第2話 虐殺 鏖殺 大惨殺

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 祠が安置されていた洞窟の中で、リヒトは目を覚ました。


 (ぼくはどれくらい眠っていた……? 村は無事なのか)


 ふらつきながら、急いで村を目指す。


 リヒトはもはや、自分の身に起こったことを気にしてはいなかった。赤衣の男のことも、完治している外傷も、死に体のはずの自分が獣道を俊敏に歩けていることも、村の安否の前ではどうでもよかった。


 歩くにつれ、焦げ臭いにおいが強くなる。


 違う。


 絶対違う。


 きっとみんなは無事だ。村の自警団か、偶然通りかかった憲兵隊だとかが、あの盗賊たちを追い払ってくれたんだろう。家は燃やされてしまっただろうが、みんなで協力すればすぐ建て直せる。


 だが、妄想じみた希望は、簡単に打ち砕かれた。


「あぁ……!」


 家も、店も、苔むした遺構もすべてが破壊され、あるいは燃えていた。

 男は殺され、木に吊るされるか、そうでない者はゴミのように「ひとまとめに」されていた。女は殺された上、若い娘は全員に暴行の形跡があった。


「ライルおじさん……! ガーネッタ……! バルフさん……! みんな……あぁあ……!」


 生きている者はいなかった。


 踏み荒らされた畑の前でへたり込んでいると、ふとサイラの姿が見えないことに気づく。

 もしかして。


「サ……っ、サイラ! どこだ!! いるなら返事をしてくれ!! サイラァッッッ!」

「……リヒト……?」


 微かな声に、弾かれたように顔を上げる。


 最初は、サイラだと分からなかった。


 歯をすべて折られた口から声が漏れるまで、リヒトですら気づかなかったほどだ。


「リヒト……」

「サ……イ……ラ……」


 体液まみれの金髪を持って、サイラが近づいてくる。ひどい火傷の脚を引きずって、リヒトの腕の中に崩れ落ちる。ばかに軽かった。


 見れば分かる──もう、助からない。


 言葉を交わす間もなく、サイラの華奢な体から、魂が抜け落ちる感触がした。

 力なく開かれた掌から、金髪と一緒に半球状の何かが落ちる。それが切り取られた乳房だと分かった瞬間、リヒトは顔を背け、吐いた。


「ぐッ、う゛、う……ぅあ、ぁぁあぁあぁあぁああぁぁあああぁあぁぁぁぁぁ──────ッ!!!」


 サイラの亡骸をかき抱いて、リヒトは喉が裂けんばかりに慟哭どうこくした。死せども尽きぬ哀しみと怒りを、思うさま吐き出すかのようにき続けた。


 むごい。なんと惨い。

 なぜ同じ人間に、年端もいかない子供に、こんなことができる。

 なぜだ。


「そうか」


 ──奴らは、人間ではないからだ。


 倫理を持たない獣だからだ。


 なら丁度いい。


 こちらもついさっき、人間を辞めたところだ。


 土の匂いに混じって、死の間際に嗅いだギットルの残り香を感じ取る。


 赤衣の男に血を与えられてから、リヒトの五感は常人のそれよりも遥かに鋭くなっていた。ここを去った盗賊どもの体臭から、おおまかな行き先を特定できるほどに。


 まだ遠くへは行っていない。

 見つけ出して、必ず殺す。

 リヒトは鼻面を泥に埋め、地獄絵図と化した村を出入口の方へ這いずっていった。


 #####


 イロモドから森を抜けた先には、央都へ向かう街道がある。

 石畳で舗装されているとはいえ、田舎町からも離れたそこは、常に閑散としていた。


 ゆえに、ならず者どもにとってはいい住処になる。

 ギットルたちも街道そばの廃教会で、イロモドから略奪してきた戦利品をあらためていた。


「僻地の集落だから期待しちゃいなかったが、こりゃ期待以上だな!」

「おっ、アランベールの火竜酒だ! へぇー、息子が成人したら一緒に呑む酒?」

「あのババアが大事に持ってたやつか! じゃあセガレもいい歳だな、呑み頃だぜ」


 手渡された酒瓶を呷るギットルは、仲間の一人が汚れた飾り紐を眺めているのに気づいた。


「なんだソレ」

「ああ、ギットルさんが遊んでた金髪のガキいたでしょ。そいつが持ってたんすよ。値打ちものかと思ったんすけど」

「なんだこりゃあ、ゴミだゴミ。捨てとけ」

「うす」


 仲間は頷いて、斬り飛ばされた自分の手首を、飾り紐と一緒に放り投げた。


「え?」


 赤い線を描いて飛んだ手首が、どちゃッ、と音を立ててようやく、その場は騒然とした。


「なッ、え、あれッ!? あれ、おれ、おれの手ぇ!」

「なんだ!? 何が起きた! 誰が……!」


 ギットルはすぐさま周囲を警戒し、玄関口に誰かが立っているのを見つけた。


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 粘ついた笑みが一瞬にして凍りつく。リヒトの顔を見た盗賊どもが、一斉にワサワサと後ずさる。


