
「……ああ……レディ・タイタニア、砂糖は何杯いれたかね?」
「五杯です」
表情も変えずタイタニアが返事する。
「なんだ、足りない?」
クルトがシュガーポットを差し出す。
「……いや。次からはブラックで頼むよ。で、どうだい? 彼女、タイタニアとつきあっていて、何か不自然な感じはないかな? 我が社の開発した人工知能のモニターとして、率直な感想を述べてほしい。君の喜び、とまどい、違和感、そのほかを感じたままに、あるがままに、だ」
クルトは粘性の出るほど砂糖をぶち込んだコーヒーを口に含むとうなずいた。
「ああ、勿論さ。生身の人間が彼女と接してみてどう感じるかこそが、このテストの主目的なんだろう? 古い友人だからって遠慮はしないつもりだ。だがまあ、結論から言えば、全く違和感がないね、妖精としての姿を見せなければ、彼女をアンドロイドだと見抜く奴はいないだろう」
「まだ完璧とは言えないさ。テスト期間は一ヶ月あるし、その間にどんなぼろをだすかわからない。特に自我の形成が起こりうるか否かだな。プログラミングされた反応を繰り返すだけでは、意識を再現したことにならないからね」
ノイマンは慎重に判断を保留した。心配性めと言いたげに首をすくめると、クルトは残っていたコーヒーをぐいっと飲み干す。
「それにしても、なぜ妖精の姿にしたんだ? 普通の人間の格好でもよかっただろう? あるいは完全なロボット型にするとか──もしかして、ヲタクな研究者が好きなジャパニメーションの影響かい?」
「ふむ? その手の人間が研究室に多いのは事実だが……まあ、人間とアンドロイドの差別化のためだと思ってくれ。あの姿を見ていれば、親しみやすくかつ確実にアンドロイドだとわかるだろう? うちの商品のせいで『自分もアンドロイドじゃないか?』なんて思い悩む奴が出てきたら社会問題になりかねんからな」
「考え過ぎだよ。そんなにPL法(製造物責任法)が心配かい?」
「そりゃそうさ。万が一集団訴訟に発展したら大損害だ。まあ、羽根があろうが無かろうが、コスト的にそれ程変わるわけじゃないし、後は見栄えの問題だけだよ」
そう言って肩をすくめる。
その後、三十分ほどヒアリングが行われ、ノイマンは満足そうに頷くと帰り支度を始めた。そして、ふと思い出したようにクルトの耳元でささやいた。
「一週間後にまた来るが、彼女にはあっちの機能は付いていないからな。ありあまる精力は自分で処理してくれよ、オベロン陛下?」
「アンドロイド相手にそんなことするか」
ニヤリと笑うノイマンに、クルトは顔をしかめて見せた。
四、
「ねえ、クルト。私、あなたのお役に立っているかしら」
食後のコーヒーを入れながら、タイタニアが問いかけた。
「どうしたんだい? そんなこといきなり?」
シュガーポットから取り出した角砂糖を口に放り込んで、クルトは不思議そうに隣にいる妖精を見やった。
「私、近頃考えるの。私がここにこうして居る意味を。毎日あなたのお世話をして過ごして、あなたの喜ぶ顔を見ていると、私の中にある回路にとても不思議な信号が流れるの。そして、未来のことも予測してみるの。明日も明後日も、あなたのお世話をする。きっとあなたは喜んでくれる。そうやってシミュレーションすると、それがまた不思議な信号を呼び起こすの」
「ふうん。一種の、正のフィードバックだな。おそらく、君の中に”誰かの世話をする”ことを喜びとする命令があるからだろうね。聞いた話だと、もともと君は病人や老人の介護を目的に開発されたらしいから」
クルトは満足そうにうなずく。
「しかし、それがどうかしたのかい? それは君の知識にもあるはずだろう?」
「ええ。でもこの前、ふと”あなたのお世話を出来なくなる時”を予測してみたの。そうしたら……」
タイタニアが表情を曇らせた。その微妙な表現に「やっぱり良くできているな」と感心しながらクルトが尋ねる。
「そうしたら?」
「……そうしたら、急に回路全体にショートが発生したようになったわ。全身の活性も低下したし、困ったことに内蔵系の自律制御に関する基本的コマンド群にまで障害が出そうになって……すぐにそのシミュレーションをやめようとしたんだけど、どうしてもだめなの。今でも時々、突然そのヴィジョンが再現してしまうの。ねえ、クルト。私のモニター期間はあと一週間残っているけれど、それが終わったら私はどうなるのかしら? もしあなたと引き離されたら、私どうなってしまうのかしら? そんな考えがずっとバックグラウンドに走ってしまうの」
「それは……」
クルトは言いよどんだ。
タイタニアの言っている意味はわかっていた。その意味がわかるだけに、どう答えて良いか迷ってしまう。
「ねえ、タイタニア。君は、その……ノイマンの会社で作られた試作アンドロイドだ。これはいいね? そして君は、会社の資産だ。もしモニター期間が終われば、君は会社に戻らなくてはいけない。これもわかるね?」
「……ええ」
