GUILD 央都防衛結社

水石玖

第1話 破滅は春風のように

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 地鳴りのような雨音に、二人分の足音が呑み込まれていった。

 渡会わたらい凛人りひとは、目の前を走る背中をがむしゃらに追いかける。


 路地を抜け、小さな橋のなかほどまで差し掛かったところで、凛人はついにパーカーの襟首を捕まえ、ガードレールに叩きつけた。


「なんでだッッッ!」


 止まるなり、喘鳴混じりに吐き出す。フードが取り払われ、間近で見た人殺しの顔は、凛人とそう変わらない年齢に見えた。


「お前なんなんだ……どうして……姉ちゃんを殺した!?」


 心臓の鼓動と、真下の濁流が混ざり合って、ごうごうと音を立てる。

 目の前の男は、何も言わない。人を殺した後だというのに、まるで部活帰りみたいに、心地よい疲労を滲ませている。


「……ッ!」


 胸ぐらを掴む手に力を込めた。言わなきゃ落とす、そのつもりで。本気だった。


「……そんなん、決まってんだろ」


 続く言葉を、耳にするのと。

 スキール音が耳をつんざくのは、ほぼ同時であった。


 カッと視界が灼かれる。

 直前まで全身を煮立たせていた怒りも全て忘れてしまうほどの衝撃に、凛人の意識は抵抗の間もなく途切れ、やがて物言わぬ濁流の一部となった。


 #####


「リヒト!」


 名を呼ばれ、凛人──リヒトは顔を上げた。

 絹のような金髪を弾ませ、サイラが駆け寄ってくる。


「直してくれた?」


 ちょうど作り終わった飾り紐を掲げてみせると、サイラは「わあ、ありがとう!」と表情を明るくする。


「リヒトってなんでもできるのね! 狩りも畑仕事も、こういう手芸も、全部ぱぱっとやっちゃうんだもん!」

「なんでもじゃないけど……皆に受け入れてもらえるように、ぼくにできることはなんでもやりたいんだ」

「なに言ってるの。リヒトはとっくにわたしの家族で、村の仲間だよ?」

「ありがとう。ぼくもサイラのことは、本当の妹みたいに思ってるよ」

「……っ! ふ、ふうん、そう」


 あの雨の日から、おそらく一年。

 濁流に息絶えたはずのリヒトは、この【イロモドの村】近くの川辺で目を覚ました。


 直感的に悟った。ここはリヒトの元いた世界とは何もかもが違うと。

 生き物も草も星も、見慣れたものと見たこともないものが混ざり合って存在していた。


 最初は戸惑ったものの、古代の遺構と共に暮らすイロモドの人々は、孤独なリヒトをあたたかく迎え入れてくれた。

 そして今は、サイラの家に居候をしながら、穏やかに日々を過ごしている。


 皆の役に立ちたいのは、紛れもないリヒトの本心である。

 この世界に流れ着いた時は大いに混乱したものの、それでも生き延びることができたのは、イロモドの人々のおかげだ。


 文字通りの流れ者に、こんなによくしてくれる人たちは、日本にもそういないだろう。

 彼らのような善人に報いたい。リヒトはきっと、そのために生き返ったのだ。


 サイラと談笑していたリヒトは、ふと眉をひそめた。

 二人がいる広場からは村の出入口が見えるのだが、そこに見慣れない服装の男が数人、立っている。


「誰かしら」

「道に迷ったのかもしれないな。ちょっと話を聞いてくる」


「こんにちは! どうかされましたか?」リヒトが訊ねると、先頭にいたリーダー格らしい巨漢が答えた。


「あ? あー……俺はギットルってんだ。仲間と一緒に旅をしてる」

「旅人さんでしたか。しかし、イロモドにはどういった御用で? ここには宿も酒場もありませんが……」

「あー、それはだな……」


 ギットルはさも言いづらそうにハゲ頭をなでる。

 だがリヒトはその瞳の奥に、言い知れぬ寒気のようなものを感じた。


「……少し前に、盗賊に襲われて荷物を取られちまったんだ。ついては、憂さ晴らしと略奪強姦ぶっしのていきょうにご協力願いたい」

「え?」


 ギットルはそれ以上なにも言わなかった。

 ただ慣れた手つきで直剣を抜くと、よく研がれた切っ先で、リヒトの喉笛を貫いた。


「ぐ、ぶごッ」


 言葉の代わりに、滝のように鮮血が溢れ出てくる。

 こいつらこそ盗賊だったんだ。


「待……」

「あー? なんだコイツしぶてぇな」


 直剣の柄頭ポンメルが、リヒトの腹に押し当てられる。


「【風砲ウインドボム】」


 詠唱と同時に、リヒトは暴風に吹き飛ばされた。

 自然発生したものではない、指向性を持った竜巻。ギットルが撃ったのか。


 (“魔術”……)


 リヒトの体は一瞬にして数百メートルの距離を飛翔し、村の最奥にあるほこらの扉を突き破った。


「うう……」


 瓦礫がれきに包まれて身動きがとれない。刺された所から、命が液体になって流れていく感覚がする。


 遠くから聞こえるこれは──悲鳴か。何かが崩れたり、割れる音も。

 村が襲われている。

 襲われているのに!


 助けに行かなきゃ。

 でも……だめだ、指一本動かせない。

 今度こそ、ぼくは死ぬのか。

 また、何も守れなかった。


「……………………」


 (……? なんだ……何か聞こえる。村の方じゃない、もっと近く……これは……)


 頭の上?


 霧がかかったような視界をどうにか動かすと、リヒトの顔を覗き込むようにして、赤いローブを纏った男が立っていた。


 袖からのぞく手は、枯れ枝のように細い。フードの中の闇は色濃く、その顔を見ることはできなかった。

 ずっとここにいたのか? この村が拓かれた当初からあったという、開かずの祠の中に?

 普通じゃない。


「……え゛……ら゛……べ……」


 闇の中から、声がした。


「このまま゛……虫ケラ゛のごどき……命を゛……終え゛……永遠の゛……無……となる……か……我が血を゛……受げ入れ゛……悔悟かいごど……憎悪……の゛……生を……続ける゛……か……好ぎな……地獄へ……行くが……よ゛い……」


 伸ばされた手からは、どくどくと血が滴っている。


 リヒトは最後の気力を振り絞り、握り潰さんばかりの勢いでその手を取った。

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