Crescendo 〜 孤独な少年とツンデレ少女 〜

t@ke

プロローグ 18歳秋 

【砂丘】


水平線が現れた。

漆黒の空が薄くなり始めている。

闇の中から駿河湾が浮かび上がる。

空に色がつき始めて、すぐに群青が濃度を落として紺碧へと変化していく。


小高い丘を一気に駆け上がる。

つま先が砂に突き刺さる。

沈み込みそうになる膝を無理やり跳ね上げる。

完全に息があがっていた。

目に入る汗を拒む力も尽きていた。


ぐぁっ !


ふらつく足を罵る呻き声。

獣のようだな、と呆れた笑いも顔が引き攣っただけだった。

目の前の砂が不意に消えた。

神秘的な白い水平線。

丘を登りきったところで倒れ込んだ。


ん ?


LINEの着信音 ⋯


柔らかい砂の上に埋もれたままケツポケットからスマホを取り出す。


⋯⋯ 聖愛マリア先生


「おめでとう ! きみは今、三井寿かな ? それとも流川楓 ? 河田雅史までの道のりはまだ遠いかも知れないけど、きみにとっては決して険しい道のりではないはずよ。頑張れ !!」


相変わらずのスラダン信者。


昨日から驚くほどの着信が届いていた。

直接電話してきた奴も7、8人いた。

慶、月島、神谷、亀、広田タカヤナオヤら野球部の同期からは全員祝福された気がする。

あと、秋山百合のぶっ飛んだコメント。


“ 目指せMLBのスーパースター ! ”


⋯⋯アホか


この地で出逢った仲間たちがみんな本気で喜んで祝ってくれる。


昨日、地元の人気球団に育成枠でドラフト指名された。事前に指名挨拶はあったけど、それでも半信半疑だった。野球が職業だなんて、自分には無縁だと思っていた。実績もなければ、自信なんて1ミリもない。


だけど昨日 ⋯⋯


学校の帰り道。


「よかったね」


そう言った成瀬千波の笑顔に大きな粒がひとつだけ頬を伝った。


「やってみようかな」


初めてみた成瀬の涙に動揺して、思わずそう言っていた。


「うん」


成瀬の笑顔が嬉しそうにくちゃっとなった。



春の入寮まで毎朝砂丘を走る。

そう決めた。

が、その過酷さは想像の遥か上だった。

すでに全身の筋肉が悲鳴をあげていた。


“ いきなりそんな動きを求めるのか ? ”


身体がそうクレームをつけてくる。


“ ああ、そのつもりでいてくれ ”


筋肉にその覚悟を伝える。

伝われば、彼ら・・は身体を守るために、一生懸命それにあった形態に成ろうとする。パワーが必要ならどんどん強く大きく成ろうとするし、柔軟性が必要なら靭帯を傷めないよう長く成ろうとする。負荷が少なければ、必要ないと判断して退化していくし、負荷が大きければそれに合わせて進化しようとする。

無茶をすれば怪我をするし、無理をしなければ進化が止まる。そのラインを見極めて、越えないようにしながら徐々にラインを上げていく。


“ よろしく ”


ブツブツと文句を垂れる身体に言っておく。


白波が立っていた。

日の出と共に風が出て来た。

肌寒さが気持ちいい。


風が吹けば波が立つ。

こんな光景を情景としてではなく風景として受け入れる。

震災から2年半が過ぎて、海を ……波を過剰に意識する感情も遠くなった。

自然は自然 ……そこに人間の思いを重ねることなんて、それこそ不自然だ。


水平線にシルエットが浮かび上がっている。

漁船か ……三隻並んでいた。

水平線が鋭利に光ってる。

陽光が踏み躙じられた風紋を露わにした。

呆れるほど乱れた足跡が海岸線の方まで延々と続いている。

美しい紋様が理不尽に蹂躙されていた。

芸術を汚したような苦い罪悪感に駆られた。



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