花束の贖罪
時雨透
プロローグ
2015年3月、私は両親の墓参りをしにこの町へと戻ってきた。
元々寂れた田舎ではあったが、近隣の市街地の発達により、さらにこの町へ足を運ぶ者が減って行った。
子どもの頃によく通っていた駄菓子屋はシャッターを閉ざし、今にも剥がれ落ちそうな角度で「閉店しました」の紙が貼られている。
見渡しても人の気配はほとんどない。
際立って静かであるが故に、波風の音が私の耳にやけに強く響いていた。
ーー今から10年前、私の父は殺された。
あれ以来、どんなに晴れていても私の心の中には一筋の雲が残ったままだ。
この町に来ると嫌なことばかりを思い出す。
そんな理由で今回の墓参りは1年も空いてしまった。
…こんな娘でも父は笑ってくれるであろうか。
ぼんやりと考えながら寂れた町を歩く。
この角を左に曲がると公園があるんだっけ…
「おかーさーん!ボール投げてー!!」
「はいはい、行くよ!」
「僕、小学校に入ったら勉強頑張るんだ!」
「偉いねえ。きっと立派な小学生になれるわよ。」
親子の会話が聞こえてくる。
私には家族はいないのに…。
だから来たくなかったんだ。
「…そろそろ花屋に寄っておかないと。」
このまままっすぐ行けば以前から通っていた花屋があるはずだ。
閉店していなければ、だが。
自分の目的を果たすことに全神経を集中させ、親子の会話を耳から遮断する。
父はとても明るく、家族思いの人だった。
当時、父はここから4駅ほど離れた中学校で教師をしていた。
田舎の4駅だ、車で30分といったところだろうか。
母との折り合いもよく、父が休みの日には3人でドライブをし、街へ出て食事をした。
「ほら、桜。見ろ。お父さんの働いている学校だぞー!」
「あー、はいはい。見た見た。」
小学校6年生の思春期にしては仲が良かったと思う。
そんな瞬間はもう訪れることがないのに。
歩みを進めるうちに鼻をくすぐる花の香りが風に乗って届いてきた。
「…まだやってるといいけど。」
小さく呟いて顔を上げると、昔と変わらないあの花屋の看板が見えてきた。
ドアの前に辿り着き、大きなため息をつく。
花は好きじゃない。でも、家族の墓に花を手向けないほど私は冷たくない。
意を決してドアを開ける。
華やかな花の香り、はっきり言って咽せそうだ。
「いらっしゃいませ」
見たことのない男の店員が私を出迎えた。
長身の痩せ型で綺麗な顔立ちをしている。
花屋よりもアパレルなどの方が似合うのではないだろうか?
そんなことを考えながら呆然と立ち尽くしている私に「どの花をお探しですか?」と尋ねるわけでもなく清掃の手を止めない男。
ああ…こういうところか。
なんて失礼なことを考えながらもこんなところで時間を割くわけにもいかないので声を掛ける。
「あの、お墓参りに来たんですがおすすめの花はありますか?」
男の手が止まり、私と視線が交わる。
「…春の彼岸ですしスイートピーなどはいかがでしょうか?」
「…それ以外で。それ以外ならなんでもいいので。」
「…?」
2人の間に沈黙が流れる。
スイートピーなんて2度と見たくない。
そもそも私は花が好きじゃない。
桜という自分の名前にすら嫌気がさすほどに。
「…俺は好きなんですけどね。スイートピー。」
男はぼそりと呟きながら言葉を続ける。
「よければカスミソウやマーガレットなどでお作りしましょうか?」
「それでお願いします。」
ただ母が花を好きだっただけだ。
品種なんてなんでもいい。
…スイートピー以外なら。
男は慣れた手つきで店内の花を選び、束ねていく。
ふと視線を上げると「鈴木」という名札が目に入った。
この男はどうやら「鈴木」というらしい。
見た目に反して似つかわしくない名前だな、と思った。
「はい、どうぞ。」
鈴木という男は、丁寧に束ねられた花束をほんの少し微笑みながら私に差し出す。
「ありがとうございます。お会計は…?」
「ああ…今日は無料でいいですよ。その代わりまた来てくださいね。」
「そんなわけには…」
「いいからいいから!!」
お財布からお金を取り出そうとしている私に彼は急かすように「早く行ってあげてください」と言った。
私も正直花が充満しているお店に長居なんてしたくない。
「…ありがとうございます。」
好意に甘えて花束を受け取り、墓地へと向かう。
帰り際、彼の視線に気づいた。何かを思い詰めるような、悲しげな目だった。
でも、私の中でそれは「花屋の男がする顔じゃない」と、違和感として片付けられた。
「お父さん、お母さん、久しぶりだね。」
墓地の周りは桜が咲き始めていて、それに反して母と父が眠っている「宮川」と書かれた墓石はカビやコケで黒ずみ、喉の奥がぎゅっと詰まったような感覚が押し寄せる。
墓石を掃除し、線香と共に先ほどもらった花束を手向ける。
私たちは仲の良い3人家族だったはずだ。
ーー母が死んだのは今から7年前。
忘れもしないあの日。
母の心は限界だったのであろう。
中学校の卒業式を終え、後輩からの花束を受け取り、6畳半の古い寂れたアパートへと歩みを進める。
卒業式前に高校の受験も済ませ、私は少し浮かれていたのかもしれない。
残された母のためにも私は進学し、奨学金を借りてでも大学に進み、少しでも母の助けになりたかった。
家の前に着き、玄関を開けると、分別されていないアルコールの空き缶やペットボトル、そして腐った生ごみ、異様な臭いが私の鼻を刺激する。
「お母さん、また飲んだの?ゴミは分けようよ。」そう言いかけながら居間を開くと言葉を失った。
母は物干し竿にロープで首を吊っていた。
至る所から体液が床に流れ落ち、誰が見てもわかるくらいにはもう手遅れだった。
その体は、まるで命が抜けた操り人形のように揺れていた。
私の抱えていた花束は床に落ち、綺麗なスイートピーが目の前に広がっていく。
その瞬間、時間が歪んだような感覚に襲われた。呼吸も、思考も止まり、ただ視界の中でスイートピーだけが鮮やかに咲き乱れていた。
床に落ちた花がこんなにも綺麗であることが、もう生きていないであろう母親の死を突きつける残酷な風景として焼きついた。
その後のことはよく覚えていない。
その日私は家族を全て失った。
そして私は決めた。
家族を、私の人生を壊した人間を絶対に許さないと。
復讐を誓い、この7年生きてきたのだ。
もし目の前に現れたら絶対に殺してやる。
それがどんな理由であろうとも。
これが私の父と母に対する唯一の贖罪だ。
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