「その後は君は研究所へ戻されて、徹底的に解析をされるだろう。君の蓄えたデータは非常に貴重なものだ。それらは徹底的に調べ上げられて、君の妹──いや、娘かな?──を生み出すベースになって行くはずだ。世界中に君の仲間を待っている人たちが居るんだ」
「ええ、それはわかっています。でも、その後は? データを提供した後、私はまたあなたのお世話が出来るんでしょうか?」
すがるような目線でタイタニアはクルトを見つめた。
「……」
クルトは返事を思いつけなかった。
全てが終わったら、タイタニアを引き取れるだろうか? それは無理だ。タイタニアにはおそらく莫大な開発費がかかっているはずだ。自分はただのモニターにすぎない。実験が終わったからと言って、どうしてそんな人間にタイタニアを渡す訳がない。かといって、タイタニアを買い取るほどの資産も自分にはない。
「ねえ、クルト。お願い、イエスと言って。そうでないと、私壊れてしまいそう」
「……駄目だよ、タイタニア。無理を言っちゃ行けない。君は会社の所有するアンドロイドだ。僕には君を自由にする権利はない」
「……やっぱり駄目なのね」
タイタニアはそう言ってうつむくと、肩を落とした。その様子は本当に人間のそれとしか思えない。
「あなたに会えなくなるなんて、私の頭脳が耐えられない。それは私にとって非常な苦痛だわ。私はずっとあなたのそばにいたいのに」
「タイタニア。君は優秀なアンドロイドだ。だから聞き分けておくれ。無茶を言って僕を困らせないで」
「私、あなたを困らせたくない。でも、このまま離ればなれになるのもイヤ」
細い肩に伸ばされた手をするりとすり抜け、タイタニアは窓のそばにたった。
「タイタニア……」
イヤな予感がクルトの脳裏をかすめる。
「だからこうするしかないの……」
そう言って窓枠に手を掛ける。慌てて近づこうとするクルトを、目で制した。
「お願い、こっちへこないで」
「だめだ、タイタニア。危ないからこっちへおいで。ここは地上十階なんだ。いくら君でも、壊れてしまうよ」
クルトはなるべく刺激しないように、そろそろとタイタニアへ近づく。
「さよなら、クルト。今までずっと可愛がってくれてありがとう」
そう言ってタイタニアは身を投げた。
「タイタニア?!」
地面にぶつかるまでの短い間、その姿は宙を舞う妖精のようだった。
茫然自失していたのは二三分だったろうか。
自分を取り戻したクルトがまず行ったのは、ノイマンへ連絡することだった。
「あ、ノイマン。すまない、実は……」
「なに? タイタニアが飛び降りた? そうか、それで急に研究室の計測器がエラーを出したんだな。こちらも心配して、ちょうどうちのメンテナンス・サービスをそちらへ向かわせたところだ。心配するな、クルト。処理は彼らが行うから、君はそこに居ろ。どこにも行くな、いいな? 俺もすぐにそっちへ行く」
一気にまくし立てると、ノイマンは返事も聞かずに通信を切った。
「ああ……」
ぼんやりと答えて、クルトはイスに腰掛けた。”会社の資産”を壊した責任など気にもならなかった。ただ、自分一人になった部屋を見つめて呟いた。
「タイタニア、君はもう居ないんだね……」
五、
十分ほど後。ノイマンの会社が手配した技術者たちがやってきて、ばらばらになったタイタニアの体を集めて、どこかへ運び去った。だが、地面にこびりついた有機物のかけらまでは完全に消しきれず、赤黒い染みがくっきりと残っている。
野次馬もいたが、すぐにサービスマン達が解散させた。警察にも連絡したのか、特に制服を着た人間は見あたらない。窓からその様子を眺めてノイマンに振り返ると、クルトは沈んだ声で話しかけた。
「ノイマン……」
「気にするな、クルト。ここへ来るまでに、タイタニアの最後の会話ログをざっと見てみた。あれは故障だ。うちの会社のミスだよ。むしろ君はよくやってくれた」
「……故障?」
「そうだ、故障だ。さもなければ、自己保存命令を組み込んだアンドロイドが、自損行動をするはずがない。我々は君に欠陥商品をモニターさせていたわけだ。申し訳ないことをしたね」
その言葉を聞いて、クルトの中で何かがはじけた。そして、自分の心を覆う暗闇の正体に気がついた。
「違う、違うぞノイマン! タイタニアは欠陥品なんかじゃない! いや、彼女は商品でもない、一人の女性……人間だったんだ!」
「おい、気を落ち着けろよ、クルト。君も知っての通り、あれは我が社の試作アンドロイドだ。中身は高密度の集積回路で出来たロボットだ。人間なんかじゃない」
「違う、そうじゃない! 出自の問題じゃないんだ。心だよ、ノイマン。彼女は人間の心を持っていた。それこそが彼女を人間にしていたんだ!」
クルトは天を仰いだ。
そうだ、今やっと気がついた。自分にとって、タイタニアは紛れもない人間だったのだ。彼女のほほえみも優しさも、人間から人間へ向けられたものだったのだ。心を持たない人形の、プログラムされた機械的反応であったはずがない。
それなのに自分は、ずっとタイタニアを機械として扱っていたのだ。そして、そのことにタイタニアは耐えられた無かったのだ。ああ! 可哀想なタイタニア!!