 死にかけの虫みたいだ。


 異常なまでに冷めた思考で、リヒトは彼らを見ていた。


「【風砲ウインドボム】ッ!」


 盗賊の一人が剣を構え、先刻リヒトを吹き飛ばした風の砲弾を撃ち出した。リヒトはそれに対し、広げたてのひらを叩きつける。


 【風砲ウインドボム】にそんなことをすれば、皮膚が裂け、骨肉を叩き潰されるのは必至である──しかし。

 【風砲ウインドボム】は、みるみるうちに掌中へと吸い込まれていく。

 そして、その魔力の質を変えた。


「【竜鎧イロイ・アロド】」


 竜巻が、リヒトの手の中で深紅の片刃剣に変化する。更に風は四肢を駆け巡り、同色の鎧と化す。


「ま、魔術……?」

変換器ワンドも使わずに……ありえねぇ……」


 赤衣の男がリヒトに与えたのは、頑丈な肉体と優れた五感だけではなかった。


 他者の魔術に触れることで術式を分解・再構築し、自身の武装へと変換してしまう、埒外らちがいの具現化魔術。


 禁書には【竜の血】と記される、古代の秘術である。


 〈なんじの翼は脚にあり 羽撃はばたかずして雲を裂く〉


 おののく盗賊の一人に狙いを定め、リヒトは数十メートルの距離を瞬きの内に詰めると、剣を振り抜いた。

 胴から解き放たれた首級くびが宙を舞い、床に落ちるまでの間に、もう一人を袈裟斬りで両断する。


「うッ……【風砲ウインドボム】! 【風砲ウインドボム】! 【風砲ウインドボム】!」


 半狂乱になった盗賊団が、風弾を乱射。


 〈汝の鱗甲は鎧にあり 千雷万火を塵とする〉


 しかし、盗賊たちが放った渾身の【風砲ウインドボム】は、リヒトの黒髪をなびかせる程度で、ダメージを与える様子もない。


「【風】──うぐぇっ! げっ……が……」


 うるさい喉を握り潰し、残った二人の喉笛も同時に搔っさばく。


 あと三人。


「お、お、おい、行けッ! 行けお前らっ、さっさと殺せえぇえ!」


 ギットルに突き飛ばされるようにして、二人の盗賊が直剣を振り回しながら襲いかかってきた。

 右の男が仕掛ける。兜割り。一閃で弾く。数拍遅れて左、剣閃が届くよりも速く、首をねた。


 飛んだ首級を宙返りの要領で蹴り飛ばす。仲間の後頭部を顔面に喰らった盗賊が呻く頃には、鳩尾みぞおちに切っ先を叩き込まれている。


 〈汝の爪牙はたいにあり 振るえば颶風ぐふう 肉は鉄〉


「あ、が、がっ、が」


 串刺しにした盗賊を持ち上げ、莫大な魔力を一気に流し込んだ。

 全身の穴から血を噴き、盗賊は事切れる。


「ッんだよもう使えねぇなぁ……! ひっ! くっ、来るな! 来るなぁっ!」


 突き込まれてきた切っ先を一刀のもとに叩き折ると、肉盾と得物を失った盗賊団の首魁しゅかいは、無様に股ぐらを濡らし始めた。


「も……も、申し訳ございませんでしたぁっ!!」


 何を思ったのかギットルは、唐突にリヒトの足下に這いつくばると、


「もうッ、もう二度と、盗賊はしません! これからは真面目に生きていきます! 村の人たち……いや! 今まで殺してきた人たちにも、一生かけて償います! 本当です! だから……だからあ! 死にたくないぃぃぃい!!」


 甲高い早口でそうまくし立てた。


 思わず笑いそうになる。

「真面目に生きていく」「一生かけて償う」か。


 あんなことをしておいてなお、謝れば見逃してもらえると本気で思っている。


 ギットルの命乞いは、剣に込められる魔力をいっそう増幅させる、全くの逆効果に終わった。


 〈汝の息吹は剣にあり 竜炎一閃 燎原りょうげんす〉


「【撃鎚竜咆レムハ・アロード】」


 もはやあわれみの域に達した深い怒りを込めて、リヒトは剣を振り下ろした。


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 央都から北へ伸びる街道を、一台の魔動四輪が流していく。

 白の月に特有の寒々しい針葉樹林を眺めていたイ・ルは、車窓に乗っけていた頬杖を少し浮かせた。


「ちょっと止まって」


 刺すような風にさらされながら、イは今にも崩壊しそうな廃教会を見上げた。

教会の床には、真下の地面まで続く巨大なあなが穿たれていた。


「ひえー、このあな何メートルあるんだろー……」

「常人の仕業じゃねぇな」


 いつの間にか、運転手のムゥロ・アレルモルも一緒になって大孔を見下ろしていた。


「ムゥロもそう思う?」

「当たり前だ。一撃でこんなもんをこさえられる奴ぁ、央都にも数えるほどしかいねぇ」

「じゃあ、作ったのはその内の誰か?」


 イの問いに、ムゥロは頬肉をぷるぷると揺らした。


「奴らの仕業にしては、『理由』と『精彩』に欠けるな。わざわざド田舎のボロ教会をこんなにする理由がねぇし、掘削面が粗すぎる。魔術で削ったと言うよりは……」

「巨大な『何か』が、力任せに貫いた……みたいな?」


 言葉を引き継いだイに、ムゥロは首肯する。あるいは肩を落としただけかもしれない。


「お嬢、おれぁもう帰りてぇ」

「にゃはは。ムゥロのお腹も痛くなることがあるんだね。でもダメ! わたしにヒッチハイクさせる気?」


 とぼとぼと車に戻っていくムゥロを横目に、イは指で輪っかを作り、その中にうっそうとしげる森を映す。

 風に揺れる深緑は、こちらを手招いているようにも、喰らい尽くそうとうごめいているようにも見えた。


「にゃは」

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