エピローグ:無関心と優しさ
◇◇◇
「なんで、君たちはプールに行っただけなのにそんなボコボコのボロボロになって帰ってくるのかな? 私お昼ごはん食べてたところだったんだけど」
「お昼ご飯は十二時に食べといてくださいよ。もう三時ですけど」
「年取るとお腹空かないんだよ、ガキ」
運転席で空調をいじりながら苫田さんが呆れたように車内へ言葉を投げた。
「ってか伊比君が一番意味わかんないんだけど? 事情知ってもわかんないわ。何したらそうなるの? 保護者呼び出しって。私は保護者じゃないんだけど」
右手でハンドルを操作しながら、苫田さんは左手で伊比君の耳をつまみ引っ張る。まっすぐな車道を走っているはずなのに車がS字をえがいて僕の心臓がぎゅっと縮む。
「それでこのふてぶてしい態度、ありえないんだけど?」
「あはははは、すみません。一応手を先に出したのは向こうでこっちには事情があったってことになってよかったですよ」
前坂君が乾いた笑いを上げる。体調不良の男の子を看病しようとしていたという理由で、プール内で暴れたことに対する責任は不問となったらしいけど、保護者呼び出しで苫田さんが呼びつけられ、結局そのまま退園することになった。
「後部座席のふたりも何かあったの? そっちの男の子だいぶ体調悪そうだけど」
「大丈夫でしょ」
僕の代わりに近原さんが回答する。
「熱中症じゃない? さっきだいぶ吐いてたから、水分はとったほうがいいと思うわ。厚着なんかしてるからよ」
「ポカリならトランクにあるよ。近原さん取ってあげてくれる?」
「仕方ないわね。どのあたり?」
「真ん中。たぶん上に水着乗っちゃってるかも」
「わかった」
ぐいぐいと近原さんに端に押しのけられる。後部座席からトランクの中をごそごそと探って、彼女はクーラーボックスからジュースを取り出した。
「これ飲みなさい」
「ありがとう」
「もう、気分悪くないでしょ?」
プラスチックのキャップをパキパキと鳴らして開けながら僕は頷く。
「俺たちまだご飯食べれてないんですよね。どっか寄って帰りましょ」
「ほんっと、ずうずうしいよね。私も食べてないから行くしかないか」
「あ、じゃあわたし、この近くでおいしいハンバーガーのお店知ってます! そこ行きたい!」
ハンバーガーか……と中身を全部ひっくり返した胃袋をさすりながら僕は考える。肉の油のにおいを想像するだけですでに無い食欲が減退した。
「ねえ」
近原さんが僕の肩をつつく。
「あなたの服、貸して」
タンクトップを着る近原さんは露出が多いから、必要なのかもしれないと僕はしぶしぶ脱いで彼女に手渡した。近原さんはそれを受け取るなり乱暴にたたんでトランクの底へ沈める。
「えっ、あっ」
「大丈夫よ。誰も気にしないわ。少しくらい怪我の多い人を見て、不愉快になる方が悪いのよ」
僕を下からのぞき込む彼女の顔は、初めて見る表情をしていた。いたずらっ子のようにいきいきと笑っている。敵対心をむき出しにした普段の表情とのギャップがまぶしい。
「あなたがあなたであることは、だれにも迷惑をかけないわ」
自分に言い聞かせているように聞こえた。
「堂々としていればいいの」
「そうだね」
「あれだけゲロ吐いたのに今更何か恥ずかしいとかあるの?」
僕はペットボトルのキャップを指先でくるくるといじる。こぼれないようにふたを締めてから浅く息を吸う。爪の先でキャップの側面を何度かひっかいてからようやく言う勇気が出た。
「落ち着かないから、やっぱり要らないなら返してほしい」
パッと近原さんの目が猫のように見開かれる。無言でバシバシと背中を叩かれた。
「嫌って言えたじゃん」
「近原さんって僕をいじめてるわけじゃないよね?」
「当たり前でしょ」
「じゃあもうこういうことやめてほしい」
本気で言ったのに近原さんはしばらく無音で笑い続けていたし、車がハンバーガーショップの駐車場で停まるまで服は返してくれなかったし、ずっと腕のけがを触り倒された。けがは全部痕にはなっているものの今はもちろん治っていて触られて悪化することはないけど、この人の距離感が全然わからなくて、僕はペットボトルを持った右手で顔を覆い冷や汗を流しながら目を閉じて堪える。
もしかしたら、近原さんなりの優しさかもしれないし、ただの興味なのかもしれないし、よくわからないことばかりだけど、気持ち悪がられていないらしいことに僕は安堵する。
見られることばかりに意識が行っていた僕は、触られること自体に嫌悪感を自分自身が抱いていないことに最後まで気づいていなかった。
㏗1のプール 増岡 @libs92
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