「クルト、彼女は自殺してしまった! これこそ、まさに彼女が意識を持っていた証拠じゃないか!! 心を持たない機械が自殺なぞするものか!! 僕のせいだ。僕が彼女を人間として接していれば……」
クルトの悲痛な叫びに、ノイマンは首を振った。
「落ち着け、クルト。彼女が死んだのは故障だ。事故だ。偶然だ。君のせいじゃない。第一、あれはアンドロイドだ。コストはかかるが、修理すればまた直るし、今までの記憶だって再生が可能だ。君はいつだって、タイタニアに会えるんだ」
「違うよ、ノイマン。タイタニアは彼女だけだ! 記憶の再生だって? 冗談じゃない。それはあくまで”再生されたタイタニア”だ。僕と一緒に暮らした、あのタイタニアじゃない。彼女は、彼女は死んでしまったんだ!」
「子供みたいなことは言うなよ、クルト。君は勘違いをしているぞ、タイタニアはアンドロイドだ。人工知能だ。彼女の生は、人間のそれとは意味が違うんだ。そのくらいのことわからない君じゃないだろう?」
苛立たしげに説得を試みるノイマンとは対照的に、クルトはどこか諦めたようなうつろな表情を見せた。
「いや、だめだよノイマン。僕はもうだめだ。今、わかったよ。タイタニアが僕の心の中にどれほど大きな場所を占めていたかを! ねえ、この虚しさはどうだい? 胸にぽっかりと穴があいてしまったようだよ。寂しいんだ、ノイマン。悲しいんだ。こんな気持ち、初めてだ。認めるよ、僕はタイタニアを愛していたんだ。それなのに、それなのに、無くしてはいけないものを無くしてしまった。こんな僕が、どうしてこれ以上、生きていられるだろう?」
「やめろ! 落ち着くんだクルト!」
ふらふらと窓に近寄るクルトを見て、慌てたようにノイマンが叫ぶ。だがクルトは止まらず、窓枠に手をかけると悲しい笑みを見せた。
「さよなら、ノイマン。役に立てなくてごめんよ」
「クルト! 止まれ!」
ノイマンは、とっさに懐から取り出した黒い物体をクルトに向けた。
銃を向けられたのかと思い、一瞬クルトの動きが止まる。だが、すぐになにも起きないのを知って、そのまま窓に足をかけた。
「くそっ!」
クルトが重心を窓枠に乗せる直前、猛然とダッシュしたノイマンは、その襟首を掴まえて強引に窓から引きずりはなした。暴れるクルトをうつ伏せに抑えつけると、先ほどの黒い物体を、今度は目の前にある後頭部に押しつける。途端に「ピッ!」と言う電子音を口から鳴り響かせ、たちまちクルトの体は硬直し、死んだように活動を停止した。
「ふう」
大きな安堵の息が漏れる。
「お前さんの人工頭脳には、バカバカしいくらいの開発コストがかかってるんだ。身投げなんてされて壊されたらかなわん」そう言ってクルトの後ろ髪を掻き上げると、頭皮の中に小さなビーズ大の黒い金属が露出しているのが見えた。
「緊急停止機構をつけておいたのは正解だったが、もっとアンテナの感度を上げておいた方がいいみたいだな。これじゃ、いざという時にいちいちとっくみあいをしないと、止めることができない」
完全に事切れたクルトを確認してから立ち上がり、ノイマンは溜息をついた。
その時、ドアを開けて、どやどやと数人の男女が入ってきた。
「危ないところだったな!」
「ノイマン、よく止めてくれた」
研究者なのか、全員が私服の上から白衣をまとっている。みな一様に顔を紅潮させ、興奮した口調で喋り合っていた。
「どうです皆さん、この結果にご満足ですか?」
ノイマンが彼らに向かって問いを発すると、一座の年長者らしい初老の男が薄くなった頭頂部をなでながら感嘆の声を上げた。
「ふうむ。信じられないが、どうやら成功だな。まさに彼自身──クルトの言ったとおりだよ。『自殺をするのは心がある証拠』だ。人工知能が他者に感情移入して、悲嘆の余り自殺を試みるとは……」
