残音霊
@kfujiwarajp2000
残音霊 第一話 死んだ友人のギター
又、ポワーンとなった。寝室兼作業部屋の東の角の低い窓の前に置いているギターケースからだった。翔は呟いた「また鳴ってる」、時々催促するかのようになるのである。ほんとはピーンというギター弦の音なのだろうが、ケースの中でこもってポーンというような響きが聞こえてくる。
アコスティックギター、薄い青緑のケースの中に入っている。
これは高井翔の死んだ友人が学生時代に家庭教師のアルバイトでためたお金で買ったものだった。
小野幸信は翔と小学校中学校でずっとクラスが一緒の同級生だった。幸信は歌はあまり上手では無かったが、ギターが好きでずっと名の知れたブルースギタリストにギターを習っていた。
最初の奥さんはこのギターサークルで知り合った女性だった。翔は学生時代に幸信に呼ばれてその練習風景やコンサートを見に行ったことがあった。バンドの女性vocalは幸信と付き合っている茉祐だった。
茉祐は小柄でおっとりした女性で物腰が柔らかく、引き込まれる様な大きな瞳がガラスのように、いつもつやっぽく輝いていた。茉祐を目当てに見に来る学生もそこそこの数だったようだが、茉祐がいったん歌い出すとおとなし気なルックスからは想像のつかない太く押しのあるヴォイスと肩を揺らして刻むリズムがバンド全体のグルーブとなっていた。幸信はギターと同じぐらいこの女性に入れ込んでいた。
コンサートが終わった後に翔に声を掛けに来ることも無く、彼女とどこかに行ってしまった。
バンドのメンバーもあきれきっていて、翔は彼らと飯を食いに行った。すごくフレンドリーなバンドメンバーで、大学の話や音楽の話、身の上話まで聞いて盛り上がった。彼らと同じ大学には中学時代の同級生の女性の聡美も通っていて、同じ様にコンサートに呼ばれてきていた。
「最近あんな感じよ! 彼女べったりで周りがあきれてる、見えてない」
「彼女の送り迎えはいいんだけど、みんなよく待たされて迷惑してるんだ」
バンドのメンバーの実が言った。
幸信は卒業するとすぐこの彼女、茉祐と結婚した。公務員試験を受け役所に就職し、家庭と音楽に充実している、か、に思えたが、茉祐はサークルで知り合った別の男性に心変わりして3年で幸信から去って行った。
その後の幸信の暮らしは荒んでいった。幸信はますますブルースにのめり込み、ギターの師匠のコンサートや、外国人アーティストのコンサートに行くことで忘れようとしていた。
翔は一度、幸信が練習中のラグタイムギターの曲を数曲弾いて聞かせてくれたのを覚えている。なんか難しい演奏で、低音弦とコードとメロディーを同時に奏でる演奏スタイルだった。幸信が好きだったのは、The Band、ボブマーレイ、J.B.などのブラックコンテンポラリーというカテゴリーの音楽だったが、意外なところで、「風」の伊勢正三のファンを自称していて「22歳の別れ」と言う曲が刺さったらしい。
そのころの幸信は夜な夜なスナックを回り行きずりの女と遊ぶようになっていた。見かねた周りが新しい女性を紹介し、すぐに再婚し。
「さっさと子供を作って落ち着けよ」と言われたのか、その後すぐに二人の子供に恵まれた。
幸信の死の知らせを受けたのはそれから9年後だった。
脳溢血、風邪と誤診され家族が救急車を呼んだときは間に合わなかったようだ。
すでに呼吸は止まっていた。肩がだるい、すごく頭が痛いと言っていたという。
原因は深酒のようだった。幸信は役所で次々と新しい企画書を提出していたが、ことごとく却下され、農業振興課に回されて以来深酒をするようになっていった。
突然の訃報を受け、翔は同級生たちとお通夜に行くと、遺体の横にギターがずらりと並べられていた。その時奥さんが、
「もうこのギターは誰も弾かないので、もらって弾いていただいたら本人も喜びます。」
と言われたので、翔は1本を貰って帰った。お通夜に行ってギターを抱えて帰るとは思っていなかったので、帰りはタクシーにした。
このギターの置き場所を翔は寝室の東の窓の前と決めたのだった。
弾かないと申し訳ないと思い、翔はラグタイムブルースギターの教則本を買ってきたが、素人が突然弾けるものでは無かった。
暫くひかずにほっておくと、ポワーンとケースの中で弦がなるようになった。バスやトラックの振動で鳴っている可能性は高いが、元から翔が持っている2本のギターは鳴ったことが無い。かなり上等のギターなんだろうと翔は思った。
翔にも何か弾ける曲はないかと考えた結果、風の「22歳の別れ」を練習することにした。 少しずつ練習して歌うようになった。
“ ♪あなたに さようならって言えるのは 今日だけ 明日になって またあなたの
暖かい手に 触れたら きっと 言えなくなってしまう そんな 気がして
私には 鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった 幸せに すがり付いてしまった♪ ”
一番が歌えるようになり、2番を練習しているときだった・・・
“ ♪私の誕生日に 22本のろうそくを立て
一つ一つがみんな 君の人生だねって言って・・・・ ♪”
突然部屋の隅に黒い靄が現れて “じんせいだねっていって”の部分をハモる声が部屋の隅から聞こえてきた。 そのほかの部分ではもうその声は聞こえてこなかった。
そうか幸信はこの部分が刺さってこの曲が好きだったのか、と翔は思った。
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