「だから言ったじゃないですか、チーフ。ちょっとクサイが、こう言ったドラマティックなシチュエーションこそが、情緒の育成を促すんですよ」
壮年の男が精力的な笑顔を浮かべてそう言うと、隣にいた女性に顔を向けた。
「どうだい、エイダ。タイタニアの自殺プログラムを作った技術者としてのご感想は? なにしろ相手役のオベロンは、後追い自殺しようとまでしたんだ。君としては本望じゃないか?」
「やめてよ、ウィルヘルム! すごく後味悪いんだから。いくらアンドロイドとは言っても、こうやって心を持っている者をだますのって楽しくないわ。実験じゃなければ、こんなこと頼まれたってするもんですか!」
エイダと呼ばれた女性が柳眉を逆立てた。
「しかし実際、驚きましたね。タイタニアと違って、クルトの初期コア・プログラムには『自殺』と言うコマンドは入っていなかった。むしろ、自壊行動を制限するコマンドには、行動決定の上で最上位の重みを与えていたんですよ。いわば、自己保存本能として設定してあった。それをクルトは自発的に破ってのけたんだ。これは間違いなく、自由意志の発生です!」
一番若い男が興奮気味にまくし立てる。
「そうね。後でログの解析と、現在出来上がっている回路パターンを調査しないといけないけれど。まず間違いなく、成長結晶型量子ニューロンと知覚系からの複雑な入力が、新しい回路パターン……つまり自我や感情を創発させたんだと思うわ。特に他者への感情移入は、社会生活を営む上での重要なキーワードよ」
「ああ。これで確実に『人を思いやる』アンドロイドが作れる。ヒューマン・コミュニケーションが重要な産業はいくらでもある。潜在需要は計り知れない。これは上手くすると、蒸気機関やコンピューターに匹敵するブレイク・スルーになるぞ」
ウィルヘルムはそう言って自分の言葉に大きくうなずいた。
「それよりも、『意識の発生』と言う事実そのものがもつ意味が大きいですよ! いいですか、僕らは今、真の意味で『人間』を生み出したんだ。倫理・宗教・哲学・心理学! 既存の科学や世界観を根底から揺るがす大事件です!!」
「いやいや、そうじゃないよライプニッツ。重要なのはこの後の社会における社会経済や労働形態の変化なんだ。なぜなら……」
「おいおい君たち、そう先走らないでくれ。その前にチェックすべき課題はいくつもあるだろう? 市場に受け入れられてこその商品だと言うことを忘れてはいかんよ」
若者たちにクギを差しながらも、チーフの声は嬉しそうだった。
今後の技術的困難や製品化のメド、社会的影響やら人間存在の哲学的意味やらを喜色満面で議論をする人々を見ながら、ノイマンは疲れたように息を吐いた。
近くにあったイスを引き寄せ腰を下ろすと、上着のポケットからタバコを取り出して火をつける。深く吸い込んだ紫煙が脳をしびれさせていく。何か大切なものを壊してしまった、そんな罪悪感が薄れていく。
その姿を見たウィルヘルムが声を掛けた。
「よおノイマン! 直接クルトに接していた人間として、君の意見はないのかい?」
「別に。あえて言えば、味覚は普通人に合わせた方がいいと思うがね」
くゆらせた煙に視線をとどめたまま、ノイマンが答えた。
「なんだい、そりゃ? もっと真面目にやってくれよ。生身で接して、何か違和感とかなかったのかい? ちょっとした身振りや表情の不自然さとか──」
軽い酩酊感の中、ふとノイマンは恐怖にとらわれた。
タバコをもみ消すと、ゆるゆると後頭部に手を伸ばし髪をかき分ける。
そこには…………
<了>
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タイタニア 如月六日 @KisaragiMuika
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